2012年3月29日木曜日

三国志大戦3デッキ診断お願いします。 R袁紹 SR朱儁 R孫堅 R劉備 C鄭泰 軍師...

三国志大戦3デッキ診断お願いします。

R袁紹

SR朱儁

R孫堅

R劉備

C鄭泰

軍師:田豊

何か変えた方がいいとことかあったらお願いします。








袁紹だと最大士気が下がってしまうので

R袁紹→SR皇甫嵩

の方がいいと思います。








袁紹は使い所を間違わなければ強いですからそのままがいいです。可能ならテイタイ→R貂蝉がいいでしょう。最大士気の下がる分、呂布などの単体超絶対策は必須です。騎馬単なら孫堅1人で何とでもなります。

軍師は郭図がいいと思いますよ。最大士気が下がるので転進はコンセプトに合わない感じです。漢号令→増援→漢号令を狙うのも楽しいですよ。

三国志の武将・文官だったら誰が好きですか?それぞれ一人お願いします といって...

三国志の武将・文官だったら誰が好きですか?それぞれ一人お願いします



といっても劉備や夏候惇、周瑜といったメジャーな人物はきっとたくさんの方が好きなので、
マイナーな答えをよろしくお願いします!!







マイナーなのかどうかはわかりませんが、武官では張嶷、文官では司馬朗が好きです。



張嶷

張嶷の死により多くの異民族の多くが涙を流し廟を建てたり、劉禅が張嶷の別れの言葉に感動し、張嶷のために涙を流したりと張嶷の魅力に関する話が好き。また、張嶷は人物の鑑識眼に優れていたため、費禕の暗殺や、諸葛恪の失敗を予言し的中させている。張嶷の山賊や異民族を撃退した武勇も好きだが、張嶷の人物の鑑識眼の凄さはかなり好き。





司馬朗

孫権の征伐に従軍したが、そこで疫病による風邪が蔓延し、司馬朗を含む多くの兵士が風邪をこじらせた。そこで司馬朗は兵士達に薬を全て分け与えたが、司馬朗は薬を飲まなかったため死んだ。司馬朗は兗州刺史として領民に善政を敷いていたため、司馬朗の死を聞いた兗州の人々の多くが涙を流した。など、司馬朗の魅力に関する話が好き。また、司馬朗は司馬懿の才能を高く評価し、逆に司馬懿は司馬朗の人格者としての面を評価したりと司馬兄弟の関係も好き。








マイナーだと思いますけど

張紹この人父が暴れん坊で有名なあの張飛なのですが

この人は文官でこのなんかえ--感なんかすきです



武将では呂布ですでもあの裏切りを続けたあの有名な呂布

では無くて実は正史に関羽が魏を攻めた時に配下の武将にある町を攻めさせたという記述があって

で別の列伝には同じ時期同じ町に攻めてきた呂布の軍を攻めて打ち破ったという記述があります

でもおかしいたしか呂布はその何年も前に死んでいますだから関羽の配下の武将に呂布と同姓同名の武将が

いたのではと言う説がありなんか関羽に仕える呂布と考えるとおもしろくて好きです







では、こんな方々を。



武官・霍峻(仲邈)かくしゅん:ちゅうばく 元劉表配下。後継者劉琮が曹操に無条件降伏した際、劉備に帰順。益州攻略の時、葭萌城の守備を任される。ここは非常に重要な拠点の上、北に張魯、南には攻略中の劉璋と極めて危険な拠点を僅か数百の手勢で守りきる。これにより、梓潼太守、裨将軍を歴任。その3年後死亡。劉備は酷く悲しみ、酹(らい)という立派なお葬式をしてあげた。息子の霍弋(紹先){かくよく:しょうせん}も立派な人物。



文官・趙儼(伯然)ちょうげん:はくぜん 荀彧の推挙で仕官。潁川の辺りで于禁、楽進、張遼が駐屯中に仲の悪い3人のパイプ役を見事に果たす。荊州出兵の際、張遼、張郃、李典、于禁、朱霊など名立たる武将の統括に当たった。樊城の戦いで関羽の囲みを徐晃と共に退けたなどすごい功労者。晩年、三公のひとつ司空になる。こんなにすごい人なのに、某歴史シュミレーションゲームシリーズに1度も登場しない。、、、名前が難しいからか?



私の大好きな武将たちです。







武将では・・・

蜀の寥化、周倉

賊徒あがりでも忠実な武将として戦い抜いた人物。



徐州の陳登

刺身が好物だったとか。

三国志演義の最後は史実と同じですか??漫画の方しか読んでませんが、同じなら劉...

三国志演義の最後は史実と同じですか??漫画の方しか読んでませんが、同じなら劉備が善とするなら何故最後は曹操を倒す話で終わらせなかったんでしょうか???

途中から孔明にバトンタッチしますが、そこからでも魏を倒しての痛快娯楽大作でも良かったんでは???







歴史小説というものについてからお話しします。

どんな歴史小説も、作者の想像が入ります。

実際に、どういう場面でどういう会話がなされたか、などは文献で残っていないからです。

そういう点では、歴史資料を元にした創作小説といえます。



ただ、創作だからといって、歴史と違うものを書いてしまうと、それは歴史小説としては亜種になります。

歴史小説家の醍醐味は、事実として確定している歴史の中で、登場人物達がどういう生き方をしていったのか、その生き様を描くことにあります。だから、歴史通りに劉備は亡くなり、孔明がその跡を継いだのです。



また、そういった指摘したような歴史物は存在します。歴史if物などと呼ばれたりします。

ifは「もしも……」という意味で、「もしも、劉備が生きていたら……」など、作者のオリジナル設定で話が進められます。

ちなみに「反三国志演義」という物語は、劉備、孔明のいる蜀が三国を統一するという物語です。

三国志演義の最後は史実と同じですか??漫画の方しか読んでませんが、同じなら劉...

三国志演義の最後は史実と同じですか??漫画の方しか読んでませんが、同じなら劉備が善とするなら何故最後は曹操を倒す話で終わらせなかったんでしょうか???

途中から孔明にバトンタッチしますが、そこからでも魏を倒しての痛快娯楽大作でも良かったんでは???







歴史小説というものについてからお話しします。

どんな歴史小説も、作者の想像が入ります。

実際に、どういう場面でどういう会話がなされたか、などは文献で残っていないからです。

そういう点では、歴史資料を元にした創作小説といえます。



ただ、創作だからといって、歴史と違うものを書いてしまうと、それは歴史小説としては亜種になります。

歴史小説家の醍醐味は、事実として確定している歴史の中で、登場人物達がどういう生き方をしていったのか、その生き様を描くことにあります。だから、歴史通りに劉備は亡くなり、孔明がその跡を継いだのです。



また、そういった指摘したような歴史物は存在します。歴史if物などと呼ばれたりします。

ifは「もしも……」という意味で、「もしも、劉備が生きていたら……」など、作者のオリジナル設定で話が進められます。

ちなみに「反三国志演義」という物語は、劉備、孔明のいる蜀が三国を統一するという物語です。

三国志8 三國志Ⅷの質問なのですが、玉璽はどうすれば手に入るのでしょうか。 攻略...

三国志8

三國志Ⅷの質問なのですが、玉璽はどうすれば手に入るのでしょうか。

攻略サイトを見ても情報がなく困っています。








189か190年でのシナリオで董卓以外のキャラでプレイしていると洛陽を支配するとイベントで手に入ります。



191年からなら孫堅・192~3年からなら孫策・194~199年からなら袁術

212~5年からなら張魯・221~2年からなら劉備が玉璽を持っています。



アイテムリストを埋めたいだけならこれらの武将で始めるのが楽です。

普通に手に入れたいなら持ってる武将をは処刑にするなり、アイテムを没収するなりで手に入れれば良いです。

持ってるキャラは魅力100なので武将リストを見ればすぐわかりますよ。

なんか他にもイベントで手に入ったような気がしますが覚えてない・・・・。

ちょいといい加減ですが、お役に立てれば幸いです。

何故劉備の家計は漢室の末裔なのに農民まで落ちぶれたのですか?祖先が何か悪いこ...

何故劉備の家計は漢室の末裔なのに農民まで落ちぶれたのですか?祖先が何か悪いことをしたのでしょうか?







