劉備って戦下手?
さまざまな質問を見ていると勝率が低いということらしいいですが
劉備だって長年戦をいていますよね。
やっぱり演義後半になってくると大兵力による戦いになっている
からかな~?
少数による戦闘のほう
が
得意だった?
史実では劉備がはっきり敗北した戦は、実はほとんどありません。
・高唐県令時代に賊に破れ逃亡
・徐州の呂布を夏侯惇とともに攻め、高順に敗北
・徐州で曹操に反旗を翻した後、曹操自ら出陣した本軍に敗北
・荊州時代、曹操の南征から逃れようとして追い付かれ敗北
・夷陵の戦い
主な敗北はこれぐらいです。
むしろ、勝ち戦の方が多いですね。
・校尉の鄒靖に従い黄巾を討伐
・豫州時代、袁術とたびたび争い全勝
・徐州時代、刺使の車胄を攻めて殺す
・同、劉岱を撃退
・荊州時代、南下してきた夏侯惇、李典らを退ける(曹操の急襲に敗れるのはこの後)
・荊南四郡制圧
・益州制圧
・夏侯淵を破り漢中を奪取
少なくともこれだけ勝っています。むしろ諸葛亮ら軍師・参謀を得てからの方が勝ち星が少ないきらいすらありますね。
劉備の敗北が少ない理由として、戦局を見る目が非常に的確かつ迅速だった事が挙げられます。つまり戦っても利がないと思えば逃げてしまうのです。徐州で呂布と争った時や汝南で曹操に攻め込まれた時などはそうですし、赤壁の戦いでも勝算は薄いと見て後方待機に徹していました。
『三国志演義』では、劉備が敗れて逃げる場面は聴衆(読者)を悔しがらせる一種の盛り上げ場面なので、これらの「戦わず逃げる場面」は敗戦として扱われたきらいがあります。
劉備の負け戦が多いイメージは、おそらくそれが原因でしょう。漢の高祖・劉邦のように、負け続けてもいつかは勝てる、ハッピーエンドになる…という期待感をあおる演出のような気がします。
【追記】
敗けがひとつ増えて勝ちがひとつ減りました(笑)。
そんなに悪い勝率ではないでしょう。
むしろ負けるときは、徹底的に負ける、負けっぷりでしょう。
いずれにせよ、将に将たる立場ですので、本人が強くなくてもよいのです。
以前似たような質問がありましたね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1147181541
mokonavy様が凄く丁寧に調べてくださってます。参考までに。私が適当に調べた範囲では12勝7敗。勝率低いですかね?ま、ただ単に数字だけ並べたって全くもって意味はないんですが。
私ゃ「戦う前にトンズラする」も負けと考えていいものと思ってます。ですが、劉備が戦下手だとは露ほども思いません。優秀な指揮官ですし、戦略眼も戦局眼にも長けていたと思ってます。何より戦い抜いてきた経験・嗅覚はそこいらの武将じゃ全く歯が立たなかったでしょう。
曹操もそうなんですが、劉備も負け方が派手なんですよねぇ。当陽では家族すら見捨てるほどズタズタにされ(家族を見捨てたことは以前にもあったけど)、夷陵では文字通り木っ端微塵に粉砕されてます。そういうイメージが付いちゃうのも仕方ないことなんかな。
う~ん勝率は低いかもしれませんが、
諸葛亮や趙雲などの有能な家臣が大勢いましたから決して弱くはないと思います。
でも劉備だけでいうと曹操や孫堅よりかは戦下手かもしれません。
有能な軍師が付くまでは勝てるのは黄巾族だけです。黄巾族相手なら連戦連勝しています。力押しの戦なら結構強かったのかもしれません。
ただ、城を構えるようになると連戦連敗しています。何が悪いのか・・・戦局を判断する能力に欠けていたのではないでしょうか?それだけではなく、具体的な大戦略が出来ていないから誰を味方に付けていいのか外交がヘタだったのも理由かも知れませんね。
有能な軍師を得るまでは、行き当たりばったりのようでした。
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