2012年3月18日日曜日

三国志で諸葛亮孔明が劉備に処刑するよう忠告した武将は誰でしょうか

三国志で諸葛亮孔明が劉備に処刑するよう忠告した武将は誰でしょうか







魏延でしょう。



反骨の面が出てたとかで








同じ回答がありますが、魏延です。反骨の面あるため、のちのち裏切る事になると孔明は言ったが、魏延は「私は裏切りはしない。命に代えてでも劉備様に仕える。」といったため劉備は信用し孔明は仕方なく諦めた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BB%B6

http://www005.upp.so-net.ne.jp/baldious/gien.htm

このどちらでも質問について回答が載っています。







『三国志演義』の話ですが魏延です。反骨の相(反乱を起こす相)があるのと、

自分の主である韓玄を殺したことが裏切り行為であることが原因です。



ちなみに魏延の字は文長です。







劉封。劉備の養子。副軍将軍。諸葛亮の進言により死を賜った。

関羽を救援しなかったことと孟達が魏に降伏したことの責任を問われたのですが、関羽が敗北したのは麋芳と傅士仁の裏切りによって孫権に殺されたので、また孟達は同じく関羽を救援しなかったと思われており罪になることを恐れて魏に逃亡したのです。

本当の理由は劉備の実子劉禅の邪魔になるので口実をつけて殺したのでしょう。

太閤秀吉の養子関白秀次の先例です。

こうして見ると諸葛亮は劉禅が即位した後に権力を掌握するために邪魔者を除いていたのでしょう。







魏延(字文遠)です、頭に叛骨(裏切り癖があるので注意)があるということで処刑されそうになりました。







魏延は劉備が死んで孔明も死んだ後ほんとうに蜀を

裏切るので孔明の見立ては当たっていたことになります。

赤壁の戦いで雨が絶対フルと予言したり、このひとは

易者としての活躍はなかなかのものです。

もっとも魏延は孔明に酷使され待遇が良くなかった武将で

孔明が彼をもっと大切に待遇していたら裏切らなかった

かもしれません。







(´・ω・`)一般的には魏延、マイナーなとこだと劉封

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