劉備の祖とされるのは前漢の6代景帝の子で、7代武帝の兄弟にあたる中山王・劉勝とされています。

武帝と劉勝の兄弟には、他にも後漢の光武帝の祖である劉発や、三國時代の劉璋や劉表の祖となった魯王・劉余などがいて、のちの三國時代を知る身としては非常に興味深いです。



さて正史『三國志』蜀書先主伝(劉備の列伝)には、劉勝の子の劉貞がタク郡の陸城亭侯に封ぜられたが、酎祭の献上金不足で侯位を失い、そのまま住み着いた…とあります。

ただし『漢書』の表によれば、劉貞は中山国陸成県の陸成侯として封ぜられており、恐らく『三國志』の方が誤りであろうと言われています。



酎祭とは正月から8月までかけて造る酒を宗廟(先祖の霊をまつる場所)にささげる祭祀で、諸侯には金銭負担の義務があったそうです。



中山王・劉勝は120人以上の子(一説には孫を含めた数字)がいたと言われますが、それから250年以上も経った三國時代に正確な記録が残っているとも思えず、またそんなに年代を隔てた子孫が「皇族」と呼べるのかも疑問です。

さらに『漢書』と『三國志』との相違とを考えてみても、劉貞の子孫がタク郡にいる必然性がなく、劉備の血筋は詐称と断定してしまってもほとんど差し支えないかと思われます。

(確かに冀州中山国と幽州タク郡は隣接してはいますが)



つまり劉備が農民(というか庶民)の出身である事はなんら矛盾がなく、それでいて「中山王の末裔」と言われても何となく納得できてしまう。

その程度の話なのです。

別に落ちぶれた訳でも何でもありません。








中山靖王劉勝(景帝八男)は色を好んだとされ、120人にものぼる子供がいたといれます。

その中でも劉備の先祖の劉貞は庶子とされており、身分はかなり低かったようです。

彼はそれでも劉備の出身地の涿郡涿県の列侯(領主)となったが、年貢を朝廷に納めずクビになりました。

以降のことはよくわかっていませんが、劉備はこの劉貞の子孫でも傍系だったといわれます。

それでも劉備の父は州郡の官吏だったのですが若くして亡くなり、幼い劉備と母はムシロ売りにまで落ちぶれたといいます。

そんな状態でありながら劉備は、叔父の劉元起の援助で盧植に学んでいますがら本家はそこそこ裕福だったのでしょう。

盧植は高名な学者で後に政治家や将軍として活躍しましたが涿郡の人だったので劉備でも学べたわけです。







劉備は何も悪いことはしていません。



劉備は中山靖王劉勝の子孫とされています。漢の宗室にその出生記録を残しているから間違いなくそうでしょうが、ただ、一説には劉勝は子だくさんで100人以上いるとされ、その子供からさらに数代下っているため、劉備の代になると万を越す血縁者がいるとことになります。その中には王侯になる者もいれば、農民として生きる者もいるでしょう。劉備の家は農民として生きただけのことです。



まあ、通常の考え方であれば、幾ら兄弟(従兄弟)が増えるとは言え、王侯となり領地を貰える筈ですが、前漢の文帝、景帝、武帝の三代が同姓王の中央への影響力を抑えるために、『推恩令』(正確には武帝の時ですが、文帝や景帝も同じことをやっていました)なるものを制定し推し進めた結果、同姓王の領地が限りなく縮小されることになりました。



『推恩令』とは、王侯の位を嫡子が継承し、残りの子には同一領地から一県或いは一郷の領地を分け与えられる、というものです。王侯家の子孫に必ず領地を貰える利点はあるものの、嫡子以外の子供は、親王から郡王、県主、郷主と代を追うごとに格下げされ、領地も細分化されてきました。しまいには領国自体も取り潰され郡県となり、これより中央集権国家が完成された、という訳です。



なので、劉備の代にもなると、領地すらなく農民などの副業をやらないと生きてはいけない状況になっているだけのことです。







劉備の300年くらい前の先祖に景帝の第八子の劉勝と言う人物がいて、劉勝は50人以上、一説には100人以上の子供を作ったと言われています。

そして劉勝→劉貞→劉昴→劉禄→劉恋→劉英→劉健→劉哀→劉憲→劉舒→劉誼→劉必→劉達→劉不疑→劉恵→劉雄→劉弘→劉備と続くうちに子孫の数は増え続け、劉備の代になると劉氏の血をひく者は1万人近くいたのではないかと思われます。(家系は三国志演義のものなので信憑性はありません)

1万人もいれば農民になるものがいても不思議ではありませんし、劉氏の血を引いていると言っても全然大したことはなかったのです。

三国志で総合して傑出していた人物は。

三国志で総合して傑出していた人物は。

悪いけど曹操しかいないでしょう。武力だけなら呂布かもしれませんが。

劉備、諸葛亮、曹ヒ、叡父子、或いは司馬懿、師、昭父子を合わせたような人物かもしれません。

言い換えれば、一人で彼らのしていたことを何でも出来た、と見ることができます。



孫策も周喩も、孫権もかすんでしまいます。

後半に登場する鍾会、董某もです。彼らは司馬家政権で蜀に攻め込みますが、曹操をどう思ってたんですかね。

何もかも出来るけど、厄介でえばりくさった嫌なやつと見てたんでしょうか。

どうも司馬家は曹操があまり好きではないように見えるのですが、どう思いますか。



ひょっとすると、曹操以外に、ヒや叡も嫌いだったのかもしれませんね。







曹操がいなければ、中国の歴史も変わっていたかもし、日本の歴史にも影響があったかもしれないですね。

先日もBS系テレビで曹操の存在(?)も見直されていると、言ってたような…








私の勝手な意見なのですが、『三国志演技』であらゆる面

(武力・知力・統率力等)で傑出していた人物は、曹操と

孫堅が双璧だと思っております。



孫堅が早く亡くなってしまったので、やはり曹操が一番

優れた人物となるでしょう!







超マイナーですが士燮なんてどうでしょう。



曹操は確かに傑物と思います。



司馬家の件ですけど。



少なくとも司馬懿の司馬防は曹操好きでも嫌いでもなかったと思います。

曹操に最初に官職を斡旋したのは司馬防ですから。



司馬懿は曹操を嫌っていたと思います。

司馬懿は人の心を読むのが得意だったと言われています。

だから、自分が曹操に仕えたら、自分をいずれ疎むと思っていたとかもしれません。



事実、曹操は脅迫までして仕官させておきながら、疎むようになりました。

曹操は死の間際で曹ヒに司馬懿に気をつけろと言ったくらいです。



針の筵のような環境で日々を送っていた司馬懿が曹操に好感を抱くわけがないと思います。

三国志、官渡の戦いでの劉備について

三国志、官渡の戦いでの劉備について

官渡の戦いのとき「劉備は袁紹に願い出て黄巾族の劉辟と共に汝南を荒らしまわった」とあるのを見てふと疑問に思ったんですが、劉備はどうやって汝南まで行ったんでしょう?位置的には汝南は曹操領の真裏、河北にいた劉備は曹操領を通過しなければ行けないはずですよね?最初は「徐州を通ったのかな?」と思ったのですが、よく考えたら劉備は曹操に徐州を奪われて袁紹の下に逃げ込んだわけなんで有り得ない。劉備1人ならまだしも、主だった部下は引き連れている様子。そんな大所帯が果たして戦時警戒中であろう曹操領を易々と通り抜けられるのかどうか。ご意見、妄想をお聞かせください。







ある方の小説で読んだ内容なので、根拠も何もないのですが・・・

その本の中では、曹操はわざと劉備を通してやったという風になっています。実は、私もこの考えはあながち見当違いともいえないのではないかと考えています。

もちろん曹操が戦力を分散できる状態ではなかったでしょう。しかし、最大の理由は劉備が袁紹を見限った(もしくは離れたがった)ことを察したからなのではないでしょうか?

無理に軍を派遣して劉備を遮れば、劉備は袁紹とともに戦わざるを得なくなります。それよりも、離れたがっているのならば手伝ってやろう、ぐらいのことを考えていたのかもしれません。

客将の劉備とはいえ、内部から離反者が出ると士気に大いに影響します。曹操はそれを見込んで見逃したとしても飛躍した考えではないかと思われます。

正史での劉備はそうとうに狡賢く、また不思議と危険を察知できる人物です。袁紹と曹操を比べたとき、理屈ではなく、袁紹が負けるかもしれないと本能で感じて、負け戦に巻き込まれたくないと考えたかもしれません。

となると、どっちが勝ってもいいように、袁紹には後方支援を願い出て、曹操が勝ったときはそのまま逃げれるように準備していたのだとすると、意外とありえそうだと思えませんか?



----補足----



あれ、知りませんでした?曹操さんって意外とお馬鹿なんですよ?(笑)

反董卓連合の時、徐州侵攻の時、張繍の時、赤壁の時、はたまた荀彧の自殺(確定ではないですが)といい、詰めが甘いというか油断しすぎというか、結構そういうのって多いですよね。

それはともかく、その理由は結構簡単かと思われます。つまりは・・・



曹操「調子のんな」



ということだったんではないでしょうか。(笑)

劉備としては、「領内も素通り出来たし、曹操はきっとこちらには兵を遅れないはず。今のうち大暴れしてやろう」なんてことを考えていたのでしょう。また曹操は、好き勝手やっていた劉備に対し、「わざわざ見逃してやったこともわからんのか。ちょっとお灸をすえてやるか」みたいな感じではないですか?

とにかく、あまり動かれて、ただでさえ劣勢の状況に拍車をかけるのはさすがに不味いはず。一度叩いて士気をあげる必要があったのではないかと推測しますが、いかがでしょうか?

あと、「味方のふり」「裏切られた」というのは、「曹操と劉備が密約を交わしていた」と解釈していいんですよね?

