2012年3月11日日曜日

「三国志演儀」に見える 劉備の馬、的廬のような馬を 乗りこなすには、 どうす...

「三国志演儀」に見える



劉備の馬、的廬のような馬を



乗りこなすには、



どうすればよいでしょうか?







ある資料によると、



関羽の馬、赤兎馬も

劉備の的廬も




雌馬のようです。







お願いします。







的廬も赤兎馬も雌馬だったというのは知りませんでしたが、

演義的に言うと、

あまり雄雌は関係はなく、乗る人間を選んだと言われるように

乗った人間が馬との合性が合えば、

駄馬にも名馬ともなるのではないでしょうか?



的廬は凶馬とかいうのも、都市伝説ですから、

乗りこなせないかも知れないって、

深刻に考える必要はないと思いますが・・・。



これまた、演義的に言うと、

赤兎馬は呂布や関羽が乗った馬ですから、

それなりに体格があって、

胴長短足だと乗ることは物理的には無理だったでしょうが、

(例えば胴長短足とされる孫権などが乗れたかどうか・・・。

でも、

その孫権が張遼からの追撃からの危機を救った

「快航」という名馬も乗れましたし・・。 )



的廬は、手が長かったとされる(関係ないか)劉備が乗って、

壇渓(川幅数 10尺、流れもきつい)を飛び越えたということは

それなりの体格があれば乗ることは、

物理的に可能な馬だったということですね。



《追記》

ご存知かもしれませんが、

「的廬」は固有名詞ではありません。

額に白い星がある馬を総称して「的廬」と呼んでいるので、

馬の種類とか、競走馬の事など知りませんので、

現在も「的廬」と呼んでいるかは不明ですが、

演義的に言えば、

馬を見た蒯越が

「眼下に涙漕があり、額辺に白点がある。これを的盧といい、

乗り手に祟りをなす馬である」と忠告します。

劉備が名付けたわけではありません。

後漢から東晋までの逸話を集めた「世説新語」にも、

東晋の「庾亮:ゆりょう」も「的廬」の馬に乗り、

他人を乗せれば~ではありませんが、

人に売れば~といわれて断った話が載っています。

壇渓を飛び越えた事は「正史」にも見えます。



「赤兎」は赤くて正面から見たら顔が兎に似ているから(異説あり)

の愛称みたいですが・・・。








劉備の愛馬的盧は、凶馬で馬主に祟ると言われています。徐庶の言うように他人に乗せて災いがあった後に乗れば、乗りこなせるかも知れません。ただ劉備は、そんな真似が出来るか・・・と怒っていますが、その後の的盧は行方不明となっています。

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