2012年3月27日火曜日

三国志は蜀の劉備、関羽、張飛が主人公で魏、呉は脇役のような感じですね。 中国統...

三国志は蜀の劉備、関羽、張飛が主人公で魏、呉は脇役のような感じですね。

中国統一を果たせなかった蜀が主人公になったのは政治的な配慮などがあったのですか?







話としては過去の歴史物語ですが、現実には明の時代という物語が成立した当時の時代背景が投影されています。



長い中国の歴史でも庶民文化が花開き始めたのは宋の時代ですが、その直後にモンゴルに征服されて元になり、その元を滅ぼして再び漢人王朝に戻したのが明王朝です。

しかし、明を取り巻く環境は厳しいものがありました。前期は倭寇の襲撃が頻発していたほか、中央アジアのティムール帝国に大敗を喫し危うく滅ぼされるところでしたし(ティムールの死で何とか助かっている)、後期には秀吉の大陸侵攻もありましたが、後に清の太祖となる女真族のヌルハチが満州一帯を制圧するなど周囲の状況も不安定でした。

そして、内政的には初代朱元璋を始めとした歴代皇帝の多くが庶民にとっては昔の宋の時代よりも自由が制限された過酷な政治を行っていました。



自由に政権を批判できない庶民は、そこで物語で憂さを晴らしていたという側面があったのです。

つまり、漢の帝位を簒奪しようという逆臣曹操を明王朝に重ねて悪人とし、それに立ち向かう劉備一派の活躍と悲運に自分たちを重ね合わせて快哉を叫んだり涙していたわけです。

同時代の代表的小説の水滸伝はもっとあからさまで、時代背景こそ宋の時代に設定していましたが、アウトローたちが腐敗した役人を成敗するという水戸黄門の中国版とでもいう内容で、それが明の役人に苦しめられていた庶民に大喝采を受けたのでした。



日本でも江戸時代に、多少設定を変えて幕府を批判する物語が数多く作られています。真田十勇士が活躍する真田物などがその代表です。真田幸村の本来の名前は、真田信繁ですが、これも本名を使うのは幕府に対して拙いので幸村という変名が使われ、それがむしろ有名になって現在に至ったたのではないかと思われます。








正史『三国志』と『三国志演義』を分けて考える必要があります。

正史三国志は蜀の遺臣で晋に仕えた陳寿が記します。

こちらは二十四史のひとつに数えられる正式な歴史書です。

(『清史稿』を数えて「二十五史」あるいは更に『新元史』を加えて二十六史とすることもあります)

歴史書は通常、次代の王朝が前代の滅びた王朝の歴史を書きますが、

史記や三国志のように個人が編纂したものが後に正史とされる場合もあります。



正史三国志は晋の時代書かれたこともあり正統は晋の前身の魏とされます。

ただし著者の陳寿が蜀の遺臣であったため孫権は呼び捨で劉備は先主とするなど随所に蜀には気を使って書かれています。

一方の三国志演義は14世紀になって施耐庵あるいは羅貫中が民間伝承や演劇を取材してまとめた通俗歴史小説です。

蜀が漢の再興を旗印にしたのに対し魏は禅譲とはいえ漢を滅ぼしています。

これもあって晋代から既に儒教思想を中心に蜀を是とする考えが出てきています。

民間ではさらに露骨に蜀を善とする傾向があったようです。

これもあって三国志演義では蜀を中心とする構成になったのだと思います。







日本には、判官びいきという言葉があります。源義経をかばう日本人特有の心情のことですが、

日本人は、このように悲劇的な生涯をおくった人物に強く惹かれる傾向があります。

同じように、中国でも実際の勝者でなく、劉備のように史実では敗者であった者に心情的に惹かれたようです。

事実、三国志の登場人物に関する民間伝承では劉備が圧倒的に多かったようで、

それを元に「三国志演義」と言う物語が書かれました。当然物語ですから、

史実もあれば、架空の話も出てきます。多くの人はそれを「三国志」と勘違いしているようですが、

ちゃんと正史としての「三国志」もあります。その中では、曹操が主人公であり、劉備は脇役、関羽・張飛に至っては名前が出てくるくらいで実際にどういう活躍をしたかなど書かれていません。

あくまでも、物語を面白くする為に、史実と民間伝承を元に脚色された物語です。







三国志はほとんど史実ですが、歴史書ではありません。日本の平家物語や太平記も、歴史と言うより小説です。どちらも三国志と同じように敗者を美化して書かれています。

中国では伝統的に、ある王朝(中国では皇帝なので皇統とでも言いましょうか)が滅んだ後で、その後を引き継いだ権力によって、歴史が書かれているようです。

三国志は、普通に知られているよりも(私が知っているよりも)長く、範囲の広い物語で、登場する主な人物も多い物語です。

古代中国では、物語は歴史より数段格式の劣るものとされているみたいなので、比較的自由な発想で書かれているのかも知れません。







三国志演義は、明の時代に書かれた中国の通俗歴史小説です

羅貫中が 三国時代を題材とする講談を集大成して創作されたとされています。

創作・小説 という事からわかるように、かなり面白く脚色されております。



政治的配慮という事では無いと思います。







あなたが言っている三国志とは、正確には三国志演義です。簡単に言うと三国志を題材とした舞台の台本です。ゆえに史実とは違い、善悪を形成し主人公を作った「物語」です。主人公にする上で、何でも出来るスーパーヒーローよりも、無一文から成り上がった人の方が面白いから劉備を主人公にしたのでしょう。

歴史書である三国志とは全く違う部分があります。

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