2012年3月29日木曜日

劉備玄徳は何人妾がいたんですがね。

劉備玄徳は何人妾がいたんですがね。







『正史三国志蜀書』に「皇后伝」の伝が載っているのは、

甘皇后と穆皇后の二人がいます。



①【甘皇后(かんこうごう)】生年不詳~208年



阿斗 (劉禅) の生母。

194年小沛で妻となります。

当時の正妻は糜夫人でしたが、

最も長く連れ添っていたので、奥向を取り仕切ります。

207年荊州に赴き、劉禅を生みます。

208年当陽の長坂で劉禅と一緒に曹操に追われ、

趙雲に助けられ劉禅は助かりますが、

甘夫人は亡くなり、南郡に埋葬されます。

222年蜀に移葬され劉備と恵陵に合葬されます。



②【穆皇后呉氏(ぼくこうごう ご し)】生年不詳~245年



呉懿の妹。

亡父と旧交のあった劉焉を頼り、呉班一家と共に蜀に移住。

劉焉の3男、劉瑁の妻になりますが、

彼が若死にしたために未亡人となります。

その後、劉備が211年益州へ入城した際、

群臣が呉氏を娶るように勧められますが、

「同姓娶らず」という礼教の規定に反するとして、

ためらいますが、法正の説得により、夫人に立てられました。

221年皇后。

223年皇太后。

245年死去し劉備と恵陵に合葬。



以下の2人は他の人物伝に名が見えます。



③【糜夫人(びふじん)】生年不詳~208年。



糜竺、糜芳の妹。『糜竺伝』より

できた賢婦人で、正室の甘夫人とも仲がよかったといいます。

長坂の戦いで、甘夫人の息子である阿斗を抱いて逃げますが、

左足を負傷。

足でまといになることを恐れた麋夫人は、

駆けつけた趙雲に阿斗を預け、

井戸に身を投げて最期を遂げたことになっています。



④【孫夫人(そんふじん)】生没年不詳。



呉の公主。孫堅の娘で孫策・孫権の異母妹。『穆皇后伝』より。

孫尚香という名前が伝わっていますが、

これは京劇で使われる名前であり、

『三国志演義』では孫仁。『三国志』では孫夫人とされます。



それ以外に、



【不明⑤】劉禅の異母弟「劉永(公寿)」の母。



【不明⑥】劉禅の異母弟「劉理(奉孝)」の母。



の6人は確認できます。








劉備玄徳の妾(めかけ)ですか?!

「英雄色を好む」と言われるくらいですから・・・



あれだけの頭脳と行動力そして武芸の持ち主。また、人情もあり、けっこうイケメンであったという話もあります。

それだけ多くの有利な条件を備えた男性はそんなに多くない。

女性にモテない私には、とても羨ましいかぎりです。



浮名を流した女性は数知れず、当然のことながら愛人さんも多かったでしょうね。

普通の将軍でも5~6人はいたはず。

まして劉備玄徳ほどの人物ならば10人近くは、いたと推定できるはずです。



しかし本当に心から愛した女性は、たった一人とか。

その意味では、純愛の持ち主なのかもしれませんね。

その点では私も共感できます。



それにしても、今度は凄いIDにしましたね!(・。・; )

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