『三國志』の劉備玄徳が自分の親で主君だったら、たとえ弱くても蜀に仕えますか。
いつの時点かにもよりますが、陶謙に徐州を譲られた直後と呂布討伐直後の右将軍就任時、赤壁以後なら仕えても良いと思います。
それ以外の期間の劉備は流浪勢力の頭目に過ぎず、絶対的な根拠地を有していません。要するにゲリラ勢力のボス…現在でいえばタリバーンの親玉ウサマ・ビンラーディのような存在です。
股肱の忠臣という位置も捨てがたいのですが配下になるにはリスクが高すぎます。
狙い目は赤壁直後でしょう。劉備はこの後勢力を急拡大しますので、人材はいくらあっても足りません。また、荊州時代に劉備幕下に加わることで、諸葛孔明に近づくことができ蜀政府の中枢に入ることが可能となるからです。(蜀の中心はほとんど荊州出身の人材でした)
うまくすれば諸葛亮の死後に費禕、蒋琬、董允クラスの重鎮に…そうでなくても郭攸之や向寵のように出師表で歴史に名を残すような存在になれるかもしれません。
やはり歴史に名を残すというのは魅力がありますね。
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