2012年3月18日日曜日

三国志(正史)の赤壁の戦いでは関羽・張飛・趙雲の3人は参戦していたのでしょう...

三国志(正史)の赤壁の戦いでは関羽・張飛・趙雲の3人は参戦していたのでしょうか?

「赤壁の戦い」と言えば、孫権軍と劉備軍の連合軍が、大軍の曹操軍に家計を用いて形勢逆転した船上での戦いであることはご存知かと思います。

この赤壁の戦いですが、ウィキペディア等には、劉備も参戦していたようですが、関羽・張飛・趙雲の参戦については書いてありません。

彼ら3人が赤壁の戦いに参戦していたかどうか、知っている方は教えください。



『三国志演義』では、主に孫権軍が中心となって船上の家計を行い、劉備軍は戦いに敗れて赤壁から逃亡する曹操軍を追撃する役目となっています。

映画『レッドクリフ』では、彼ら3人はメインキャラの1人として活躍しているので、もちろん参戦しています。







wikipediaでは赤壁とその後の南郡攻略を一連の戦役として扱っていますんで、それに従うなら少なくとも劉備・関羽・張飛は「参戦していた」ということになろうかと思います。



まず劉備。恐らくですが、周瑜が曹仁とワイワイやってる間に荊州南部を攻略しています。これは正史の本文に載ってます。次に関羽。魏書李通伝に「劉備は周瑜とともに曹仁を江陵に包囲し、別に関羽に命じて北道を断ち切った」とあります。よって関羽も南郡攻略に参加している。で、張飛。呉書周瑜伝の註、呉録に「劉備は『張飛に千人の部下を与えてあなたに従わせるから、あなたから二千人の兵を分けて私に従わせてほしい。…(以下略)』周瑜は二千人の兵力を割いて、劉備の兵力の補充に当てた」とあります。これは曹仁と戦っているときの話です。というわけで張飛も周瑜に従って曹仁と戦っていたことになりますね。



あくまで船を燃やす赤壁のほうだけなら、劉備たちは多分後方で勝敗を眺めていたんであろうと思います。多分、ね。








そもそも赤壁での劉備軍は後詰めの形で後方でじっとしていただけなので、劉備自身が参戦しておりません(爆)。



…と切り捨てちゃうのは簡単なんですが、詳細なご回答が二つも付いているのでそちらをご参照下さい(^_^;

基本的に劉備は孫権との同盟を成立させたはいいものの、周瑜の率いてきた軍勢があまりに少ない(約3万)のを見て、関羽・張飛らとともに後方で形勢をうかがっていただけ…というのが実状です(^_^;

曹操軍の追撃と南郡攻略には、hidaka1125さんの詳細なご回答にあるように参戦しており、しかも途中でいつの間にか離脱して荊南四郡の攻略に向かっています(爆)。



…で、お二方の回答にない趙雲ですが、正史『三國志』に書いてないから何とも答えようがないのですね(^_^;

ただ、それ以前の長坂の戦いでは大活躍してますし、別行動っていう事もないでしょう。それに趙雲はその後の事跡を見ても、基本的に劉備の親衛隊長的な役割だったり関羽の副将的な立場だったりしてますから、多分一緒に行動していたと思われます。







正史先主伝の注、江表伝によると、劉備は魯粛の計に従い樊口に駐留し、周瑜の到着をまちました。周瑜が到着したので呼びつけたが、持ち場を離れられないから逆にこいと言われました。劉備は関羽と張飛に向かって同盟の為だから出向かないとまずいといい、小舟で周瑜を訪ねました。関羽と張飛が従軍していたのはこれでわかりますが、趙雲は不明です。劉備は赤壁では傍観していただけなので、記述があっさりしています。

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