映画「レッドクリフ」を見ました。三国志演義や正史との違いを教えてください。劉備軍は本当に参戦していたのか、諸葛亮が矢10万本を集めた策は事実か、赤壁前夜のみんな(小喬・劉備・諸葛亮など)の動向、苦肉の計
友達が自慢げに上記のことは小説や正史と違うって言ってたんですが、本当ですか。教えてください。
まず演義と正史の違いは、漫画的に言えば「主役が違う」事でしょうか。
主役が違うので、それに伴って様々な行動の解釈が異なってくるわけです。
そして演義の主役は劉備軍ですから、それに伴って劉備陣営(特に劉備と孔明)を美化する為の演出が、そこここにあります。
また、それに併せて敵としての曹操・魏軍の悪役化が進んでおります。
簡単にまとめると、演義は「劉備軍を贔屓して書き直した三国志」ということです。
ですが演義の方が大衆向けになっているので、読んでいて面白いのは、やはり演義の方です。
●劉備軍は本当に参戦していたのか
劉備軍は参戦してはいますが、呉軍と同じ戦場で戦ってはいません。
ものすごく大雑把に言えば、呉軍は水上戦、劉備軍は陸上戦という役割分担です。
●十万本の矢
諸葛亮が周瑜を上回る人物だという事を知らしめる為に作られた演義の創作です。
●赤壁前夜のみんな
映画の創作です。
特に孫策没後の二喬は、消息不明と判断しても良いほど資料がなかったはずです。
●苦肉の計
演義の創作です。
ただ兵法三十六計に苦肉計というものがあり、ちゃんとひとつの兵法としてあります。
なので演義のような演技(シャレにあらず笑)は無かったでしょうが、苦肉計を引用したくなるような事を何かしていたのかも知れません。
個人的には、映画レッドクリフで正しいと思えるところは「赤壁の主役は周瑜である」事を実践した事くらいです。
娯楽映画として見る分にはそれなりに楽しめますが(三国志というより三国無双だし)、歴史映画として考えると、ほとんど内容が有りません。
と、自分は映画を見て思いました。
そのとーりでございます。演技は脚色を加えた物語。正史は史実にそって書かれている歴史書です。上記のことはほぼ演技の通りですが、小橋は絶対出てきません。
正史三国志は西晋時代に人陳寿により書かれた歴史書であり、西晋は元をたどれば三国の一つ、魏の流れをくむ国であることから、魏を中心に書かれている。
対して、演義はずっと後の明代に羅貫中が当時庶民から親しまれて人気のあった蜀の劉備・関羽・張飛を中心に多少のフィクションも含めて書かれているので、史実には基づいていない部分がある。桃園の誓いも羅貫中の作り話という説もあります。
まぁそこで違ってきたんでしょうね。
「赤壁の戦い」なんてなかったのです。
三国志演義に書かれている「赤壁の戦い」に関する記述は99%歴史的事実ではありません。
正史である魏志などには以下のように記されています。
AC208年秋、曹操は軍を率いて赤壁に集結し長江を渡ろうと船を集めた。
が疫病が広まり、兵士が次々と倒れていったため船を焼いて撤退した。
曹操は戦わずして退却したのです。赤壁の戦いなんてありませんでした。
これ本当です。
あれは映画なんでほとんど作り話です 正史の三國志も何処まで本当かわからない ただ10万本の矢は作り話でしょう 1800年前の出来事なんで推測しか出来ないのが現状ですよ
劉備軍も戦いましたが同じ戦場ではありません。敗走する曹操軍への伏兵です。
一万本の矢は演義の話です。
しかしあとはほとんど創作(でたらめ)と言って良いです。第一孫権は根拠地(多分このときは建業)におり、戦場にはいません。
孫権妹も女が戦場に立つはずはありません。
小喬の時間稼ぎも全くの創作(しかも全然おもしろくない)です。疫病の死者を送りつけるのも同様。
もしあの映画が三国志なら、巷にある「三国志の英雄の魂を宿した女子高生たちがパンチラしながら戦う」という漫画だって立派な三国志漫画でしょう。
劉備軍は参戦していたのか>>しています。現に諸葛亮が東南の風を吹かしています。龐統も連環の計を行っています。ちなみに赤壁の戦いには劉備はいません。あなたが観たのはpartⅠでは?partⅠでは主に長坂の戦いです。
諸葛亮が10万本の矢>>事実です。レッドクリフであったとおり船を用いで曹操軍からさりげなくもらっています。
動向>同じです。小喬はよくわかりません。苦肉は計も事実です。
ちなみに、甘興は架空の人物です。モデルは甘寧です。
あと尚香と一緒にいた青年。あれも架空です(尚香は赤壁の戦いのとき、参戦していません
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