たぶん、曹操と劉備が接近していたわけではないと思います。たまたま曹操と劉備の思惑が一致した(離反を狙った、袁紹から離れたかった)為に領内を素通りさせた、または素通り出来た、つまり結果論としてそうなっただけで、手を組んでいたわけではないと思われます。



----補足2----



>bokeboke10000さん



小説は北方謙三著「三国志」です。

全13巻ですが、三国志演義や正史三国志とはまたまったく違う解釈で書かれている面白い小説でした。ちなみに、「北方三国志」の人気トップ3は、「呂布」「張飛」「馬超」です。これだけ見ても、今までの三国志(横山三国志等)と同じだと思っていたら間違いなく驚かされることになりますよ(笑)



さて、御疑問への回答ですが・・・

まず前の補足で書いてあるとおり、曹操と劉備は別に密約を交わしていなかったと思われます。

曹操は、袁紹を見限った劉備が、その袁紹の為に積極的には動かないと読んでいたのではないでしょうか?だからこそ、領内を通過させたと考えることも出来ます。しかし、なぜか積極的に動きまくる劉備。もしくは曹操敗北後、汝南で挙兵するつもりだったのかもしれません。そこであせったのが曹操。このままだと全軍の士気に影響します。

士気高揚のため、また、うるさい雑魚をおとなしくさせる為に曹仁を派遣し、来ると思っていなかった増援にあせった劉備が自滅した、というところではないでしょうか?








それは私も疑問でした ただ魏書だったか三国志だか忘れましたが于禁の軍によって劉辟って建安元年(196年)に黄邵と共に戦死してるんですよね ただ確かにご質問のとおり官渡の戦い前後の時期に龔都と共に反乱をおこしたとも書いてあるし…



ひどい結論かもしれませんが歴史書があやふやなだけかとこの二人は間違えても仕様がないくらい脇役ですし龔都は生まれも死亡時期も定かではないですし確か劉辟もいつ生まれたか分かってない



まさか三国無双みたいに曹操領を易々と通り抜け… ゴホン 正史の話には似つかわしくない内容なので止めることにします

汝南は許昌に近いしちょっと不可能ではないかと ただそうすると関羽と会い劉表の元に逃げ込むのが難しくなるか…



私見ですが曹操にとって袁紹との戦いは自身の行き先を決める大きな戦いだった為細かい所まで手が回らなかった可能性が高いですね 戦力上では余力を残して戦える相手ではありませんでしたからどちらかというと劉備達もまだ軍師もおらずゲリラ的戦いの方が得意のような気がしますし…曹操領を突破することは実際には簡単とは言えずともそれほど困難ではなかったのではないでしょうか



補足 junya00002004さんの意見は面白いですね 参考までに何という小説なのかお聞きしたいのですが覚えていらっしゃるでしょうか? ただ私も曹操が二度も劉備に騙されたとは思えません そもそも劉備が曹操の元に居る時に郭嘉と程昱が劉備を殺すように進言しましたが殺しませんでした 見逃すとは思えないんですよね 離れたがっているのならば手伝ってやろうという行はあり得そうですがそうするとわざわざ汝南に行くのを見逃したことになり信頼したのでなければ厄介事を抱えるという結果だけを招くので曹操が再び劉備に騙された又は何か曹操に見返りがあり(例えば袁紹の軍に関しての情報など)劉備と密約を交わしたという前提が必要ですね う~ん



補足の補足 赤壁の戦い 宛城の戦い… そういえばこれはどう考えても詰めが甘いですね そういえば董卓を追撃して徐栄にも敗北してましたね…



junya00002004さん >

今度読んでみます 補足を有難うございました あとは質問主さんのご意見も待つことにします 楽しく意見を言うことができました





お二方へ>楽しく意見を言うことができました 有難うございましたm(_ _)m

万歳 三国志 では、私が今から劉備に成りきって質問をします みなさん。好きな三...

万歳 三国志



では、私が今から劉備に成りきって質問をします

みなさん。好きな三国志の人物に成りきって答えて下さい

成りきると言っても日本語でいいですからね






劉備『何か悩みがあれば聞かせてくれ。そなたの力になりたい』







曹操です。

降伏してほしいのだけど。








殿がこの世を去って早10余年ですが、私は今人生の帰路に立たされています。

不肖ながら、この某は殿の王道に殉ずる覚悟で馳せ参じ・・・

功績をお認め下された殿は、漢中太守という破格の待遇をもって報いてくれました。

しかしながら、某はそんな殿の想いに報いれそうに御座いません・・・

昨日、魏の司馬親子を谷間に追い詰めたのですが、あろう事か味方は某が居るにも関わらず退路を塞ぎ、火を放ったのです。

もしも雨が降らなければ、味方に殺される所でありました。

そして此度、朝起きてみれば味方は全て国へと引き上げており、某は馬岱と共に敵との最前線に取り残されてしまったのです。

初対面の者に「人相が悪いから殺せ!」と言われた屈辱にも耐えた某で御座いますが、此度の仕打ちはもはや許せるものでは御座いませぬ。

殿、某はどのように身を処せばよろしいのでしょうか!?



某の名前・・・?トゲが立つといかんので、仮にGとでもお呼び下され。







力なくとも臣のつとめ

何が悩みなどありましょうか



私こそあなたの力になり漢室を

共に復活させましょう。



趙子竜







劉公爵様、突然のご無礼をお許しください。



私は蔡邕が娘、蔡琰と申します。

この度は曹丞相のご配慮により再び中原の地を踏む事ができましたが、

いきなり見ず知らずの男性と結婚して父上の偉業を継げと命じられました。

懐かしき故郷はすでに荒廃し、一族郎党はすでに死に絶え

匈奴に残してきた二人の子を呼び寄せる事もかないません。



私はこれからどうすれば良いのでしょうか?

これも乱世のならいと受け入れるべきでしょうか?

人徳で名高い劉公爵様のご意見をお願いいたします。



-追伸-

詳しくは添えた胡歌十八拍をご覧になってください。



(まじめに書きすぎたのでネタを一つ)



玄徳~!

蜀の地酒も悪くはないが

たまにゃあ別の酒も飲みてーなぁ。

というわけでさ

俺を孫呉の三代目の所に使者に出してくれねぇか?

酒好きには国境はなし!!

-簡擁-







孔明です。



あなたがやることいっぱいあるのに、それらをほっといて部下たちにそんな事言うので困っています。

とりあえず自分のやることをやれるようになってほしいのですが、どうすればいいですか?







(´・ω・`)では単刀直入に申し上げます



関将軍は傲慢で今のままでは呉の諸将の突き上げがひどく



某の死後、呉蜀の同盟が続けられるか心配です



なにとぞ主将を代えて頂きたいのですが



―魯子敬―



(・∀・)続きましてネタバージョン趙子龍編



(´・ω・`)そろそろ結婚しようかと思うのですが



先日桂陽で余計な事を言ってしまい



(・∀・)周囲の者に相談出来なくなってしまいました



恥ずかしながら嫁を紹介して欲しいのですがw







龐統でございます。



孔明がぜひ、というから荊州に来たのに、このようなド田舎の県令を押し付けるとはどういうおつもりですか。

娯楽もなく、音楽もなく、馬車が一日に一度しか来ないようなド田舎の。

はっきり言って、私には役不足でございます。

曹操に近づいて船団を鎖でつないだのは私の策ですよ。

私の策がなければ赤壁で呉は負けてましたよ。



頭に来ましたので赴任以来仕事をサボっております。

先日、張飛どのが来られたので、百日分の仕事を一日で片付けるのを見せましたのに、まだ何もお言葉がないというのはどういうことですか。



こうなったら私もやけでございます。

なんでも未来の倭国の娯楽絵本には1461日分の仕事を一日で片付ける警官がいるという噂です。

ならば私めは2000日分の仕事を一日で片付けてやります。

それを見れば誰も文句は言えますまい。



ではこれから2000日仕事をサボりますので宜しく。







孔明だけど~

こないだ魏延ってのが降ってきたじゃん。アイツ、いまのうちに殺っとかないと、マジヤバイって。

ぜってーオレらのこと裏切るから。



あと、アンタの息子の劉禅。言っちゃ悪いけど、二代目を継ぐ資質あんのかねー?

オレは何か嫌な予感がするんだよね~ひょっとしたら国を滅ぼしちゃうんじゃないかなーって。

アンタ、長坂の戦いのとき、趙雲がせっかく助けてくれた劉禅を放り投げたらしいじゃん。

ぶっちゃけ、そん時に頭でも打って死んじゃったほうがよかったんじゃないかなーなんてね。

何ならオレがうまいこと片付けてやってもいいんだけど、

どうしても死なせたくないんだったら、バンバン戦場に出してビシバシ鍛えてやったほうがいいと思うよ。







馬謖を直ちに罷免なさるべきです。

あの小才子は、いずれ必ず国を滅ぼしますぞ!



言いそうなのは誰だろう。法正か…いや、一番の被害者である王平かな。







なんとお心の広いお言葉でしょう。



では、私くしに良きおかたを紹介して下さいませ。

お顔は、贅沢は申しません。美周瑜さまのようなお顔なら。



あとは、お金もちで掃除を黙ってやる人ね♪



よろしくお願いいたします。

「小喬」

(すみません、貴方様ではムリですか?)

