劉備玄徳は何人妾がいたんですがね。
『正史三国志蜀書』に「皇后伝」の伝が載っているのは、
甘皇后と穆皇后の二人がいます。
①【甘皇后(かんこうごう)】生年不詳~208年
阿斗 (劉禅) の生母。
194年小沛で妻となります。
当時の正妻は糜夫人でしたが、
最も長く連れ添っていたので、奥向を取り仕切ります。
207年荊州に赴き、劉禅を生みます。
208年当陽の長坂で劉禅と一緒に曹操に追われ、
趙雲に助けられ劉禅は助かりますが、
甘夫人は亡くなり、南郡に埋葬されます。
222年蜀に移葬され劉備と恵陵に合葬されます。
②【穆皇后呉氏(ぼくこうごう ご し)】生年不詳~245年
呉懿の妹。
亡父と旧交のあった劉焉を頼り、呉班一家と共に蜀に移住。
劉焉の3男、劉瑁の妻になりますが、
彼が若死にしたために未亡人となります。
その後、劉備が211年益州へ入城した際、
群臣が呉氏を娶るように勧められますが、
「同姓娶らず」という礼教の規定に反するとして、
ためらいますが、法正の説得により、夫人に立てられました。
221年皇后。
223年皇太后。
245年死去し劉備と恵陵に合葬。
以下の2人は他の人物伝に名が見えます。
③【糜夫人(びふじん)】生年不詳~208年。
糜竺、糜芳の妹。『糜竺伝』より
できた賢婦人で、正室の甘夫人とも仲がよかったといいます。
長坂の戦いで、甘夫人の息子である阿斗を抱いて逃げますが、
左足を負傷。
足でまといになることを恐れた麋夫人は、
駆けつけた趙雲に阿斗を預け、
井戸に身を投げて最期を遂げたことになっています。
④【孫夫人(そんふじん)】生没年不詳。
呉の公主。孫堅の娘で孫策・孫権の異母妹。『穆皇后伝』より。
孫尚香という名前が伝わっていますが、
これは京劇で使われる名前であり、
『三国志演義』では孫仁。『三国志』では孫夫人とされます。
それ以外に、
【不明⑤】劉禅の異母弟「劉永(公寿)」の母。
【不明⑥】劉禅の異母弟「劉理(奉孝)」の母。
の6人は確認できます。
劉備玄徳の妾(めかけ)ですか?!
「英雄色を好む」と言われるくらいですから・・・
あれだけの頭脳と行動力そして武芸の持ち主。また、人情もあり、けっこうイケメンであったという話もあります。
それだけ多くの有利な条件を備えた男性はそんなに多くない。
女性にモテない私には、とても羨ましいかぎりです。
浮名を流した女性は数知れず、当然のことながら愛人さんも多かったでしょうね。
普通の将軍でも5~6人はいたはず。
まして劉備玄徳ほどの人物ならば10人近くは、いたと推定できるはずです。
しかし本当に心から愛した女性は、たった一人とか。
その意味では、純愛の持ち主なのかもしれませんね。
その点では私も共感できます。
それにしても、今度は凄いIDにしましたね!(・。・; )
0 件のコメント:
コメントを投稿