2012年3月18日日曜日

三国志の主人公が劉備や諸葛孔明だと思っている人が多いのはなぜですか?

三国志の主人公が劉備や諸葛孔明だと思っている人が多いのはなぜですか?







もともとは三国志演義が劉備主人公だったためでしょうが、

実際には演義を元にした横山さんのマンガ三国志や人形劇三国志などの

影響をうけている年代が多いからではないでしょうか。








「正史」とは、陳寿の『三国志』に記述されている事柄のことであり、『三国志』が王朝公認の歴史書(すなわち正史)に認定されたことから使われる呼び名である。しかし、三国志の物語として知られる事柄は少なからず明代の白話小説である『三国志演義』によって創作されたものである。『三国志演義』は三国時代の治乱興亡について歴史小説として高いレベルのリアリティをもって描いており、読者の多くが『三国志演義』の記述が史実であると思い込む傾向がある。しかし、『三国志演義』には少なからず説話本や雑劇から取り込まれた部分あるいは作者自身による創作が含まれている。また、登場する地名・官職名・武器防具などは三国時代の時代考証からみて不正確なものも多い。正史の受容『三国志』は、信頼性の乏しい情報を極力排して簡朴明解な記述を行ったため、「質直さにおいて司馬相如を超える文章(「陳寿伝」に載せる范頵の上表)「人物評価に見るべきものがあり、記事は公正正確なものが多い」(裴松之「上三国志注表」)などの高い評価を受けた。しかし南朝宋の裴松之がその簡潔すぎる記述を惜しみ、当時存在した諸種の文献を引用し注釈を作成した。『三国志』とこの裴注、また『後漢書』、『晋書』、『華陽国志』、『世説新語』などに散見する三国時代の記述が三国志の史実世界を構成している。『三国志』の戦乱と激動の記録は後世、特に唐宋の文人の詩想を大いに刺激した。『三国志』をモチーフにした詩詞としては杜甫「蜀相」、杜牧「赤壁」、蘇軾「赤壁賦」、陸游「書憤」などが特に名高い。三国はそれぞれ正統性を主張したが、魏から禅譲した西晋の勝利に終わると、魏の正統が主流になった。西晋にとっては、魏の正統性がよりどころの一つでもあるから当然のことであった。しかし、南北朝時代に入り、晋が全国政権ではなくなると(東晋)、習鑿歯が蜀漢正統論を唱え、次第に注目されるようになった。宋代には三国のうちどの国が正統であるかという、いわゆる「正閏論」が盛んになり、司馬光(『資治通鑑』)・欧陽修(『明正統論』)・蘇軾(『正統弁論』)らは中国の過半を支配した実情から魏を正統とした。しかし、「正統」を決めようすること自体が現実的側面よりは観念的・倫理的な側面の強い議論であり、結局は観念論に基づいた朱子の蜀漢正統論(『通鑑綱目』)が主流となっていった。この歴史観は朱子学の流布と共に知識人階層に広まり、劉備を善玉とする『三国志演義』の基本設定に一定の影響を与えた。清代に考証学が盛んになると、王鳴盛『十七史商榷』・趙翼『二十二史箚記』・銭大昕『二十二史考異』・楊晨『三国会要』など多くの研究が著された。これら考証学の成果は民国に入って盧弼『三国志集解』によって集大成された。また、三国志時代の社会経済等については、同じく民国の陶元珍の『三国食貨志』(上海商務印書館 1934年)がある。『三国志演義』は通俗歴史小説の先駆となり、これ以後に成立する『東周列国志』『隋唐演義』『楊家府演義』などに大きな影響を与えている。『三国志演義』自体の続編としては晋代を舞台にした酉陽野史『続編三国志』がある。また民国に入って、周大荒が蜀漢が天下を統一するように改作した『反三国志』(卿雲書局 1930年)というパロディ小説がある。『三国志演義』は、手軽に手に入り読むことができ、また戦略の成功・失敗例が明解に描かれているため、いわば「素人向け兵法書」としても重宝された。張献忠・李自成・洪秀全らが農民反乱を起こした際、軍事の素人である彼らは『三国志演義』を「唯一の秘書」としたと言われる(黄人『小説小話』)。また初期清朝は、満州貴族達の教育に有用な漢籍を「官書」として満州語訳したが、『三国志演義』も順治7年にダハイによって訳されている。近年の奇書として成君億『水煮三国』(中信 2003年)がある。これは三国志の人物を現代世界に登場させ、ビジネス戦争を勝ち抜いていくというパロディ小説であり、未曾有の経済発展を続ける現代中国において『三国志演義』はビジネスという群雄割拠の戦乱を勝ち抜く兵法書とみなされた。







それは羅貫中が書いた『三国志演技』からで、唐や宋の時代になるとかつての華北や中原は異民族にたびたび侵食され漢民族は揚子江まで後退したことにより、中原の奪回を目標とした自分たちと、昔、魏に奪われた中原を奪還しようとした劉備・諸葛亮を重ね合わせたことにより。

自分たち漢民族=中原を取り戻す=劉備・諸葛亮⇒頑張れ!ってことになったんじゃないでしょうか?



また中原を犯した異民族と華北・中原に君臨し、後漢皇帝を利用した曹操の姿とも重なり、曹操=異民族=敵だ!っていうのも関係するかもしれません。







三國志「演義」で、劉備は漢の正当後継者、

曹操は王朝を乗っ取った悪者のように描かれているからではないでしょうか。

ちなみに「正史」では、魏蜀呉が独立して編集され、各国の有名人物に付いて

「○○伝」という形で編集されていますが、三国の皇帝の記述に加え、ここでも、孔明は別格のようです。

しかし、編者の陳寿が晋の臣下であったためか、

「後漢の献帝から禅譲を受けた魏」が正当な王朝として扱われているようです。

(晋は魏から禅譲を受けたため。)







『演義』小説の影響でしょうね。

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