2012年3月9日金曜日

三国志の劉備と諸葛亮についてです。

三国志の劉備と諸葛亮についてです。

劉備と諸葛亮といえば後世にも残るような固い絆を持っているイメージがありますが、

この前聞いていたラジオで、初見で言葉も全く通じない相手とどうやって親密になったのか・・・

みたいなツッコミがありました。

(というのも中国はその広さ故か、地域によって全く言葉が異なるんだそうです)

通訳的な人は居たのかもしれませんが、いくら3回尋ねたり、

劉備の夢(目標?)に共感できたとしても、確かにラジオの方が仰っていた通り、疑問が残ります。

ですが実際に後々、2人は互いに信頼し合い、劉備没後も諸葛亮は異常なほどに蜀のために尽力しています。

『演義』と『史実』では異なる点はあれど2人の関係は殆ど同じかと思いますが、

このような関係になれたのは、どうしてなのでしょうか?

自分は小説を読んだ程度の知識しかないので、どなたか詳しい方教えて下さいませ。







言葉も通じないけど心を奪われる魅力がある、それが劉備が劉備たるゆえんです。そうでなければ劉備が生きている意味がありません。ここはとても凡人の理解できる範囲にありません。



なお初対面の時は、ずばり“筆談”です。劉備は荊州にきて6年、諸葛亮は荊州に来て10年たつので、日常的な会話は湖北方言である程度できたと思います。が、専門的な部分は誤解を防ぐためにも筆談のほうがいいと思います。漢字という共通文字があるから、方言がいくつあろうとも広い中国は一つの国として成立します。



また三顧の礼をする前からある程度の交流があったという説もあります。20歳も下の若造を迎えるにあたって、古参幹部(要するに関羽・張飛・簡擁・孫乾など)が軽く見ないようにという演出の一部だったのかもしれませんね。

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