三国志の武将についての質問です。黄巾党と戦って戦死した劉岱と曹操に仕えて劉備の城を攻めた劉岱は二人とも同一人物ですか?
あと、揚州あたりで太守をしていた王朗と曹操に仕えていた王朗は同一人物ですか?
ほかにも同姓同名の三国志の武将がいたら教えてください。
劉岱は別人です。戦死したほうの劉岱は漢の名族。皇族と言ってもいいぐらいの人物です。超エリート。もう片っ方の劉岱は劉備にしてやられただけの人物。本当にそれぐらいしか分かりません。ちなみにこの2人は字も同じ「公山」です。文句の付けようのない同姓同名。紛らわしいことこの上ないですね。
王朗は同一人物。王朗は孫策に降伏した後、曹操に召し出され北方に帰ります。その後は魏の重臣に登り詰めていきます。
他は許攸も2人いますね。官渡の戦いで兵糧庫の場所を曹操に教えたことで有名な許攸と、杜襲伝に名前だけ出てくる将軍の許攸。正史を調べればかなりたくさんいるはずですよ。
劉岱は別人で、一人は濮陽の太守で秣陵(南京)の太守である劉繇の実兄です。
もう一人は詳しくないので判りませんが別人なのは確かです。
王朗は同一人物です。会稽の太守のとき孫策に攻められて揚州を放浪します。
後に曹操に仕え濮陽太守などを歴任し、孔明に罵倒されて吐血して亡くなります。
劉岱は別人です。
ひとりは青州東莱郡の人で字は公山。後漢末のエン州刺史で、揚州刺史となった劉ヨウの兄です。正史『三國志』劉ヨウ伝には斉の孝王の子孫とあり、前漢の高祖劉邦の長男劉肥の子の斉孝王・劉将閭の子孫という事になります。遠縁ですけど立派な皇族ですね。
董卓にエン州刺史に抜擢されますが、任地に赴くとすぐ反董卓連合に参加します。その後、仲の悪かった橋瑁を殺害し、エン州になだれ込んできた青州黄巾軍(曹操の青州兵の母体)を迎え撃ち、防備を固めろという配下の進言を拒んで決戦を挑み敗死しました。
もうひとりは豫州沛国の人(つまり曹操と同郷)で、こちらも字は公山。曹操に仕えて司空長史となり、劉備が徐州刺史の車胄を殺して曹操を裏切った時に討伐の将として派遣されましたが勝利を得られませんでした。
何が一番困るかって、『三国志演義』ではこの2人は同一人物の扱いなんですよね。確かに姓名どころか字まで一緒だし、しかも活躍時期も微妙にズレてるから何の矛盾も起こらない。
それだけに尚更ややこしいです。
王朗は同一人物ですね。会稽郡太守として孫策に敵対し会稽を追われますが、曹操に招聘されて魏の重鎮となります。
もっとも、本人は「漢朝の臣下」としての節を貫いた硬骨漢で、『三国志演義』みたいに献帝をないがしろにしたりしてませんが。
他に同姓同名の人物なんて大勢いますよ。一例を挙げれば…
王渾(2人)
王双(2人)
王朗(2人)
郭奕(2人)
許允(2人)
許攸(2人)
胡軫(2人)
黄蓋(2人)
徐質(2人)
孫登(2人)
張温(2人)
張休(3人)
張昭(2人)
張南(2人)
陳温(2人)
陳宮(2人)
董和(2人)
馬忠(2人)
李粛(3人)
李通(2人)
劉熙(4人)
劉弘(3人)
劉靖(4人)
劉巴(2人)
呂凱(2人)
最大4人かよ(爆笑)。
確か劉岱は二人いて正史・演技でも人物がごっちゃになっていたと思います。
一人は劉繇の兄で一人は曹操配下の将軍ですね。
王朗は会稽の太守でしたが孫策に倒され、後に曹操、曹丕に仕えて、曹丕の代には三公の一つである司空になっています。
(いちおう于禁を曹操に推挙した同名の人物がいるようですが、ほとんど知られていないひとなのでy…)
あと呉と蜀に馬忠という同名の人物がいますね。
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