2012年3月18日日曜日

三国志で関羽が孫権に捕らえられた時、桃園の誓いあったにもかかわらず、なぜ首を...

三国志で関羽が孫権に捕らえられた時、桃園の誓いあったにもかかわらず、なぜ首を切られることを選んだのでしょうか?降伏すれば隙を見て、劉備のもとに逃げられたかもしれないのに・・・







降伏する=孫権を主君にするということですよね。

つまり、劉備以外の人間に仕える気は無いし、そうまでして命を惜しむ事は恥と考えたからこそ、首を斬られる事を選んだのだと思います。

プライドの問題だと思います。



ただ、関羽が219年 張飛が221年 劉備が223年と近い間隔で死んでいるので、ある意味桃園の誓いは守られたと考えても良いようにも思います。

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