三国志の劉備の人徳について。
ずいぶん前に三国志を横山光輝のコミックを、いまは『蒼天航路』で三国志を読んでいます。
劉備は人徳を兼ね備えた人物ということで、優秀な部下や、人民からの信望を集めます。
しかし、読み落としがあるのかもしれませんが(漫画ばかりですし……)、劉備が人徳高い人物であるという印象が私にはありません。
何か、「劉備はこのような人物で、こういうことをしたので、人望を集めた」ということがわかるようなエピソードがございましたら、教えていただけませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。
劉備が公孫瓚の下で平原の相を任されたときのこと。劉平なる人物が劉備に統治されることが気に食わず刺客を差し向けた。その事件の裴註。
『魏書』に言う。劉平は劉備を刺殺するよう食客に依頼した。劉備が知らぬまま大層手厚く刺客をもてなしたので、刺客はありのままを打ち明け、立ち去った。そのころ人民は飢饉に苦しみ、部落は略奪を被っていた。劉備は外に対しては侵略を防ぎ、内に対しては施与を増やした。士人であれば、下等な人物であっても必ず同じ席に座り、同じ皿で食べ、分け隔てはしなかったため、人々の多くが彼に帰服した。
裏切りと逃亡が大半を占める若かりし頃の劉備にしては珍しい記述。義侠出身ということで(余裕があるとき限定ですが)人助けには熱心だったのかもしれませんね。そして士大夫に対する人当たりの良さも当時の人々の人気に繋がったんだと思います。とは言っても、劉備を警戒する人も相当多かったのは確かです。『梟雄』と評されていますから。これは董卓と同じ評され方です。抜け目無い野心家としても有名だったことでしょう。
長坂の戦いの混乱の中、劉備の長男、阿斗を助け出して来て満身創痍の趙雲に、無事に生きている阿斗を渡されるが、その自分の息子を投げ捨て、「子供はこれからいくらでも得られるが、趙雲のような立派な大将は滅多に得られない」みたいな事を言って、趙雲を感涙させた。
母親の為に当時は高級品であったお茶を買ってあげた。
親孝行者=人徳者
中国ってこの傾向が強いと思います。
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