2012年3月13日火曜日

三国志の本(渡辺仙州さん訳)を見ていると 蜀・劉備中心に書かれている場面が多い...

三国志の本(渡辺仙州さん訳)を見ていると

蜀・劉備中心に書かれている場面が多い気がしますが

どうしてでしょうか。







物語の流れ、筋書きとして日本人に敷衍しているのが『三国演義』だからです。

「日本人固有の判官びいき」に理由を求めている回答者もいますが、それは順序が逆です。

というよりも元より中国から入ってきたものがそれだったから、ということです。

(史書三国志を元として曹操を中心とした小説、というものは当時存在しませんし、取捨選択されたわけではありませんから)



で、昭和に入って国民的作家・吉川英治先生の小説『三国志』がまたこれまた人気を得ました。

横山光輝先生がこれに沿ったかたちで漫画『三国志』を描き、これもまたロングセラーになりました。



こういう背景があるために、物語の基本形として長きに渡って完成されている素地があるから、

というのがお答えとなります。その、渡辺仙州氏の本は児童書・ジュニア書籍のようですから、

なおのこと既存の『三国演義』や吉川版『三国志』に沿った形にするというのが混乱が少ないと判断したのではないでしょうか。



(いいやつ・わるいやつ・つよいやつ・あたまのいいやつ、と単純な構図分けがしやすいでしょうから)








三国志演義をベースに書いているからでしょうね。



三国志演義は今で言う歴史物の小説です。

かなり創作が入っているので、史実とはずれがありますけど。

基本的な流れは史実と一緒です。

ただ、劉備の人格がかなり歪曲されて描かれています。

彼は人徳の人とは到底呼べない人物です。







日本人には俗に判官びいきといって、弱い者や、滅びゆくものに対して感情移入してしまう性質があります。これは日本人の特色です。平家を滅ぼして鎌倉幕府を作った源頼朝よりも、兄に殺された悲劇の将、義経に同情してしまうのもケースの一つです。ですので、日本では曹操の魏を中心に描いた三国志正史よりも、劉備の蜀を正統とした三国志演義のほうが多く描かれているわけです。

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