三国志大戦3のカード売却

三国志大戦3のカード売却

こんにちは。

閲覧ありがとうございます。





3.59LE

周瑜 甘寧 孫権 呂蒙 袁紹

3.59SR

馬姫 郭嘉

3.5LE

夏侯惇 馬超 劉備 関羽 諸葛亮

趙雲 張飛

3.59SR

張コウ(魏) 孫策 孫コウ 劉備

諸葛亮 黄月英 周姫 ホウ徳 袁紹

3.1LE

孫策 趙雲 劉備

3.1SR

新孫堅 孟獲 馬超

3.0LE

荀イク 曹操 張遼 賈ク 郭嘉

楽進 夏侯淵 夏侯惇 荀攸

許チョ 徐晃 曹仁

3.0SR

曹操 司馬懿 甘寧 孫堅 孫策

陸遜 呂蒙

2.x横山

周瑜 孫権

3.0~3.59C,UC,Rの約500枚以上+

デッキケース鳳凰天舞2個



でいくらくらいでうれますか?







3万くらいですかね。



ヤフオクと仮定すれば、新カードのLEが周瑜以外は1500前後、周瑜のみ4000前後ですからこれだけで9000ほど。



馬姫は大体5000で郭嘉2000は既に出てますから、これで16000ほど。



3.5LEは1枚500円前後なのでこれで約20000。



3.5SRは孫策、周姫、月英はまだ1000円中ほどですが、残りは300円くらいなのでこれで約25000。



3.1と3.0のLEは物によりますが100円~500円くらい、全部で28000くらい。



残りのSRで30000+R100枚で3000円くらいなるので計33000ほど。



ただし纏め売りをした場合は若干下がる可能性もありますし、上手く転売ヤーに目を付けてもらったらこれを上回る可能性もあります。

個人的に結構ヤフオクは見てますけど、これだけの纏め売りならかなりの高値が期待できると思います。(ただオークションは水物なので上手く売れなくても責任は取れませんが)



http://aucfan.com/search1/sya-tl30d-ot1-cya_2084060487.html



で色々落札結果は確認できますから調べてみてください。



なおショップだとオークションの半値以下になるでしょう。








あくまで今現在の話で値段は急速に下がりつつありますが、

SR馬姫はオークションに出したら5000円は堅いって所が相場だと思います。

SR郭嘉は2000円前後がオークションの相場でしょう。



残りのカードは二束三文って所。

カードショップではマトモな値段で売れるカードは馬姫のみ。

オークションに出したとしても多少は高く売れそうですが、郵送費の事を考えると厳しいと思います。







2~3枚ならまだしもさすがに枚数が多すぎです。

もし調べてほしいなら最低限どのように売るかを特定しないとまず回答してもらえませんよ。

オークションで売るか、カード取扱店で売るかで千円単位で変わるものもありますからね。

まぁ大半は1枚数百円程度ですが。

三国志で劉備は漢室復興を掲げて戦っていましたが当時はナショナリズムなんて概念...

三国志で劉備は漢室復興を掲げて戦っていましたが当時はナショナリズムなんて概念無いはずで、人民にとってはトップは誰でもいいはずなのに、皆従っていたんでしょうか

曹操が中央政権を掌握していて漢室は続いていたし、戦力差も圧倒的だったのにみんな心の底から本気で戦えていたんでしょうか。







近代的なナショナリズムは国家主義と訳されることもあって勘違いされることもありますが、国家統合のための国民による運動ととらえるほうがより適切です。

対して三国志の時代のそれは士大夫ナショナリズムとでも呼ぶほうが実態に近く、国民を運動の主体とは考えていませんでした。民衆の側からみても、為政者は寛容なほうがよいと考えこそすれ、天下国家のイデオロギーはほぼ関心の外であったと思われます。戦争における士気は基本的に報酬や扇動によって維持されていたと考えたほうがよいでしょう。ただし当時の民衆にナショナリズムはなくともパトリオチズムはありますから、愛郷心に基づく民衆の戦争がなかったとは言い切れません。








まず最初に申し上げておきますが、人民(一般庶民。農民や兵士たち)は全く無関係です。



現代日本のように「誰でも読み書きができて、為政者の名前もその政策もある程度知っている」ような世界ではありません。大半の人々にとって県令(町長)や郡太守(県知事)などはみな「偉いお役人さま」でしかなく、州刺史・州牧はもちろん皇帝なんかは自分と住む世界が全く違う「天上界の住人」でしかありません。

一般庶民は読み書きもできず毎日自分の仕事(農業や工業)に精を出すだけで、天下国家の行く末など気にしていません。ただ平和で、毎日ご飯が食べられればそれでいいんです。

質問者さんのおっしゃるように「人民にとってはトップは誰でもいい」のです。



では、誰が劉備の漢室復興の理念を支持していたか。

それは「読み書きのできる知識人たち」です。



読み書きができるという事は、ただ生きていくだけではなく勉学に励む余裕があるという事。その余裕がどこから生まれるかというと、即ち収入の差です。農民や職人は今でいう会社組織などありませんから、みな個人営業で自分と家族を養う程度の収入しか得られません。商いで生計を立てる者も基本的には同様です。つまり高収入を目指すなら官職(公務員)に就くしかない訳です。

しかし官職に就くには読み書きのような教養が必要です。必然的に、官職に就くのはすでに官職にある人物の子弟、という事になります。



要するに、歴史書に名を残すような人々は一部の例外を除いてはそういった知識人層(ある意味で特権階級ですね)に限定され、そういう人達が劉備に味方したり曹操を支持したりして、天下の霸権を争っていた訳です。

それ以外の大半の一般庶民(農民、職人、兵士)は、それらの特権階級の言うがままに支配されていただけなのです。







400年も続いた帝国だったので当時の人たちにとっては漢という国は忘れようと思っても思えない人民の一部となっていたでしょう。

漢の最盛期には6000千万いた人口が三国志時代には900万人にも減っていることから、その繁栄も人々には忘れがたいものになっていたはずです。

漢室復興は実にわかりやすいスローガンだったと思われます。

曹操もそれをわかっていたからこそ自らは帝位に付かなかったわけです。

というか、劉備や孫権は両方とも結局帝位に付いていますし、むしろ、口だけの劉備に比べ、宦官の子孫といわれ馬鹿にされていた曹操こそ義を通して漢室復興に勤めていた最後の忠臣だったのではないでしょうか。

まあ、蜀の民が本気で漢室復興をめざして戦っていたかどうかは分かりませんが、諸侯はその意思があったと思われます。







日本の歴史で言えば、仏様のため(正義のため)に戦えば、極楽浄土にいけるということがあったような感じで、

劉備のため(正義のため)に戦えば極楽浄土にいけるという感じだったと思います。

三国志大戦のデッキのアドバイスお願いします。 桃園デッキです。 劉備 当千馬超...

三国志大戦のデッキのアドバイスお願いします。



桃園デッキです。



劉備

当千馬超

徐庶

羅憲

諸葛セン(2)



です。



諸葛センは完全なるスペック要員です。


士気が12溜まれば、桃園当千なら勝てると思います。



開幕も伏兵をうまく使えばなんとか・・・





張姫と諸葛センで迷ったのですが、知力1なら殺せるみたいなので、諸葛センにしました。(もし張姫を入れるなら徐庶を張凝、関平、馬岱あたり)





軍師は相手を見て知勇か再起を選ぶので、靡竺。

増援もほしいので、ホウ統も考えています。



よろしくお願いします。







個人的な意見ですが、最近では優秀な妨害や超絶、ダメ計などがいて桃園を理想的なタイミングで使うのも難しくなってきている気がします。ですのでこちら側も桃園以外で相手の号令などに対抗する計略が必要だと思います。徐庶だけでは求心や英知などに対抗するのは難しいです・・・。桃園使える相手には使って、使えない相手に対しては全く別の戦い方をすると割り切っていくとやりやすいです。おすすめはホウ統です。また、2コスと1.5コスを馬にまわしてしまうとぶつかり合いになったときの乱戦が心配になります。(低武力の兵力管理と同時に馬での乱戦は迎撃の心配をしなくてはならないため)



●SRホウ統を使った場合

・・・劉備、ホウ統、SR魏延or関興、銀ペイ、諸葛セン(2)orリョウカ

●Rホウ統を使った場合

・・・劉備、馬岱or馬姫、R魏延or張苞、ホウ統、諸葛セン(2)orリョウカ

●Rホウ統を使った場合

・・・劉備、馬ショク(挑発)、SR魏延or関興、ホウ統、諸葛セン(2)orリョウカ



個人が使い慣れているカードを使うことが一番なので参考までに。








結構、退屈なお話になっているのですが、見てみてください。



劉備、ばちょの2トップにすると武力8、ジョショで4、ラケンとセンで2ですよね。88422は見た目がキレイですが不安定です

目安の武力というのがあって、それは5枚デッキなら98522くらいにそろえると良いと考えられています。



このデッキの場合は、2トップが8であることを考えると、駆け引きをしなければ、いわゆる上記の推奨武力に負けてしまいます



劉備の桃園を使うと18,18、14、12,12ですよね。普通、武力10~12あたりが号令の武力ラインと考えられます。

そのため、1.5コスト以下は結構、並の号令と変わらない武力になります。

そこで武力18の2人で守るのですが、1人落とされると全滅する特徴のため、当然、相手は2人をスルーします



そこで落雷、レンカンを用いて牽制をする必要があります。

落雷やレンカンを使う目的より、牽制する目的に使ってください。



デッキに入れるか入れないかは別として、その例をあげましょう。

例えば、レンカンの場合、相手は必ず密集を避けるはずです(浄化や初心者ではない限り)それを利用して、相手が号令をかけにくい体制にしたところで桃園を用いれば、足並みの揃わない相手を倒すことができます。



