三国志で劉備は漢室復興を掲げて戦っていましたが当時はナショナリズムなんて概念無いはずで、人民にとってはトップは誰でもいいはずなのに、皆従っていたんでしょうか
曹操が中央政権を掌握していて漢室は続いていたし、戦力差も圧倒的だったのにみんな心の底から本気で戦えていたんでしょうか。
近代的なナショナリズムは国家主義と訳されることもあって勘違いされることもありますが、国家統合のための国民による運動ととらえるほうがより適切です。
対して三国志の時代のそれは士大夫ナショナリズムとでも呼ぶほうが実態に近く、国民を運動の主体とは考えていませんでした。民衆の側からみても、為政者は寛容なほうがよいと考えこそすれ、天下国家のイデオロギーはほぼ関心の外であったと思われます。戦争における士気は基本的に報酬や扇動によって維持されていたと考えたほうがよいでしょう。ただし当時の民衆にナショナリズムはなくともパトリオチズムはありますから、愛郷心に基づく民衆の戦争がなかったとは言い切れません。
まず最初に申し上げておきますが、人民(一般庶民。農民や兵士たち)は全く無関係です。
現代日本のように「誰でも読み書きができて、為政者の名前もその政策もある程度知っている」ような世界ではありません。大半の人々にとって県令(町長)や郡太守(県知事)などはみな「偉いお役人さま」でしかなく、州刺史・州牧はもちろん皇帝なんかは自分と住む世界が全く違う「天上界の住人」でしかありません。
一般庶民は読み書きもできず毎日自分の仕事(農業や工業)に精を出すだけで、天下国家の行く末など気にしていません。ただ平和で、毎日ご飯が食べられればそれでいいんです。
質問者さんのおっしゃるように「人民にとってはトップは誰でもいい」のです。
では、誰が劉備の漢室復興の理念を支持していたか。
それは「読み書きのできる知識人たち」です。
読み書きができるという事は、ただ生きていくだけではなく勉学に励む余裕があるという事。その余裕がどこから生まれるかというと、即ち収入の差です。農民や職人は今でいう会社組織などありませんから、みな個人営業で自分と家族を養う程度の収入しか得られません。商いで生計を立てる者も基本的には同様です。つまり高収入を目指すなら官職(公務員)に就くしかない訳です。
しかし官職に就くには読み書きのような教養が必要です。必然的に、官職に就くのはすでに官職にある人物の子弟、という事になります。
要するに、歴史書に名を残すような人々は一部の例外を除いてはそういった知識人層(ある意味で特権階級ですね)に限定され、そういう人達が劉備に味方したり曹操を支持したりして、天下の霸権を争っていた訳です。
それ以外の大半の一般庶民(農民、職人、兵士)は、それらの特権階級の言うがままに支配されていただけなのです。
400年も続いた帝国だったので当時の人たちにとっては漢という国は忘れようと思っても思えない人民の一部となっていたでしょう。
漢の最盛期には6000千万いた人口が三国志時代には900万人にも減っていることから、その繁栄も人々には忘れがたいものになっていたはずです。
漢室復興は実にわかりやすいスローガンだったと思われます。
曹操もそれをわかっていたからこそ自らは帝位に付かなかったわけです。
というか、劉備や孫権は両方とも結局帝位に付いていますし、むしろ、口だけの劉備に比べ、宦官の子孫といわれ馬鹿にされていた曹操こそ義を通して漢室復興に勤めていた最後の忠臣だったのではないでしょうか。
まあ、蜀の民が本気で漢室復興をめざして戦っていたかどうかは分かりませんが、諸侯はその意思があったと思われます。
日本の歴史で言えば、仏様のため(正義のため)に戦えば、極楽浄土にいけるということがあったような感じで、
劉備のため(正義のため)に戦えば極楽浄土にいけるという感じだったと思います。
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