三国志で、もし孫策が劉備や曹操と同じくらいまで生きたとしたら呉は、どんなふうになってたと思いますか?
また、歴史家や学者の孫策に対する評価を知ってれば教えてください。
孫策が死んだ時点で、北の袁家、荊州の劉表、漢中の五斗米道、益州の劉璋などが独自勢力として健在である事を考えると、もし孫策健在となれば、官渡の戦いの後方でのかき回し、劉表死去に伴う荊州の跡目争いへの介入などが考えられます。
曹操VS袁紹の結果が逆になった可能性もあります。
そうなると中原は草刈場となり、合肥あたりで袁家VS孫策の会戦もあるでしょう。
これは痛み分けとなる可能性が高く、結果、南北朝時代が早く到来するかも。
孫策に対する研究家や史家の評価は高いのですが、敵を作りすぎたとする向きもあります。
普通の評価は孫策が軍事の天才なら孫権は政治の天才。
最期からしても油断、警戒心に乏しいとすると孫権ほどではなかったかも?呉の実力は国を守るのが精一杯でした。
孫策があの時期に死んだのは、かなりの必然。
もともと孫呉政権は江南の在地豪族の寄せ集めであり、
孫家の武力とカリスマ性が接着剤としてまとめていただけの脆弱な政権。
孫策の江南制覇の過程で、各豪族は積極的か消極的に彼に従ったが、
当然、一枚岩とはいえない状態だった。
曹操と比べると孫家の保有兵力が少なかった。
ゆえに孫呉政権は各豪族の部曲の兵力に依存せざるを得なかった。
(曹操はいわゆる青州兵30万が強力な中核だった)
孫策は性格上も好き嫌いのはっきりした人間であり、
不遇の豪族で孫策に不満を持つものも少なくなかった。
曹操の調略も加わったであろうから、
あの時期に。孫策が反対勢力に暗殺されたのは仕方ないことであった。
新しい中国の歴史シリーズの三国志の巻は呉に記述がかなり割かれていてよろしい。
http://www.bk1.co.jp/product/2454009/p-kouyou
孫策という人物は、明朗快活で部下とも冗談をして、彼等の話をよく聞くなど、頼れる兄貴的な要素が強い人でした。
そういう人のところへは、多くの優秀な人材が集まる反面、ちょっとした事で反感も買いやすいものです。
彼の最後の成り行きを知っていれば、分かると思います。
もし、曹操や劉備くらいまで存命だったら、大親友の周瑜と共に積極領土拡大路線を突き進んでいたでしょう。
最終的には、華北・華南と分かれて曹操と戦っていると思いますね。
歴史に、たらは禁句ですが、もし生きていたら三すくみの状態が長く続いただけで三人が滅んだ後は国力、又生前の教えによって歴史そのままの動きしかないと思います。
あの三国の戦士達は曹操の四面楚歌に例えられるように全員楚の人間なのです。
民衆の心の底が一つである以上、いかに指導者が引っ張ろうとも国の名前が変わろうとも、やがては一つの流れになってしまうのです。
孫策はすきです。
でも項羽にそっくりなので、曹操以上に法に厳しかったら、民衆が蜀に流れて蜀が統一したかも。。。
歴史家や学者の孫策に対する評価
評価は高い、大体どの本にもメッチャ強くてカッコイイって書いてある。義理人情にも熱く部下からの信頼も強く得ているらしい・・・
個人的には呉が最強だったかと笑
すいません、個人的に孫策が大好きなのでそう思いたいです。
まじめに考えると、曹操>孫策≧劉備かなぁ、なんて思います。
少なくとも、孫権が指揮を執るよりは全然強かったと思います♪
0 件のコメント:
コメントを投稿