「三国志」では劉備玄徳や諸葛孔明がヒーローとして描かれる事が多いのですが、それは何故なのでしょうか?
玄徳や孔明がヒーローとして捉えられるのは「三国志演義」においてです。
「正史三国志」は魏の後継である晋の時代に書かれていることもあり魏を正統としたため後代に批判されています。
「演義」は三国志を題材とした民間伝承や演劇をまとめた通俗歴史小説です。
このため善悪をはっきりさせた構成になっています。
そのなかで蜀を善玉、魏を悪役としているのはやはり蜀が漢の再興を掲げたのに対し、魏は漢の帝位を簒奪していることが大きいと思います。
形としては禅定(平和裏に譲られた)という形をとっていますが実質は強要でした。
このため魏の基礎を固めた曹操などは不忠の悪臣というイメージが強いのでしょう。
それと対比するかたちで玄徳や孔明の忠義・人徳が強調されたのだと思います。
陳寿が著した史書『三国志』の蜀書先主伝には、劉備は情に厚く人望がある人物で漢の高祖劉邦を思わせるものがあり、「英雄之器」を持った人物であったと書かれている。つまり任侠の風あるならず者、人情味のある親分肌の人物という一面を持っていたのであり、三国志演義が描く信義に厚い聖人君子のような人物像とは相違がある。
三国志は魏を正統王朝として書かれているが(陳寿は蜀に仕えたが蜀の滅亡により晋に仕え、この時三国志を完成させた。)、三国志演義は蜀が正統王朝としており、ここに史実観の違いが見え隠れする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%82%99
私は専門家ではないので詳しくはわかりませんが、劉備には『人徳』があったとされているからではないでしょうか。また、諸葛亮は劉備に力添えをしているからでは。
母体となっている『三国志演義』が、劉玄徳を善人、曹孟徳を悪人、諸葛孔明を天才としているから、自然とそうなるのです。
三国志演義でですね。
善玉、悪玉にはっきり色分けした方が物語として、大衆受けするからでしょう。
で劉備、孔明が善玉で、曹操を悪玉として描いたのです。
それはいわゆる「判官びいき」というやつで、弱いものが強いものを倒すという構図が、一般的に好まれるからです。
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