三国志について質問です。
劉備が漢中王になって、部下に様々な役職を与えました。
その中で有名なのが「五虎大将軍」で、関羽を筆頭に、張飛、黄忠、馬超、趙雲で構成されたわけなんですが、
そのときになぜ関羽は、黄忠や馬超はともかく、どうして張飛、趙雲と同じ同列に扱われたことに不満を持ったのでしょうか?
詳しく教えていただけるとうれしいです。よろしくお願いします。
単純な質問ですみません。
関羽は、プライドが高く、結構、厳しい人だったようです。
張飛は義弟、趙雲は劉備に仕えて、結構長く、功績も優秀、武力も強い。
関羽も認めていました。
黄忠、馬超は劉備に仕えて、まだ浅く、現代で言えば、中途採用の新人です。
それと、同じ扱いが、不満だったようです。
「関羽」
というと、知勇双全の名将というイメージがあるかもしれませんが、
正史などの記述では
「部下には優しいが、士大夫には傲慢」
と、あります。
他の回答者さまも言及なさっていますが、
とてもプライドが高い人物で
たびたび、士大夫との衝突があったようです。
「張飛」
は、逆に
「士大夫には敬意を表するが、部下にとても厳しい」
と書かれています。
最終的に部下に文字通り
「寝首をかかれて」
いますね。
歴史書の正史(史実)に関する本も読んでみましょう。それには関羽さんはプライドが高く、五虎将とゆう同じ位が納得いかいと不満に怒ったり、目上の名士層や文臣に対して横柄で驕慢であったとあり。文人官僚だけでなく他の武将達からも関羽は、同じ劉備陣営の武将たちに好意を持たれていなかったとゆうヤッカミの強い人物だったことも例が多く挙げられています。馬超が加わった時には自分とどっちが上だと問い、関羽が上だと返事したら、大いに満足してその手紙を人に見せまわったとゆう記述もあります。劉備の武将の中で自分が1位でないと承知しなかったようです(本伝)。
ちなみに小説のお話は歴史を元に劉備を主人公として作られたものなので物語では作られた架空のお話が多々あり歴史の事実を書いたものではありません。さらにマンガ等は小説を元に描かれて作者のオリジナルがさらに入って描かれているものです。
あくまで参考にして下さい
横山光輝氏の漫画「三国志」では
関羽は義弟の張飛と昔からの戦友である趙雲は五虎大将軍であることを認め、
馬超と黄忠は昔から漢中王と戦ってないとして五虎大将軍であることを認めませんでした。
関羽は五虎大将軍のお祝いを伝えにきた使者に馬超と黄忠を否定しましたが最終的には
その使者に「関羽将軍は冠位の為に漢中王にお仕えしているのか」と指摘されて
自分の間違いに気づきました。
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