三国志で、義兄弟の誓いを交わした劉備、関羽、張飛の三人ですが、いつどんな状況で出会い、義兄弟の誓いを交わすまでに至ったのでしょうか?
速攻で意気投合ってことも無いと思うのですが・・・
劉備が郷里で黄巾賊討伐の義勇軍を募った時に、関羽や張飛が従軍していたようです。
叛乱軍を追って各地を転戦し、虎口をくぐり抜ける内に強い連帯感と信頼感が育まれたようです。
臣下の隔たりが厳しい社会で、分け隔てなく同じ帷幕で休んでいたそうです。
桃園の義そのものは、後世のフィクションですが、それに近い心情が劉備主従にあったのは間違いないと思います。
↑
というのも作り話。
正史を見ても、「関羽と張飛は若い時から劉備に師事していた」としか書かれていません。
ま、チンピラが先輩ヤクザを「兄貴」と呼ぶのと似たような関係だったのでしょう。
劉備が母のために茶を買いに行った帰りに
山賊に襲われ
その時に助けに入ったのが張飛です。
劉備はその時にお礼として大切にしていた剣を張飛にあげてしまいました
関羽は張飛が貰ったそのりっぱな剣をみて驚いていました
張飛は家に戻ったときに関羽にその時の話をしました
(関羽と張飛はすでに兄弟のような間柄でした)
劉備は家に戻ったとき剣をあげてしまったことに激怒
関羽と張飛はその剣を返すため
劉備の家へ訪れ
関羽と張飛は劉備の母を見て威厳のようなものを感じ平伏しました
そして、貧乏ながら最高のもてなしと
劉備と母の人徳に惹かれて
義兄弟の契りをかわしましたとさ
おわり
ならず者時代の兄貴と弟分のつながりです。
その辺は、前漢高祖の劉邦の生い立ちに似ています。
三国志演義は所詮は「作り話」です。本当のことは分かりませんよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