2012年3月11日日曜日

三国志の劉備か劉禅は、諸葛亮孔明に皇帝の位を譲る気がなかったのでしょうか? ...

三国志の劉備か劉禅は、諸葛亮孔明に皇帝の位を譲る気がなかったのでしょうか?

また、諸葛亮孔明を皇帝にする動きはなかったのでしょうか?







ありえませんよ~^^

そもそも孔明に皇帝になる気なんてなかったでしょうから・・



孔明は細かい所にも気を配れる補佐役でこそ、その能力が発揮できるタイプ・・

それに徹したからこそ、あそこまでなれたと思います・・

孔明自身が皇帝は無理って一番分かってたはずですよ・・

もし皇帝になってたら・・色んなことに気を使いすぎて自殺したかも^^



劉備が孔明に子供を託したのは、その性格を熟知してたからですよ・・

劉備が漢王朝の末裔と言っても、それが眉唾ものと言うのは、

誰もが知っていた、公然の秘密だったはず^^

まだまだ俺がっていう野心をもった武将もいたはずでしょうからね・・



魏延の野心の本心を見抜いてたのは、多分劉備の方だったと思いますよ・・

漢王朝が晋王朝になって初めて統一されたことからも、乱世の気風は続いてんです・・



それに禅譲というのは、本来ありえません・・

脅しに屈して、保身を図るために、形式的に行うものです・・

自分からやったら、ほんとの馬鹿息子って言われたでしょうね^^



まあ後世の人からは、さすが劉備の子ってほめられたかも^^








その様な動きは無かったですが、劉備は死の床で「劉禅がダメだったらお前が位についてくれ」みたいな事を言ってたように思います。

間違ってたらすみません。







ありえません。蜀は正式には漢を自称しており、「漢王朝を継ぎ、漢皇帝を迫害、殺害した魏を討伐する」ことが存在根拠でした。

(ちなみに漢の最後の皇帝は殺されておらず、その生存中に即位してしまったことは蜀(漢)の瑕となっています。また、呉との連携がうまくいかないのも、呉もまた漢王朝に反逆した自称皇帝だからです。)



つまり、諸葛亮にあとを継がせることが勢力の存在意義の解消に等しいのです。劉備の人生の否定といえます。たとえ血縁があっても姓の違うものは同じ王朝を継げませんので、当然「漢」の旗も降ろすことになります。



ところで、質問者の方は皇帝になったほうが独裁権を振るえて便利だ、とお考えかもしれません。

しかし、皇帝とは天地や祖先神に仕える存在で、多くの儀式に時間が費やされます。独裁権こそあれ、自分の身柄は自由ではないのです。歴史上も皇帝の多くは首都から離れず、親征はかなり稀な、格別に本腰を入れた行為です。

諸葛亮は戦陣にいながら政務を裁ける有能な人物ですが、皇帝になったら時間が制限されるうえに前線で指揮を取ることはできない、ということです。無理に皇帝にする利益はありませんね。







無いでしょうね。

孔明を皇帝にする、という家臣団の動きも無かったでしょうし、孔明自身にも皇帝になる気は無かったでしょう。

劉備・劉禅が皇帝となった国は「蜀」という呼び名が定着していますが、本当は蜀ではなく「漢」です。曹氏一族の魏に簒奪された漢王朝を復活させるために、漢の皇帝と姓を同じくする劉氏が自らの皇帝の後継としての正当性を主張し、「魏という国に正当性は無い」と対抗する意図で建てられた王朝なのです。後世の物語等ではこれを「漢」と言ってしまうと、物語の前後関係がわかりにくいので「蜀漢」とか「蜀」などと呼んでいるのです。

つまり、皇帝は劉氏でなければ漢王朝(蜀漢)の存在意義が無いのです。孔明が皇帝になる大義名分はありませんから、もしも皇帝になっても国を纏めることは出来なかったでしょうね。



ところで気になったのですが・・・

「諸葛亮孔明」という名前の書き方は正しくありません。

「諸葛亮」又は「諸葛孔明」と書くのが正解です。

姓が諸葛で名が亮、字が孔明というわけですが、字というのは名を呼ぶ事を避けるためにつけられた通称です。したがって名と字を両方繋げて書くという表記の仕方はありません。三国志関連のマンガ等でもしばしば「関羽雲長」などという表記を目にしますが、それも間違っています。「関羽」か「関雲長」が正解です。







九錫が諸葛亮に与えられようとしていましたが、諸葛亮は「北伐が完了したら」と辞退しました。



また、いかに劉禅がお人好しでも、自分から臣下に帝位を譲るほど馬鹿ではありません。

玉座を降りて、昨日までの臣下に頭を下げなければならないわけですから。



能力主義の現代と違って、当時は筋目(正当性)論がはるかに厳しい世界であり、もし諸葛亮が帝位につけば理由はなんであれ「臣下が帝位を簒奪した」と内外から激しい非難を受けたでしょう。



また、諸葛亮を皇帝にしよう=帝位の簒奪を助ける輩=劉氏に対する反逆、ですから、表立ってそんなことをやる第三者はほとんどいなかったでしょう。

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