「三国志演儀」に見える
劉備の馬、的廬のような馬を
乗りこなすには、
どうすればよいでしょうか?
ある資料によると、
関羽の馬、赤兎馬も
劉備の的廬も
雌馬のようです。
お願いします。
的廬も赤兎馬も雌馬だったというのは知りませんでしたが、
演義的に言うと、
あまり雄雌は関係はなく、乗る人間を選んだと言われるように
乗った人間が馬との合性が合えば、
駄馬にも名馬ともなるのではないでしょうか?
的廬は凶馬とかいうのも、都市伝説ですから、
乗りこなせないかも知れないって、
深刻に考える必要はないと思いますが・・・。
これまた、演義的に言うと、
赤兎馬は呂布や関羽が乗った馬ですから、
それなりに体格があって、
胴長短足だと乗ることは物理的には無理だったでしょうが、
(例えば胴長短足とされる孫権などが乗れたかどうか・・・。
でも、
その孫権が張遼からの追撃からの危機を救った
「快航」という名馬も乗れましたし・・。 )
的廬は、手が長かったとされる(関係ないか)劉備が乗って、
壇渓(川幅数 10尺、流れもきつい)を飛び越えたということは
それなりの体格があれば乗ることは、
物理的に可能な馬だったということですね。
《追記》
ご存知かもしれませんが、
「的廬」は固有名詞ではありません。
額に白い星がある馬を総称して「的廬」と呼んでいるので、
馬の種類とか、競走馬の事など知りませんので、
現在も「的廬」と呼んでいるかは不明ですが、
演義的に言えば、
馬を見た蒯越が
「眼下に涙漕があり、額辺に白点がある。これを的盧といい、
乗り手に祟りをなす馬である」と忠告します。
劉備が名付けたわけではありません。
後漢から東晋までの逸話を集めた「世説新語」にも、
東晋の「庾亮:ゆりょう」も「的廬」の馬に乗り、
他人を乗せれば~ではありませんが、
人に売れば~といわれて断った話が載っています。
壇渓を飛び越えた事は「正史」にも見えます。
「赤兎」は赤くて正面から見たら顔が兎に似ているから(異説あり)
の愛称みたいですが・・・。
劉備の愛馬的盧は、凶馬で馬主に祟ると言われています。徐庶の言うように他人に乗せて災いがあった後に乗れば、乗りこなせるかも知れません。ただ劉備は、そんな真似が出来るか・・・と怒っていますが、その後の的盧は行方不明となっています。
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