三国志の劉備は漢王族の末裔を自称したそうですが、この根拠は
何だったのですか?玉とか剣とか甲冑や旗とか鏡みたい
ブツを持っていたの?
呉の孫一家は漢の玉爾をゲッツしたといいますが本当ですか
根拠は出自。演義ではムシロ売りと貧乏が強調されているが、劉備の祖父は東郡范県令。これは地方官僚高官で、父親が早くに亡くなったとはいえ、劉備の家は地域で知られた名家で、金持ちだった。どこどこのだれだれだと言えばわかるような家だったわけだ。劉備本人も廬植とか公孫瓚とか、名士と付き合いがあって、最初から無名じゃなかった。無名を強調するのは演義の虚構で、民衆の立場に劉備をおく演出に過ぎない。ただし中山靖王劉勝の末裔という自称は、当時も確認できなかったはずで、その意味で劉備の主張は公式なものじゃなかったが、中国では同姓の人は同門と考える風潮もあるし、中山靖王の末裔と言えば、五万といたわけで、漢の帝室の直系というわけでもないので、別にどうでもよかったというのがほんとうのところだろう。つまり劉備の主張する血統は、本人がそういうだからそういうことにしておいてよいと思われる程度の家柄だ。
玉爾については演義でも読んで。
劉備は前漢の第4代皇帝景帝の子の劉勝の子孫と称しています。
この劉勝は100人以上の子供を作っており、それから400年近く経つと劉勝の子孫は大変な数になっていたでしょう。
だから漢王朝の末裔と言ってもたかが知れているんです。
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