三国志の一族袁氏は名門だったんでしょうか?
よく袁氏は名門の家柄だと聞きますが…。
てことは袁氏というのは曹氏や劉氏・孫氏よりも家柄ではトップってことですか?
汝南袁氏、当時は別格ですね。家柄もそうなんですが、得ていた名声が凄かったようです。皇帝直系の劉氏以外を除けばトップと言っていいでしょう。袁紹が皇族である劉岱などの上に立っていたことを考えれば、傍系の劉氏もより格上だったと思います。もちろん劉備よりもね。
他は魏では荀彧・荀攸・荀爽などを輩出した潁川荀家。曹操よりも毛並みが良いような…あとは陳羣の陳氏も官位は無くとも名声が高かったようです。呉では間違いなく周瑜で有名な廬江周家です。陸家などの地方豪族、主である孫家なぞ比べ物になりません。袁氏と同格クラスの家柄です。尚書令の周栄を祖とし、周瑜の祖父で司空・大尉を歴任した清流派の名士・周景、その息子の周忠も大尉、周瑜の父も洛陽の県令。本来なら孫策が頭を下げていてもおかしくないほどの超名門です。蜀は馬援の子孫である馬超、張良の子孫とされる張翼、祖父が名声高かった法正などでしょうか。正直蜀には「名士」はいても「名門」というのは少ない気がしますね。
袁紹を輩出した豫州汝南郡が本籍の「汝南袁氏」は、後漢中期の袁安が直接の始祖と言われ、袁安以来4世代で5人の三公経験者を輩出して「四世三公」ともてはやされた一族です。地位・名声いずれもほぼ最高級と言っていいでしょう。
ただし、家柄は「最高」ではありません。何と言っても皇后も寵姫も出していませんから。その点で皇后を出すどころか皇帝の娘を降嫁されてる済南伏氏、つまり伏完や伏皇后の一族の方が家格としては明らかに上位です。
また楊彪・楊脩親子に代表される弘農楊氏は「塁世太尉」と称されており、荀イクの潁川荀氏や周瑜の廬江周氏も三公輩出経験があり袁氏に劣らぬ家格です。名声では陳羣の潁川陳氏、鍾ヨウの潁川鍾氏、裴潜の河東裴氏、司馬懿の河内司馬氏もひけを取らず、何よりも孔子の直系たる魯国孔氏が最高です。
さらに皇族として劉岱・劉ヨウ兄弟の東莱劉氏、劉焉・劉璋親子の江夏劉氏が名族であり、劉表や劉虞も皇族として高い名声を得ています。
つまり汝南袁氏は間違いなく名族ではあるけれど、家格・名声において飛び抜けていた訳ではありません。
曹操の沛国曹氏は漢朝の重臣の家系ではありますが、宦官を輩出した事もあり名声はさほどでも無かったはずです。夏侯惇・夏侯淵らの沛国夏侯氏に至っては長らく没落していたようで、中級の家格でしかありません。
劉備の琢郡劉氏はそもそも得体の知れない怪しい一族で、劉備の父や祖父の官位を見る限りは一地方豪族に過ぎません。孫堅の呉郡孫氏は実態としては呉郡の下級地方豪族といったところでしょう。
ちなみに孫堅が「孫子の末裔」だと名乗った事実はありません。正史『三國志』呉書孫堅伝冒頭で、陳寿が「おそらく孫武(孫子)の子孫なのであろう」と推測を書いちゃっただけです(爆)。
以前、袁家の由来について私が質問したことがあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454118939
それがこちらですが、袁家というのは、元々帝舜に繋がる家柄であり、春秋時代は陳の国を治めていた君主でした。
ですから、皇帝の劉氏なんて目じゃないくらいの名家です。
元々劉邦が農民の出であったのに対し、袁家は古代より君主の家柄ですからね。
漢の時代は特に家柄が重視された時代でもありますから、四代に渡って三公を輩出したのも、単に優秀だったというだけではないのです。
陳羣なんかもこの陳の国の出ですから、袁氏とは先祖が同じですね。
まぁ、勿論、何百年も経てば、血は薄れていきますから、帝舜に繋がるなんていう人もこの時代には掃いて棄てるほど居たと思いますが、袁家の場合は、陳氏の傍系ではあったモノの、こうして数百年以上にも渡って残っている(例えば劉備なんかは中山靖王から数えてもたった300年ほどで没落してますから、それと比較しても凄いことです)わけですから、その点からも尊敬を集めたと言えるでしょうね。
名門ですよ~。漢朝の最高官職である司徒などの要職を4代にわたってつとめた。
だいたい先の回答者さんのおっしゃる通りですが、君主の家柄より家臣の家柄の方が高いんですよ。
諸葛一族、司馬一族、虞翻一族、陸遜など陸一族、楊脩一族…。あげていったらキリがないよ~な。
袁氏は後漢末期に4代にわたって三公(国政の最高位)を輩出した名家です。
曹氏は祖先をさかのぼれば前漢創立の功臣曹参につながりますが、曹操の祖父曹騰は宦官のため、同じく前漢功臣の夏侯嬰の子孫の夏侯氏からの養子が入っています。
曹氏自体は名家ですが、宦官の子孫ですので、当時はかなり差別されていたようです。
劉氏は皇帝の家系ですが、劉備の祖先中山靖王劉勝はかなりの精力家で、孫を含めて100人以上の子孫を残したとされています。そのため、後漢末期には劉勝の子孫をなのる人物がかなりの数いたそうで、劉備のそれはかなり怪しい出自ということです。
(正直いって劉表や劉璋、劉曄のほうが血筋としては皇帝に近かったはずです。)
孫氏は孫氏の兵法で知られる孫子(孫武もしくは孫臏)の子孫を称していますが、これもかなり怪しい出自ですね。
袁氏、曹氏、劉氏、孫氏を出自のよさでみると、劉>曹>袁>孫です。
もちろん劉氏は皇帝の血筋ですから家柄としてはトップですが出自の怪しい劉備の家柄は疑問です。
また、袁氏は直近の政治の中心であり、一番勢いのある家という意味では当時の家柄としてはトップでしょう。
曹氏は伝統のある家柄ですが、宦官の家系である点がマイナス、孫氏は論外…議論の対象にすらならないですね。
この中だと劉・猿・曹・孫の順。
劉は皇族、猿は三公輩出、曹は宦官。
孫は自称孫武の子孫で確たる系譜はない。
他の名家と言えば筆頭は旬氏。
あと有名どころは「江東の四氏」。
あとは楊(楊修)・王(王燦)あたり。
0 件のコメント:
コメントを投稿