また、落雷も同じく、ピン落雷を警戒して、キーカードを後列にするか、密集するかという行動をとってきます。

もしも後列にキーカードを配置した場合、落雷で牽制しつつ押し込んで桃園を打ちます。

すると、敵はキーカードを後列におきますので、壁になる武将を前に出しているはずです。

それを利用して高武力で壁を倒せば、数でも有利になり、勝ちやすくなります。



桃園を使う場合は、単独で使用するのはほぼ無理なので、そういった牽制を用いて使わなくてはなりません。

そう考えると、仮に劉備とばちょを固定すれば、落雷の牽制でジョショを入れますよね。

残りの2コストは、武力を補うためにボンショウやカンギンペイを入れると一層破壊力が高くなります。

(再起はホウセイかビジクでOKですね)



さらに、劉備だけ固定、コスト2にチョウウン、オウヘイ、ホウトウ、ラケンを入れれば、開幕を伏兵と柵でしのいで、レンカンの牽制をしつつ桃園ができます(これもホウセイかビジクですね)



軍師を増援にするなら、劉備、天属性の騎兵、カンサク・・・と天属性で固めた上で、桃園→天意→増援のゴリ押しもできます



どれも魅力的ですが、ダメージ計略に注意してください。

大水系と赤壁が一番危ないです。

牽制しても、後列から放てるダメージ計略は恐ろしいです。



仮に一騎当千をしたとしても、下位コストならダメージ計略→集中攻撃で撤退してしまいます。

もしもダメージ計略を使う武将がいる場合は、パワーカードを狙ってください。

ダメージ計略がいるということは、号令か超絶強化を持つ武将がいる可能性が高いのです。

その場合、ピン落雷を使い撤退させれば、桃園を使わなくても、戦い方で何とか押し込めるはずです。



桃園+牽制で勝つことを、覚えておくといいです。

私はこんな感じでアドバイスします。

ちなみにバタイはネタカードなので、ボックスにしまっておいてください。







寡兵戦法は2体もいらないと思いますし桃園で武力2が2体いるのが少し不安ですね。

桃園をかけても武力12なんで集中狙いで倒される事もあると思います。

個人的に桃園にお勧めなのは関銀ペイですね。

桃園→目覚めをやれば1コスの低武力の不安も消えますし車輪で守りやすいかなと思います。

軍師はそれでOKだと思います。

三国志11(三國志11)の、年齢によってグラフィックが変わる武将を教えてくださ...

三国志11(三國志11)の、年齢によってグラフィックが変わる武将を教えてください!!



よろしくお願いします!!







蜀・・・張飛・関羽・趙雲・馬超・黄忠・劉備・諸葛亮・姜維



魏・・・夏侯惇・曹操・張遼・張郃・司馬懿・荀彧・徐晃・鄧艾



呉・・・甘寧・呂蒙・孫策・孫権・周瑜・陸遜・孫尚香



他・・・呂布・貂蟬



ですよ。

三国志演技の英雄の1人曹操を一番贔屓にする人の神経が理解できません。

三国志演技の英雄の1人曹操を一番贔屓にする人の神経が理解できません。

三国志演義の中の主役はどう考えても劉備玄徳、第二主役は諸葛孔明だと思います。少なくとも吉川三国志ではそうとしか取れません。曹操は絶対に悪役、非道の人物です。分けても無辜の恩人を惨殺したり、部下を平気で殺したり、やってることは董卓と対して変わらないと思いますが、何故一部には曹操贔屓の人がいるのでしょうか?



そりゃ戦乱中のこと、ある程度のことは仕方ないとは思いますが、曹操は極悪非道です。孫権と比べてもそう思います。







三国志演技とはなんでしょう?三国志演義ならそれは歴史を元に作られた小説の作品であって歴史の事実を書いた物ではありません。三国志の英雄のひとり、もしくは三国時代の英雄のひとりと記するのが好ましいと思います。演義での主役は劉備で悪役は曹操でしょうが、それは演義の作品の作られた役であって三国志の主役は劉備、曹操、孫権の三人でしょう。質問者さんはただ演義の作品だけ読んで語っているのでしょうか。吉川三国志を見てなんで曹操と董卓が変わらないと思うのでしょうか。全然違うでしょう。理解できていないとゆう低知能を露見しているようなものです。質問内容も文面もとても知恵者のするものではなく思えます。



これだけ多くの人間がいれば、人それぞれ視点や感ずることは違うでしょうし、質問者さんのように低知力な人ばかりではありません。悪役といえども一番に贔屓する方もいるでしょうし、呂布や袁紹を一番に贔屓する人も当然いると思います。

マンガでの例えになってしまいますが、「ワンピース」でルフィーが主役でしょうが、その敵悪役でクロコダイルとかを一番に贔屓している方もいるでしょう。個人個人が魅力を感じるとこが違うからです。主役だから贔屓するとか皆んなが皆んな、ならないでしょう。ましてや曹操は三国志では欠かせない、この時代の重要人物なのですから。



演義での曹操は稀代の悪役ですが、群雄たちが戦による領地拡大に普請する中で、曹操は青州黄巾の制圧による兵力確保、天子奉戴、屯田による経済基盤の確立などなど、ここで文面に上げるにはたくさんありすぎるこうした重要な歴史的な役割を果たした曹操を、三国志演義は悪役に配した架空の話もある虚構の入った小説です。悪役でありながら曹操が放つ強烈な個性は、実在の曹操が持っていた歴史への強力な働きかけが、三国志演義の虚構を通じても、なおを伝わってくるためでしょう。こういった魅力が曹操を一番に贔屓する理由のひとつになったりするのではないでしょうか。それや実際の歴史上の曹操を知っている方もいるでしょう。



そして非道とはおっしゃいますが、何顒[カギョウ]を中心とする名士グループから曹操は「天下を案ずる者」と評され、その名士グループから迎えられています。名士としての名声を得た曹操はやがて孝廉に挙げられ洛陽北部尉となり、当時の儒教の最先端である「猛」政に基づく厳格な政治を行い、法を破る者を捕らえると権力者の血筋であろうが関係者であろうが、かまわず罰っしました。この曹操の「猛」政は、荀彧や郭嘉から絶賛されています。



後漢の衰亡は官僚や宦官の権力争いに端を発しています。腐りきった朝廷に横暴する政治や賄賂や郷挙里選(簡単に言うと今でいう天下りシステムのようなもの)こうした例を嫌と言うほど見てきた曹操は、いままでの常識を覆し国を正そうと天下に立ち上がった人物なのですから。








詳しく知らないので私の意見はあてにならないかもしれませんが、

魅力を感じる武将は人それぞれです。

曹操を贔屓にしてる人は曹操に魅力を感じたのでしょう。



劉備と諸葛亮だってそうです。

三国志の物語といったら劉備の物語ばかりで飽き飽きです。

それに劉備だって残酷さはあります。

関羽が死んだ時に趙雲等が止めたにも関わらず、我を失い勝てない戦を仕掛け、

兵士を無駄遣いし、あまつさえ張飛まで亡くしていて、なんにもならない弔い合戦をしています。



曹操は残酷なところもありますが、質問者さんが劉備や諸葛亮を贔屓するように、

良いところもあるということですね。

私が良いと思うのは、優秀な人材がいれば殺さずに部下にし、

ちゃんと部下も曹操魅せられ、付いていきます。

そしてちゃんと政治力もあると思っています。



と、熱弁しましたが私は孫策が一番好きな武将なんですけどねw







冷酷なこともしているでしょうが、それ以上に魅力があると思う人が、三国志時代も今もいるということでしょうね。

曹操よりも明らかに魅力の無さそうな項羽にも、最後まで付き従った家臣がいるくらいですから、曹操はよほど人を惹き付ける要素があったのでしょうね。

私も劉備や孔明が主役の三国志ばかり読んでいたので質問者様の意見はよくわかります。一度曹操を主役にした本を読まれることをオススメします。きっと劉備も曹操も好きになりますよ。







逆になんで劉備と諸葛亮ばっかり贔屓するんだよ!私にはあなたの神経がわからない。



別に劉備と諸葛亮が嫌いってわけじゃないですよ。むしろすごく尊敬しています。

けど三国志演義なんて蜀を盛りたてるために魏を必要以上に悪役に仕立て上げてるだけじゃないですか。なんで魏が悪役なんですか。



彼の中華史における功績を考えると悪役になってしまうのは大変失礼かと思うのですが。



確かに曹操は徐州で大量虐殺、孔子の子孫の一族を処刑、名医華陀の殺害などを行っていますが、素晴らしい業績も数多く残しています。すごいところもたくさんあります。決して残虐なだけの人ではありません。



政治家として

曹操は家柄や品行にとらわれず敵であった者でも才能があれば登用する異例、異質なものであった。



農政において、群雄たちは食糧を民から略奪のようなことをしていたが、戦乱のために耕すものがいなくなった農地を官の兵士が農民を護衛して耕させる屯田という農政を行いこれによって潤沢な食料を抱えることになった曹操は、各地の民衆を大量に集めることができるようになった。この先進的な屯田制が、後漢の群雄割拠の中でそれほど出自的に有利ではない曹操が、他の群雄を退け勝ち残る理由の一つとなった。



