2012年3月23日金曜日

三國志の質問です 劉璋配下にトウ賢という武将がいますよね 彼について質問なの...

三國志の質問です



劉璋配下にトウ賢という武将がいますよね



彼について質問なのですが、




1、横山光輝の漫画では魏延をあと一歩のところで撃ち取ることができませんでしたが、彼は猛将でしょうか?



2、コーエーの三國志では250年代でも生きていたような記憶があります

彼は実は黄忠に射殺されていなかったのですか?



殺されていないならば、彼は劉備に敗れた後、どうしていたのでしょうか?





3、孟達の血族(甥?)だそうですが、孟達が司馬懿に撃ち取られたとき、彼は孟達の反乱に参加していませんよね

トウ賢が孟達を見限ったのでしょうか?





よろしくお願いします







鄧賢、蜀の劉璋の部将。建安18年(213年)、劉璋と劉備の関係が悪化し、劉備の入蜀が始まる。鄧賢は劉璝・冷苞・張任と共に涪城で劉備軍を迎え撃ったが敗れ、綿竹へ後退する。その後、鄧賢はいったん史書から姿を消す。



太和2年(228年)正月、魏に降っていた孟達が再び蜀漢に戻ろうと反乱した際に、その甥の鄧賢も再び史書に登場する。鄧賢は密かに司馬懿に通じ、城門を開いてその軍を迎え入れた。以後、鄧賢の名は史書に現れない。



姿を消していた15年間の動向だが、鄧賢も孟達と同様、まず劉備に降伏して、その後魏に降ったという可能性が高い。ただ、鄧賢については、劉備を経由せず、直接曹操に降った可能性もあり、現在の史料からはこれを完全否定できない。



wikiからの引用です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A6%E8%B3%A2

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