三国志の成都制圧戦のことですが、劉璋がいるのは成都城なのに、なぜ、劉備軍は雒城を攻めたのですか?
また、ホウ統の中策である「関門の兵を欺きながら、成都城に向かう」という作戦はどこまで成功したのですか?
また、成都制圧戦の流れについても教えてください。
雒城は成都の北にあります。
劉備を益州に引き込んだのは張松の策略でした。
「益州の北、漢中に曹操が攻め込もうとしている。ここを占領されたら、次は益州が危ない。曹操に奪われる前に、劉備を呼んで漢中を攻めさせましょう。そして劉備に漢中を守らせれば益州は安泰です」と劉璋に吹き込んだのです。
劉璋はこの案を採用し、劉備を成都に呼び寄せます。
劉備はその場で劉璋を殺すことも出来たのですが、とりあえずは漢中を攻めるフリをして北へ進軍しました。この時点で、劉備は成都よりも北にいます。
劉備はそこから劉璋に手紙を出します。
「荊州で事件が起った。今すぐ帰らないといけないから、援軍と食糧を送ってくれ!」
もちろん嘘です。劉璋の兵力を少しでも減らし、また劉備軍が南進するのを誤魔化すためだったのですが、この嘘はすぐにバレてしまいました。
というのも、成都で待っていた張松がこの嘘を真に受けてしまったからです。「ちょっと待ってよ、話が違うよ。成都を攻めるって約束じゃん」と張松が言い出し、これが劉璋に伝わってしまいました。
要するに、ホウ統の策は初っ端で頓挫してしまったのです。失敗する可能性が高いからこそ「中策」なわけで、失敗はしかたない気もしますね……。
本当ならば劉備軍は堂々と成都まで南下する筈だったのですが、張松の裏切りがバレた以上は力攻めしかありません。
というわけで、成都の北を守る雒城を攻め落とすことになりました。
①雒城を攻めたのは
http://blogs.yahoo.co.jp/antoine_henri_jomini/23842642.html
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