将軍として

曹操は実戦においても優れた戦略家・軍略家であった。当初は董卓・劉焉・袁紹・袁術らのような有力な勢力ではなく、ただ群雄の一人として連戦連勝を重ねてのし上がり、最終的には中国北部全域を支配するまでに勢力を拡大している。特に匈奴・烏桓・羌などの遊牧騎馬民族との戦いでは無類の強さを発揮している。また、奇襲・伏兵を用いた戦いを得意とし、袁術・呂布との戦いでは水攻めを用いて勝利している。謀略に長じ、軍の統率にも大いに長け、また兵書を編纂し評論できるほどの確かな戦術理論を持っていた。



曹操がこと戦役において、袁紹・呂布・袁術ら他の群雄と比べ瞭然として勝っていた部分は、部下の進言・献策を的確に見極めて取捨選択し、利己心無しに受け入れる能力と言える。多くの重要な戦役においては、それらによって曹操が一時不利な状況から勝利を収めた例が少なくない。曹操は適材適所もわきまえており、『魏書』には「任された将兵は立場をよく理解し、自らの武と奇策をもって難に向かった」との記述が残る。



荀彧によれば、曹操軍の軍法軍令は明白で、賞罰も的確に行われていた。



兵法家として

兵書『孫子』を現在残る13篇に編纂したのは曹操である。『孫子』の他にも、『続孫子兵法』『太公陰謀』『兵書接要』『兵書論要』などの兵法書を著している。



文人・詩人家として

政治・軍事に多忙な中、多くの文人たちを配下に集めて文学を奨励すると同時に、自身もすぐれた詩人であった。彼は建安文学の担い手の一人であり、子の曹丕・曹植と合わせて「三曹」と称される。



曹操は軍隊を率いること30数年間、昼は軍略を考え、夜は経書の勉強に励み、高所に登れば詩を作り、詩ができると管弦にのせ音楽の歌詞にしたという。

現存する彼の詩作品は多くはないが、そこには民衆や兵士の困苦を憐れむ気持ちや、乱世平定への気概が感じられる。



その他

曹操は武芸にも優れており、揚州で兵を徴募した際、多数の兵卒が反乱を起こしたが、曹操は剣を手に数十人を殺し、残りのものは皆恐れをなしたといわれるほど、人並みはずれた腕力を持ち、自身で飛ぶ鳥を射たり猛獣を捕らえたりしたともいう。また曹操は張譲の邸宅に忍び込んで発見された際、手戟を振り回し土塀を乗り越えて逃げ、その人並外れた武技で誰も彼を殺害できなかったという。



文武両面に非凡な才能を見せた曹操を陳寿は「非常の人、超世の傑」(類稀なる才の持ち主であり、時代を超えた英雄である)と評している。



とにかく曹操はすごいんです。お分かりいただけましたか?まぁ納得しようがしまいが個人の勝手なんですが。

長文失礼しました。



追記



関羽が曹操の捕虜になったとき、関羽は劉備を裏切ることはないことと、曹操への恩返しが済んだら立ち去るつもりであることを述べた。

顔良を討ち取るという功を立てた関羽は、必ずや劉備のもとに戻ると曹操は考え、関羽に重い恩賞を与えた。関羽はこれらの賜り物に封をして、曹操に手紙を捧げて別れを告げ、袁紹に身を寄せた劉備の元へ去った。曹操はその義に感嘆し、関羽を追いかけようとする部下に対して、彼を追ってはならないと言い聞かせた。



本当に残虐な人なら、この強敵を敵に回すくらいなら、殺していたでしょう。







三国志演義では劉備が主役で良いと思います。主役に見あうよう美化されていますし。



そもそも、史実とは違うあくまで小説です…



言い切っておられるので、史実もご存知の上で判断されていると思いますが…

もしも、演義しか読んでいらっしゃらないのであれば歴史だとは思わないでください。



例えば、演義を元にしたゲームで人気がある馬超一人をとっても全く違います。

演義では悲劇の人物ですが、史実は身内がいるのに反逆し、あげく逃げ回り匿ってくれた人物を馬鹿にするような発言、さらに遠く遠くまで一人逃げ延びています。

強いということは同じですけれども、それくらいの違いがあります。



割合として曹操は正史を読んでいる人から人気が高いですね。

彼は決して残虐なだけではないですよ。そうなら、あれだけ優秀な部下達はついて来ません。



彼は実力や才能があれば仕官させ、珍しいことに身分差別をしませんでした。平等です。

自分の身内を殺した人物でさえ降伏すれば受け入れていました。

呂布すら許そうとしましたからね、まぁ劉備が殺せと言って結局は…ですが。



ちなみに屯田制を始めたのも曹操です。部下の提案を受け入れています。

曹操が自分の命を省みない無茶ばかりするので、死を覚悟で注意した部下を褒めてもいます。

自分が無茶をしたらまた止めて欲しい、と。





劉備も気に入らない部下は殺していますし、諸葛亮も同じです。

劉備が人肉を美味しいと食べたというのも残っています。

ついでに彼は逆賊でもありますし、義理の息子も殺してますね。

その義理の息子だって、一説では血が繋がった息子なのに諸葛亮が養子ということにしたという説があります。



演義の曹操が好きな方は、史実の曹操が好きでもあるのではないでしょうか?



董卓も残虐なだけでは無いですしね。

どちらにしても好き嫌いはあると思います。







日本人の気質と合うんじゃないですか?



これが全てとはいえませんし、私の視野狭窄に加え

小さいコミュニティの中での話に過ぎないのかもしれませんが

私の知り合いの中国の方も大概質問者様と同じような事を

言われますね。

中国では本当に董卓と変わらないほどなのでは?と

思えてしまうほどです。



例の墓騒動の話は日本ほど盛り上がってなかったみたいですねえ。

曰く「日常の生活にあんまり関係がないので興味がない」とのこと。



曹操は日本発の評価再生型英雄かもしれませんよ。

確かに毛沢東の再評価で学問の世界では地位もいくらかは

復権しましたが民間にまで至るほどではありませんでした。



その点、日本では吉川&横山先生らのご尽力により

日本人好みなリアリストである曹操の魅力を存分に引き出し

独自の評価目線で曹操を押し上げ、今や数多くのファンを得るほどに

日本では民間にも曹操人気は波及を遂げたと思います。



曹操は確かに残酷で残忍で冷酷でもありますが

反面で、非常にいい兄貴肌の切符の良い男で

気に入った人物はとことん厚遇するという誰が見ても

好感を持てる一面も持ち合わせています。



学問の面から再評価運動が始まりましたが

皮肉にも曹操が悪評を蒙ることになったのも学問からな気も

しますね。

曹操は武人からは慕われていましたから。



正史の記述を熟読すれば分かると思いますが

曹操は激情であり、一本気な分かりやすい性格の好漢です。

親の仇と感情の制御を効かせずの

虐殺などもやからしてしまいましたが

これは自身の親への孝心とも取れるの行動なのではないでしょうか?



水滸伝では人気者の武松は無残に殺された兄の仇と

凄惨極まる報復行為に及びますが彼が攻められることは

ほとんどありません。



曹操とでは数量の違いこそありますが

肉親への思いから及んだ行為。

両者の違いはそんなに大きいものですかね?

「やはり曹操か。」「曹操の癖に~」な色眼鏡は取ってみるべきでしょう。



多くの民意を敵に回すような愚を思うより先に

親の仇と感情をほとばしらせるあたりにも損得勘定では動かない

人間らしさを感じませんか?



算段高い鉄面皮ならきっとこんなことはやりませんよw





曹操ほど過大、過小に揺さぶられる英雄も珍しいとは思いますが

私は曹操は魅力ある「悪」として好きな人物ですよ。

劉備、孔明らとは違った魅力のある主役の一人かと。







演義では劉備達が主役で良いと思いますよ。ただあの曹操は歴史上の

曹操とは大分かけ離れてる。だから性質が悪い。



贔屓にしている人達はそう言う曹操を知っているから、ですね。歴史上で

は屯田政策を行い、苛烈な搾取で流浪していた人民に働きの場を与え、

生活の保障をしてやり、能力があれば名声とか品行とか関係なく登用し、

活躍の場を与えた。実際はあまり殺害もしていない(演義では病死した人

とかを曹操が殺害したことにするエピソードとかも結構あります)。



歴史上の曹操が全て、とは言いませんが、単なる悪人で済ませられる程

器の小さい人物でもありません。だから吉川英治も途中からどんどん彼に

興味を持っていき、最後、曹操が亡くなる場面では英雄として敬意を払う

ような書き方をしているのです。



極悪非道と断言できる程、あなたは曹操の何を知っていますか?



