2012年3月18日日曜日

三国志に関する質問です。劉備玄徳の凡愚な息子・劉禅は、赤ん坊の時敵陣から救出...

三国志に関する質問です。劉備玄徳の凡愚な息子・劉禅は、赤ん坊の時敵陣から救出された阿斗と同一人物ですか?年齢的には近いのですが、劉備には何人か似た年の子がいたのでしょうか?







同一人物です。劉禅は母親の甘夫人とともに趙雲に護衛されて長坂を脱しているので、子供を取り違えているということはまず有り得ません(演義では劉禅が戦場ではぐれたようになっていますが、正史には「趙雲は身に幼子(劉禅)を抱いたとあるのみ。夫人も劉禅も身を挺して守り抜いたとかそんな感じかも)。



劉備の子供は分かってる範囲で5人、養子である劉封も含めれば6人ですね。甘夫人の子の劉禅、異母弟の劉永・劉理(母親は不明)、そして曹純が長坂で捕らえた娘が2人。正史に記載されているのはこれだけだったかと。








劉禅 劉永 劉理 劉封…あと二人の娘がいるそうです。



劉禅と阿斗は同一人物です。

趙雲が助けなければ歴史は変わってたかもしれませんね~







劉禅=阿斗(幼名)、劉備玄徳が死の床に就いたとき、もし我が子が凡庸なら、変わりに諸葛孔明が政(まつりごと)を行って欲しいと遺言した。玄徳の懸念したように成長した劉禅は名君ではなかった。しかし、孔明はこれを必死に支え、簒奪することはなかった。そして宿敵魏との対決で五丈原に出陣の時に、孔明は涙ながらの出師表(上奉文)を劉禅に提出の感動的な場面・・・ですね。 何でも中国では暗愚の人物を「阿斗」というらしい、この三国志から来ているそうで、それが日本で言われている「阿呆」の語源だそうです。







同一人物です。



阿斗は幼名で、日本で言う元服後の名前が劉禅です。



劉備には養子の劉邦と劉禅しか子供はいません。女の子は分かりませんが。。。

0 件のコメント:

コメントを投稿