三国志の曹操は名より実をとる男と聞きましたが、どういう意味なのでしょうか? やはり劉備と曹操では方針が違うのでしょうか?
演義の感じだと、曹操は現実主義者、劉備は理想主義者でしょうか。
曹操は位の高い人物に媚びへつらったりしなかったそうです。手っ取り早く昇進するなら高位の人物に取り入ればいいのですが、曹操はそうしたご機嫌取りよりも自分の任務を優先しました。
あるとき、決め事に違反した人物がいました。その人物は高位の人物の息子でそれまで誰も彼の行いを咎める事はありませんでした。ですが、当時衛士(正確な官命は忘れた)をしていた曹操は彼を捕らえ、厳しく罰したそうです。
結果、曹操は実力を認められ、その後昇進を重ねていきました。
現実を見て行動した結果、三国一の領土を得た曹操と、理想を追い求め、幾度も機会を失った劉備。日本人としては曹操よりも劉備のほうに共感が持てるのかもしれません。曹操の生き方はなかなか出来ない生き方だと思いますね。
能力主義ってことですが、別に曹操だけそうしてたわけじゃないんですがね。劉備も孫権もある程度家柄や経歴を無視して登用しています。曹操が決定的に違うのは布告を出して公言したってことでしょうか。
祭り上げられた形だけの高い身分より、権力や権限を取ることだと思います。
生まれ持った環境が違うので方針は違うでしょう。
当時は良くも悪くも儒教の精神が尊ばれ、儒教的に正しい行いをすれば一生を棒に振っても名声を得ることが出来、逆に不倫など儒教に反する行いをした者は能力があっても出世できませんでした。
曹操は名より実を取るとして、「儒教に反するような事をした人物でも能力があれば取り立てる」というお触れを出しています。
このお触れは儒教を重んじた後世の歴史家などからも評判が悪く、三国志演義などで曹操が悪役にされた理由の一つであります。
ようするに現実主義者であった曹操は、儒教的な家柄主義、礼節主義を軽んじて、実務能力を優先したという事です。
0 件のコメント:
コメントを投稿