三国志の劉備が
光栄の三国志シリーズなどで
魅力以外、やたら過小評価というか微妙なのは何故ですか?
各有名武将たちの間を渡り歩くも無事で評価を下げない政治力や
「髀肉之嘆」で言うように 若い頃は指揮をしながら…かどうかは知りませんが
最前線で戦い続け 大きな怪我もせず生き抜いた武力に統率力もあります。
(むしろ官位からして、曹操の方が最前線に少なそう)
もっとも、大部隊を率いた経験が無さすぎて夷陵の戦いでボロがでたというか やらかしましたが
くぐりぬけた戦の数も多く、百戦錬磨というか最低限、戦上手ではあると思います。
また、有名な話ですが、馬謖や魏延などの件から人柄を見抜くことにも長けていたとも言われています。
個人的に「人徳だけ半端無いけど、あとは無能」「魅力だけの人」という風潮に納得いかないのですが・・・
不思議なのは、誰もが官渡時での曹操と袁紹の戦力差は注目するのに、劉備と曹操との戦力差は見ない事なんですよね。
陶謙に助太刀した時、劉備は烏桓の騎兵千と難民しか持たず、更に陶謙が用意した兵を併せて五千のみ、対して曹操は青州の黄巾兵を軍に容れ、更に袁紹の援軍付きの状態で徐州を攻撃しています。二州対一州ではさしもの陶謙も敵う筈無く、劉備等の小勢力ではもっての外。これで曹操を退けられたのが奇跡としか云いようの無い戦なのです(偶然の賜物では無いかと云う方もいますが、そんな事を云ったら官渡の戦いとて、許攸の偶然の離反無くば曹操に一切の勝ち目は残っていませんでした。荀彧の予想にも疑問符が付く点があり、これは廿二史箚記を記した趙翼に言及されています)。200年に行われた徐州戦も、当時三州を治めた曹操と、疲労困憊甚だしい徐州しか持ち合わせぬ劉備との戦い。当然ながら、七万から八万(張大可の三国史研究から数を拝借)の大軍を持つ曹操には敵いません、まずもって無理です。寧ろ、これで自軍の将帥を一人たりとも死なせる事無く無事冀州へ逃れた劉備の手腕は評価されて然るべきでは無いでしょうか。
第二に汝南の戦、緒戦での袁紹の兵の扱いに慣れぬ為の敗戦を除けば比較的善戦し、袁紹を退けた曹操が全力で攻撃を開始するまで拠点を維持しています。そもそも、劉備が汝南へ赴いたのは曹操陣営の撹乱の為であり、曹操陣営の戦力が分散された時点で劉備は良く仕事をこなしたと云えます。曹操と決戦せず荊州へ遁竄したのも、情勢を見極められる劉備の智力の賜物でしょう。
劉表死後の荊州戦。そも、劉備は当時劉表の客将であり、劉表の継承者たる劉琮が曹操に投降したのであれば放浪軍に逆戻りです。放浪軍になれば曹操に対抗出来る程の戦力を維持は不可能なので逃走は賢明な手段でした。
こうして振り返ると、劉備が敗北続きなのは十分な地盤を確保している時期が少なく、対抗馬たる曹操よりも苛酷な状況での戦闘が多かった為と推論出来ます。
そして、十分な基盤を持った状態での劉備軍はどうか?大勢力、大兵力を誇った袁術と互角の戦いを繰り広げ、夏侯惇・于禁を謀って大勝し、赤壁で曹操の野望を蹉跌させ、荊州四郡を制圧し、益州を陥落。最終的には定軍山で張コウ・夏侯淵を大破して、援軍としてやって来た曹操をすら退却させてしまいました。
大敗と云われる夷陵の戦いでも、四万の王師で出兵して五万の陸遜と一年間に渡って戦い続ける事に成功しました。正史の記述では、到底戦下手としての劉備は浮かんで来ず、例え小さくとも勢力さえ有れば曹操すら抗し得ない名将としての彼の実像が浮かんで来ます。かっては諸葛亮等が持ち上げられた様に、現在は魏の将軍等が評価され通しですが、その為に劉備等が不当に蔑まれる様はまるで昔の再現をブロードウェイで長々と見せ付けられている様です。
適うならば、全ての武将が再評価され、かつ蔑まれる事の無い世が到来する事を望みます。
三国志の武力とは単純の力です
だからどうしても一騎打ちの強い順みたいになる
劉備の一騎打ち私の記録にはないです
60から70は妥当の線ですよ
曹操と劉備の差ですが元悪友と草履売りのイメージの差です
実際は五分五分ですかね
でも曹操も確か武力高くても80以下ならまあいいと思います
実際に人徳が最大の売りです仕方ないです
知力は高くても88ですねそれも始めの張角時代の評価です
その後感心するほど頭がいい印象がないです まあ80前後がだ妥当ですね
最後に人徳ですが本当はもっと悪い人だと思います
あの呂布ですら油断できないと言うほどの男です
実際は民を洗脳していたかもしれませんね
そもそも三国志事態が善が劉備で悪が曹操として恨み半分で書いたものです