追記

残虐や極悪非道と言いますが、劉邦とか他の時代の歴代皇帝とかと比べて

曹操とかはまだ殺していない方ですよ。孔融に関してもそこまで我慢する

の?と言うぐらい辛抱強く使っています。



それに敵方でも陳宮なんかは、彼の娘が嫁に行くまでずっと面倒を見たり

しているぐらいです。極悪非道な人物なら自分を裏切った相手の娘とかを

養ったりはしません。他にも裏切って逃亡した人物を捕まえたらまた雇用

するなど、かなり度量の広いことをやっています。蔡邕の娘がさらわれて

異民族の嫁になってるのを不憫に思い、取り戻したりもしていますしね。



確かに激情家ではあったと思いますが、基本は情に厚く配下をいたわって

くれる人物です。残虐とか極悪非道とか書いているのは大抵が呉蜀の敵方

の当てにならない記録を三国志演義が取り入れているだけの話ですね。



もっとも、これだけ史書では違う、と言うのがあってもまだ嫌いだと思う

なら、そこは無理に変えることはないんじゃないでしょうか。好き嫌いは

人それぞれだと思います。ただ極悪非道とか残虐とか一方的な見方だけは

止めてほしいですね。







演義においては間違いなく劉備と孔明でしょう。

しかし、正史(陳寿では)なら曹操が主役です。史実において後漢末の主役は袁紹でしょうし、200年以降はやはり曹操でしょう。

勿論、演義は物語ですから明確に善玉としての主役が決まっており、そこは議論の余地がないでしょうが、史実に関しては誰を主役と見て評価するかは人それぞれです。

例えば劉備にしても、蜀の乗っ取りや面会を断られたことに腹を立て縄で縛って200回ぶん殴ってフルボッコにしたり、袁術っぽく約定を反古にしてみたり、決して、ただのいい人ではありません。











そういうことを言うなら、全員が極悪非道です。



劉備だって、劉璋をだまして益州を手に入れています。あちこちでほら

まがいのことを言い触らし、劉姓であるのをいいことに皇帝の近親者た

ることを騙り、何度も主をだましてはその利益をかすめ取ろうとし、しか

も善人面しています。自分の子どもが死にそうな事態になっても、ひと

つも父親らしい愛情をみせず、優秀な部下のほうが大事だという。最

悪の人物ではないでしょうか。



そもそも劉氏王朝にまったく正統性がないような末期状態なのに、劉

備のみに大義があると考えるのはあまりにも恣意的です。どんな末期

症状を呈していても、ときの権力に逆らえば「逆賊」ですかね?



孫権もかなり器の小さいヤツで、特に晩年はどうしようもない。義を曲

げて、名宰相の陸遜を憤死させ、孫氏のその後の混乱のもとをつくって

います。



全員が英雄ですから、確かに、どの人物もアクのつよいところはあります。

しかし、曹操は教養が高く、もっとも早くから、堕落した劉氏王朝の体制

に反旗を翻した人物です。宦官に誅殺された何進のシンパとして、革命

を進める権利がありますし、実際、実力でその先頭を歩んできました。ラ

イバルの袁紹も、実力で破りました。すべて、実力です。私は歴史に贔

屓も何もないと思っていますが、まあ、贔屓にする人がいるのも当然です。



もちろん、劉備にも魅力があります。何もない無頼漢から、三国の一に

成り上がっていくわけですから痛快性があります。自分はさほど能力がな

くて、周りに支えられる「人徳」という考え方も面白い。



一方、演技や吉川三国志においては、確かに、悪役ですが、それを鵜

呑みにして曹操の人格を考えるのは愚かです。仮に丸呑みにしたとして

も、悪役が必ずしも人気を集めないということはありませんし、悪役がいな

ければ、物語はつまらないものです。例えば、一世を風靡したアニメ『あし

たのジョー』では、ジョーよりも力石のほうが人気があったりするわけです。



これら悪役の魅力が、劉備の魅力をも引き立てています。それに気づいて

いる人は、曹操のほうをかえって愛する場合があります。







それは二種類あります。董白さんのようにヒール好きと、三国志演義とは別に正史における曹操を評価する方と。

質問者さんが演義の曹操を贔屓するのがおかしいと考えるのもひとつの見解であり、他のかたが曹操を評価するのもひとつの見解です。どちらももっともな意見です。

脱線ですが、私が一番贔屓するのは、魏の徐バクです。(誰?)







極悪非道大いに結構ではありませんか!

ウルトラマンには怪獣・仮面ライダーには怪人と

有象無象の雑魚よりぶっ飛んだ大物の方が面白い!!



郭嘉が居ればと嘆いたり

懲りずに人妻に手を出したり

華陀を獄死させた事を悔やんだり

終いには人生を憂いて大酒の詩を詠む。

劉備以上に感情の起伏が激しく俗っぽいなら

道化を通り越してむしろ親近感が湧くと言うもの。







確かに、三国志演技の英雄は劉備と答える方が大半だと思います。

張飛に関羽に趙雲に諸葛亮、等々、名だたる武将がそろっています。

しかし、見方を少しかえて見ると、その様な名だたる武将がそろい、

あの、三国志演技では神の様な存在の諸葛亮がいたにも関わらず、

三国志の中では蜀の領土は一番狭く、滅亡したのも蜀が一番でした。

一方、曹操はと言うと三国の中では一番の領土を支配し、配下の武将の

一番多かったと思います。そういった意味では戦乱の中で一番の英雄とも

言えるのではないでしょうか?











演義の主人公は劉備で間違いないでしょう。(諸葛亮かもしれませんが)



いずれにしても、曹操は主人公と相反する立場の人物ということになります。



ただし、三國志のややこしいところは、曹操と劉備に限らず、人物同士が終始同じ関係(敵対・有効・主従など)ではないことですかね。



曹操の悪行については、

・無辜の恩人惨殺(呂伯奢のことですかね)→誤解から家人を殺したとはいえ、放って置けば自分は終身追われる身になる、天下統一がなされなくなる

・部下殺し(兵糧のマスの話かな)→少ない兵糧で軍を維持する為のやむを得ない策



などですかね。いずれにしても一貫しているのは、単なる保身ではなく、天下を統一する名分の為の行いであり、そもそも天下統一を果たそうとする名分は黄巾の乱・董卓の暴虐・天災などでグチャグチャになった国を立て直すことで、董卓のように私利私欲の為に行っているわけではないと言うこと。



この一貫性が、時には行き過ぎたダーティさを醸し出しながらも人気を保っている理由かと思います。



(あくまでも演義での話です。史実であれば全く別の意味で尊敬されてしかるべき人物です)







逆に質問…



・自分を助けてくれた恩人の子供の人肉の料理を食した。

・救援を求めた親族の領地を奪った

・自分を慕う養子を、誤解もあったにせよ処刑した

・部下が命をかけて助けた子供を投げ捨てた

・同族の皇帝が生きているのに殺されたことにして、勝手に皇帝を名乗った



↑のすべてを行った人物は極悪非道ではないでしょうか?

全部、劉備がやったこと…やっていることは袁術とかわらないですよ・

要は正史の作者である陳寿と三国志演義の作者である羅貫中の書き方が良かったということです。

陳寿は蜀の人物ですので自国の事柄について甘く書かれているのはしょうがないでしょう。







私、個人は

吉川英治版「三国志」

は、あまたある「三国志演義」本の中でも

傑出した存在だという認識です。

(もちろん「間違い」がないわけではなく、

そろそろ、原作を損ねない範囲での改定が必要だと思いますが。)



曹操の描写にしても

「単なる悪人という書き方はしていない」

というのが私の感想ですが・・・・・。



私は一応

羅貫中の「三国志演義」や他の「演義」ベースの本も

いくつか目にしていますし、

陳寿のいわゆる正史「三国志」も

目を通しています。



それらの経験から総合的に考えても、曹操を

「特に極悪非道」

とは思いません。



あくまで私個人の感想です。

この考えを他の方に押し付けるつもりはございません。







>>三国志演義の中の主役はどう考えても劉備玄徳、第二主役は諸葛孔明だと思います。少なくとも吉川三国志ではそうとしか取れません。



概ねその認識で正しいです。素直な読み方をすればそのようになります。

『三国志演義』を読む限りにおいて、曹操は一方の主役でありますが、やはり悪役といっていいでしょう。

ただ、吉川版の曹操はまた単なる悪人とも一味違いますけどね。





>>何故一部には曹操贔屓の人がいるのでしょうか?



実際に戦乱の中原を支配した一級の英雄である、ことにつきるのではないでしょうか。

非常にキレる人物であり、一流の詩人であり、軍人であります。

茶目っ気を持ったエピソードにも事欠きませんし、人材を見極めて抜擢する眼力もあります。

こういう圧倒的な能力を持った人間には、善悪を超えて人からは注目されますよね。

「単純なそこいらの悪役キャラ」にはない魅力を持っているといえばわかりますか?





ただ、よく、歴史をかじりかけた人で、正史を読んだ反動などで曹操をあたかも無謬の存在のようにまつりあげて、

行為のすべてを肯定してしまう人がいますが、それは曹操にとってもその人にとっても残念なことだなぁと思いますね。







詰まるところ本な訳です

かなりの数改竄されている部分もあるでしょう

また英雄の定義も人それぞれです

容認する必要はありませんが

同質の思想を持つものはひかれ合うものです



まぁどちらにしても結局戦争に加担していたんですから

農民の方がまだましかとも思っています

人は束ねてはいけないんですよ。

三国志の蜀の孔明は 劉備亡き後に自分が皇帝になればよかったのでは? そしたら...



三国志の蜀の孔明は

劉備亡き後に自分が皇帝になればよかったのでは?



そしたら蜀は天下統一ができたと思うですが・・・







彼は誠実を絵に描いたような人です。

だから劉備をはじめみんなに信頼されました。

義に殉じましたが、歴史に残りました。

彼ほど悪評のない人物も珍しいでしょう。

皇帝になるより、今の方がよかったと思いませんか?








