いったい誰ですか?
三国志について質問です!
孫堅、劉備、曹操という3大国の争いがあり、(仮に1期とします)その後の
2期の武将は誰ですか?孫権、?、曹否(すいません否の字が分からないです…)
蜀の2期の武将が分からないです!
いったい誰ですか?
質問者さんのおっしゃる意味を考えるなら、それは劉備の息子の劉禅だと思います。
ですが、三國志にはあまり詳しくていらっしゃらないご様子。
少しご説明しましょう。
()の中は西暦での年の表示です。
曹操(155~220)
孫堅(156~191)
劉備(161~223)
この3名が第一世代なのは間違いないです。見て分かる通り同世代ですから。
ですが、彼らがそれぞれ魏・呉・蜀を建国したのかと言えばそうではありません。
魏(220~265)
呉(229~280)
蜀(221~263)
これが、三國の存在した年代です。
魏は曹操がほとんど基礎を作りましたが、実際に建国したのは曹操の息子、曹丕(187~226)です。質問者さんの言う第2世代の人物になります。曹操は220年の1月に亡くなり、曹丕は同じ年の10月に建国しました。
蜀はそれを受けて劉備が221年に建国します。ですが劉備は223年に死去してしまいます。後を継いだのが長男の劉禅(207~271)です。
呉はちょっと複雑で、孫堅の死後は長男の孫策(175~200)が跡を継ぎ、呉の基礎を作りますが若くして死去してしまいます。その後、次男の孫権(181~252)が跡を継いで呉の基礎を完成させ、魏・蜀より少し遅れて229年に呉を建国します。
つまり、国を単位に第1世代と言うなら
曹丕(187~226)
劉備(161~223)
孫権(182~252)
が第1世代という事になります。
国を治める2代目としては
魏→曹叡(205~239)
蜀→劉禅(207~271)
呉→孫亮(243~260)
になります。
呉の孫亮だけが明らかに若いのは、孫権の末息子だからです。呉では後継者争いが起こって国内を二分する騒ぎに発展し、最終的に孫権がそれまでの皇太子ではなく孫亮を立てる事で決着しました。孫亮はわずか10歳で即位した事になります。
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