三国志の質問です。当時はいくら社会体制が崩壊の寸前だと言っても、まだまだ名士の権限や影響力の強い時代であったと思っています。群雄割拠のなかで結局曹操、劉備、孫権の三人に淘汰されたわけですが、
この3人に共通するのは出自がはっきりしていない事です。
曹操は漢の高祖に仕えた曹参の子孫となのってはいますが、曹操の祖父の前の系図がいいかげんでうたがわしい。
劉備は劉邦の直系である中山靖王劉勝の子孫となのっているがまったくうそっぽい。
孫権はかの孫武の子孫といっているが、劉備と同じぐらいあやしい。
彼らのもとに集まった武将のなかには司馬氏や呉の四姓や夏候氏など、彼等よりずっと格上の武将や名士がたくさんいました。彼らは時流に乗ったということなのでしょうか、それとも彼ら三人にはそれを超えるカリスマ性があったということなのでしょうか。
カリスマ性に関しては他の方の回答がありますので、違う視点で考えてみます。
果たして司馬氏や呉の四姓や夏候氏が彼らより格上であったかどうか。どうでしょう。
呉の四姓の中では陸氏が後漢初からすでに族姓と呼ばれています。何人か太守等には就いている為、故郷の外でも活動しています。
次に夏候氏ですが、夏侯嬰の末裔とあるのみで、一族の官位が不明です。そもそも夏候氏は前漢の時から没落しており、せいぜいローカルな影響力しか無いでしょう。
司馬氏は司馬卬の末裔を名乗り、代々太守に就いています。これも故郷の外に影響力があるでしょう。
さて、曹操達はどうでしょうか。曹操の父は太尉になり、義理の祖父は大長秋・特進にまで進みました。曹氏一族にも複数の太守就任者がいます。自身は二十歳で孝廉に推挙され、官職に就いています。さらに、許劭や何顒などの著名な名士や太尉の橋玄に評価されるなど、広範囲に通用する知名度を持っています。
劉備は盧植に学び、二十代で官職に就き、鄭玄・陳紀・孔融などの大物名士と交流がありました。(ところで彼が皇族を称した事を弾劾した事例が思いつきません。当時は彼の皇族の末裔であると認められていたのかもしれません。)
孫堅は十八歳頃に郡の司馬として討伐に参加し、後に長沙太守・烏程侯になっています。(非正規の任命では破虜将軍・豫州刺史にもなっています。)孫策は徐州の名士や三公も出した名門の周氏と交流を持ち、江東を制圧し、会稽太守・討逆将軍・呉侯になっています。
血筋はともかく曹操・劉備は強力な名士との繋がりを持ち、孫堅達は爵位を持ち、ただの地方豪族とは一線を画する存在です。
血統では上の者達もいましたが、地方にしか影響力のない豪族達に比べれば、はるかに名声と人脈の多い立場にあったでしょう。
もし誰かの配下のままであったとしても、上記の利点があるため優遇されたでしょう。
他の群雄も州刺史経験者・三公の血縁者・称号のある名士・爵位のある者・反乱軍の頭で占められています。士燮・許貢・孔融達は上記に当てはまりませんが、彼らも影響力のある名士と交流があります。
やはり、人を纏めるには相応のステータスが必要とされ、三者ともそれを持っていました。
曹操、劉備はともかく孫堅からの流れで孫権は身元が確立していたと思います
曹操は間違いなくカリスマ性と行動力があったと思います
劉備は人徳と強運の要素が大きいですね
時流を創出できた3人って事ですかね
三国志って面白いですね
過去回答などを拝見いたしました
貴方様のように中国史に詳しい方に敢えて回答する必要はないと思うのですが能力やカリスマがあったからです
時流に乗ったorカリスマがあったのかというご質問ですが能力が無ければ時流は作れません またカリスマにしても何かしらの能力が無いとカリスマを備えることはできません
例えば曹操 これは既に前の方がおっしゃっていますが求賢令に代表されるように能力第一としたこと
また本人に時流を作り出せる程の能力があったことが原因です それが部下をひきつけるカリスマになるんです
劉備ならば儒教社会では下っ端と見られる糜竺のような財産を溜め込む商人や王平のような蛮族を分け隔てなく登用したこと
彼も曹操と同じように能力がある人物を集め又それによって出世できないような人物にとっても魅力があった
孫権は少々毛色が違う すでに孫策によって土台ができていたからと言っても良い でもカリスマはともかく孫策の残した土台を継承して呉を維持した実力がある(晩年はともかく二宮の変の実態が分からんから取り合えず無視)
強いて言えば彼のみ特に時流に乗ったという言葉は当てはまる ただ他の3者にも一応言えることは言うまでもない
次に孫策でいうなら周瑜よりも格下の家柄でありながら土台を作れたのは能力があったから(無鉄砲ではあったが)そこから部下をひきつけるカリスマが生まれたのでしょう 張紘のような三公府に招聘されるような名士が配下になったのも能力がありそれに伴うカリスマがあったから
よって当時大勢力になれたものは能力があったからカリスマもあるし時流も作り出せた 故に部下はそのカリスマに惹きつけられ作り出された時流に乗ったといえるでしょう
屁理屈になってしまいましたが勢力を築き生き残って強勢を誇れた者にはカリスマも能力もあるのです そしてそのカリスマと能力で時流を作り出すんですよ それは三国時代だけでなくそれ以降の時代も一緒です
流れにのったのもそうですが、それに伴って能力があったからです。
曹操は当時としては珍しく、身分関係なく、実力主義で人材を集めた(後の織田信長、ナポレオンも同様にして覇を唱えました)
ことや食料を民から略奪せず、兵士達に生産させた「屯田」体制を確立させ、民衆を味方につけたこと等です。
劉備は豪胆で男気溢れる性格で自然と人が集まったと言われています。気に食わない役人を袋叩きして指名手配になっても周囲に助けられたりして助かったりと味方は多かったようです。
孫権は父、孫堅と兄、孫策が残した人材と地盤をうまく運用できたからと言われています。孫権本人は疑い深く、部下を殺戮する行為を度々、行ったようです。三人の中で一番長生きした反面、晩年は国の地盤を破壊して、後の滅亡に繋がったといわれています。つまり親兄弟の残した遺産が大きかった為に三国の一角を保てたのです。
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