大人の人ならいろんな本を読めばわかりますよね
最後に個人的な劉備の能力です
武 知 魅 政
67 88 92 80
光栄の三國志シリーズは、基本演義ベースで能力値が決められるので、止むを得ないかと。演義では、魅力以外取り柄が無いのが特徴のような人物として描かれているので。
ただ演義ベースで考えると、武力はもう少し高くてもいいような気がします。関羽、張飛と三人がかりとは言え、あの呂布と打ち合っていますから。少なくとも演義では、一騎討ちはおろか逃げ回ってばかりの曹操より低いというのは納得がいきませんよね。
史実ベースで考えると、曹操は常に最前線に居たので、武力が高いのは納得できます。
ただ今度は劉備の統率、知力の低さが目立ちます。
他の回答者の方が書かれているように、魏の名将である夏侯惇、于禁、李典の三人を手玉に取ったり、他にも副将クラスを相手にした場合は結構勝率がいいんですよね。
負け戦は大抵相手の総大将+主力を相手にした時で、劉備の方が兵力が少ない場合が多く、よく見ると劉備の評価を下げる要因にはならないような気がしますし。
最後に政治力ですが、徐州に居た時は関羽が、荊州や益州では諸葛亮や法正が実質政務を執っていて、劉備はあまり関わっていなかったようなので、まあ妥当な線かと。
劉備がまともに指揮をとった場合
董卓戦は一部将扱い
呂布戦 負け、その後は曹操指揮下
袁術 勝ち
徐州曹操戦 負け
官渡 負け
新野 徐庶指揮
荊州 逃亡
益州 負け、諸葛亮援軍にて勝ち
漢中 諸葛亮指揮
夷稜 負け
農民(黄巾)以外はほぼ負け、これで武力や指揮が70~80は高すぎでは?
政治は南蛮を帰順させたり徐州、益州などで評判よかったみたいなので70~80で問題なしと思いますが。
曹操のような「自分で何でも出来そうな」タイプよりも
劉邦のような「自分は動かず、自分よりも優れた人物がする」方が
劉備に合うから中途半端に高い数値は設定していないのだと思います。
加えて徐庶が出てくるまでは「軍師」らしい人物もおらず
(司馬徽にツッコまれてる…)相談役は関羽だけでなく
簡擁のイメージがあるのでヘタすると彼以下の知力になりかねない。
評価しづらいからでしょう
私も過小評価との印象はありますがだからと言って並み居る勇戦した将軍と比べると劉備の能力がはっきりしないので評価しづらい部分があるので判断に難しいのだと愚考します
各有名武将たちの間を渡り歩くも無事で評価を下げない政治力>これは政治力というよりも生き残る才覚だと思います
政治力でいったら流浪を続けており決して評価は高くならないでしょう(演義ならもう少し正史より低くなる)
寧ろ政治力より知力なんでしょうがゲーム中の軍師格と比べるとこれも評価に困る
まあ政治力もありそうですが(益州にもとにいた家臣を含め蜀を上手く治めてたので)
伝を見ても演義でも武勇は突出した評価をしにくい
しいて評価できるとしたら統率力でしょう
劉備は伝に評価しやすい戦いに博望での勝利(夏侯惇・于禁 李典)がありますが夷陵の戦いで大敗
こrでは評価に困ります(演義では劉備の能力は関係ない無能状態ですし更に評価できない ゲームの評価は演義より)
結局一番評価しやすい魅力を高めに問題なく設定できるので魅力だけの人となってしまうのでしょう
正史でなく演義の補正が入っているゲームなら尚更です
seisuruwaseisui様>新野が徐庶指揮になっているので演義仕様の判定だと思いますが漢中の諸葛亮指揮は演義でも正史でも違うと思います
徐州曹操戦
荊州 逃亡は戦力差がありすぎて評価に値しないと思います(寧ろ死なずに済んだのですから評価に値するレベルです 逃げる能力だけですが…)
曹操と比べるなら武力は低くなる 正史では曹操の方に武勇が分かる注(魏書)がある
劉備は演義でも正史でも難しい よって曹操より低いのは仕様が無い(演義なら曹操と同格で大体問題ない)
演義メインの正史の補正も少し入っているゲームでは劉備のあのデータはまあ納得できる内容になってしまうのではないでしょうか
正史に近づけるなら知力をちょっと上げて政治もちょっと上げて統率ももう少し上げても良いですが魅力が突出してるという評価は変わらないと思います
やはり劉備を強くすると
劉備軍最強になっちゃうんじゃないですか?
曹操は信長
劉備は秀吉
こんな感じじゃない?
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