孔明は自分が人の上に立つ器でないことを

知っていたと思います。

王佐の才は人に尽くすことで力が発揮できます。







自称皇帝にすぎない蜀の帝位は何の正当性もなく、そんな皇帝ってただの笑いもの。



孔明が皇帝につくには、天下統一のあとに、諸侯の推挙で皇帝につくしかないです。







皇帝になっても無理です。

というか先輩同輩を差し置いて自分がトップに成り上がったら、天下統一どころか内紛でいっぺんに蜀は崩壊するでしょう。

また、万が一皇帝になっても自分は外に出られません。間違いなくクーデターが起きます。蜀の内情は実は劉備時代からボロボロです。

第一、孔明以外にだれが軍隊を指揮して、国力、人材共数倍の魏と呉に勝利できるのでしょうか。



孔明は優れた人ですが、それとても同時代一の人物という訳ではなく、後世多分に誇張された人物でもあり、彼をもってしても蜀地方を守るのが精一杯だったのです。







漢の後継政権を主張する事が蜀の唯一のウリですから、孔明が皇帝になった時点で崩壊でしょう。



彼に統一の目があるとすれば、蜀を手みやげに魏に降り仲達に取って代わるぐらいしかないと思います。

それとて人材豊富な魏では、容易な事ではないでしょうけどね。



蜀は弱小劉備が引き篭もるのに適した土地。孔明の狙いもそこにあったと思います。

本気で天下を窺うために、孔明があの土地を選んだのだとしたら、「天才軍師」もその程度の人だったって事で。







彼の実像は有能な政治家です。簒奪して蜀の皇帝にはなれたでしょうが、果たして軍略家としての能力がどれだけあったかは疑問です。三国志演義では鬼神のような戦略で勝ち続けますが、後世に脚色されたものです。魏、晋に対抗しうる国力は全くありません。

 簒奪しなかった、皇帝にならなかったところが良いのです。







三国志演義の世界ですね。これは講談ですからそう思うかもしれないが、本当の歴史上の魏と蜀では人材、正統性、地勢、どれをとっても実力が段違いですから、勝負になりません。

三国志演義での孔明は全知全能に描かれていますが、あれでは魔法使いのようで、とても皇帝の器ではありません。

レッドクリフの公開を記念して、日本でも三国志のドラマでやってくれないですかね...

レッドクリフの公開を記念して、日本でも三国志のドラマでやってくれないですかね。主要な人物のキャストを考えてみました。

劉備(上川隆也)、関羽(阿部寛)、張飛(ドランクドラゴン塚児)、趙雲(小栗旬)

諸葛孔明、(ゆず)北川悠人(話題性は良いかと、大根だけど・・・、黄忠(宇津井健)、馬超(坂口健二)、ホウトウ(温水陽一)、キョウイ(細田よしひこ)、関平(溝端淳平)、魏淵(高田軍曹)、曹操(佐藤浩市)、曹否(北村一輝)、ジュンイク(瑛太)、孫権(成宮)、甘興(TOKIO、松岡)、周楡(中井貴一)、小嬌(伊藤美咲)、孫小香(柴崎コウ)、華多(小日向文雄)

麗紀(小雪)、黄蓋(芸人のぐっさん)以上、数が少ないですが考えてみました。このキャスト以外に何か良いものありますか。







すばらしい。劉備(上川隆也)、関羽(阿部寛)、周楡(中井貴一)、などはイメージがわきます。

ただ、曹操はレッドクリフでオファーのあった渡辺謙にお願いしたい。



ゲームの影響なのか、日本では、趙雲や周楡をことさら美男子に描こうとする。趙雲は劉備と同じ年あるいは年上であったらしいので、もう少し中年の男でお願いします。



問題は孔明だな。知的で線の細い一癖ある俳優となると誰だろう。オダギリジョーあたりか?








(蜀)劉備(上川隆也)、関羽(阿部寛)、張飛(原田龍二)、趙雲(石橋保)、孔明(金城 武)、黄忠(菅原文太)、馬超(吉田栄作)、ホウトウ(松村邦洋)、キョウイ(今村翼)

関平(堂本剛)、魏延(オダギリジョー)、劉禅(えなりかずき)

(魏) 曹操(北村一輝)、曹否(市原隼人)、程いく(稲川淳二)、しばい(成宮)、曹仁(細田よしひこ)、かこうえん(谷 隼人)、かこうとん(照英)

(呉) 孫権(佐藤浩市)、周楡(唐沢寿明)、ろしゅく(寺尾聡)、

女性陣 ちょうせん(伊藤美咲)、甘婦人(中谷美紀)、小嬌(BOA)、







なかなか、では。

大河ドラマで秀吉役を熱演した竹中さんは寥化

同じく信長役(というか松竹梅?)が似合っている渡辺さんは程普なんてどうでしょうか?







スターウォーズのストーリーは北欧神話をオマージュしたものらしいから

三国志もスペースオペラ風にしたら

太陽系制覇をもくろむ皇帝セオセオ(曹操のピンイン読み)の

邪魔をする反乱軍の参謀コンミン(孔明のピンイン読み)

ターミネーターのように強くて凶暴なザンフェイ(張飛のピンイン読み)

三国志大戦3で最近勝てなくなっています馬雲リョクと王悦と花鬘が音楽ナスカ氏のイラ...

三国志大戦3で最近勝てなくなっています馬雲リョクと王悦と花鬘が音楽ナスカ氏のイラストで出ればなと公言した私です(笑)すみませんデッキ診断お願いします。
一つ目は2R槍馬超R趙雲SR諸葛亮R夏侯覇Rホウ統軍C糜竺、二つ目はSR劉備R趙雲R馬超R張苞R軍ホウ統、三つ目は2SR姜維R趙雲R張苞SRホウ統(またはSR騎劉備)C軍糜竺、四つ目はSR劉備R馬超R趙雲R関銀屏Rホウ統C軍糜竺 です。一部診断で構いません。またバージョン3.12が稼動するという情報もあります。それに対応できる助言もお願いします。







===1つ目===

他の方が剛槍は弱体化しているとおっしゃっているので、私はコッチを、

R趙雲…まさか疾風車輪の趙雲ですか?彼は強いですがある意味計略がネタですよ、

素早い車輪戦法で使えると思いきや、敵の槍撃を食らうと大打撃!!運が悪ければ1撃で落とされます。

R趙雲がもし質実剛健でしたら、まぁ微妙な槍デッキになりますね。

本当は3の神速戦法なんでしょうが、神速戦法の趙雲でしたら、

そのまま2R槍馬超を他の2.5コス…SR馬超でも他の勢力から持ってきて混成にするとかも選択肢ですね。



===2つ目===

脳筋が多いのと、士気が重いのが気になります。



===3つ目===



SR騎馬劉備…あの「勝利に向かって突き進め」の劉備ですか…

以前私も2SR姜維と組ませてやった試しがあるので、言わせてもらいます。3になってからはぶっちゃ気使えないですよ…

忠義より回復はしない、武力上昇もわずか、何より自身のスペックが魅力だけ…

武力インフレが多い今回のバージョンでは彼は全く生きる事は難しいですよ。

回復計略が使いたいのであれば、普通にSR関羽を使用してください。





3.12の事ですがwikiの情報では連環の計が一番被害を受けると思われます。

なので4つ目のデッキは今現在は使えるでしょうが、3.12が始まったら暫らく様子見をしたほうが良いと私は思いますよ。








1 剛槍がカスなんでまだUC関羽の方がマシ

2 脳筋2人が気になるが同時にやられなければ戦える

3 SR姜維が最大でも8/8にしかならない上、計略が大幅弱体化で厳しい

4 至って普通のデッキ



逆に質問したいが全国で一回でもデッキ試してみたことはありますか?

試した結果、出て来た問題を改善する方がプレイの反省も出来るし上達する礎となると思う



三国志大戦3の全国大戦でいつも惨敗です。 相手は曹操の号令を使ってぼろぼろにさ...

三国志大戦3の全国大戦でいつも惨敗です。

相手は曹操の号令を使ってぼろぼろにされてしまいます。

目にわ目を、号令を使いたいです。

しかし、持っている孫堅はリスクがたかいです。ずばりお勧めは?

使えそうなカード

スーパーレア軍師諸葛亮、孫策、孫堅、魏延、劉備

レア孫策、周輸、徐盛などなど

みてのとうり魏のカードに恵まれないのです。

ほかにもカードはあるし、ないなら買う覚悟です。

どうぞ、よろしくおねがいします。







その中だとSR(スーパーレア)劉備が一番使いやすいですね。

買う気があるのであれば、R(レア)徐庶は買っておいて損はありません。

デッキを組むとしたら【・SR劉備・R徐庶・UC(アンコモン)張飛・UC関平・C(コモン)廖化・C軍師麋竺】が安定すると思います。

SR軍師諸葛亮は強いのですが、はじめのうちは再起があったほうが良いのでC軍師麋竺推薦です。



魏主体のデッキは基本的に騎馬が多めなので、槍を相手に向けて牽制する感じで攻め・守りをしてください。

上手く迎撃や槍撃を取れるようになると、相手の号令にもこちらの号令で対処できます。

相手にUC夏侯惇がいる場合は、号令で張り合ってもこちらの号令が雲散されてしまう可能性があるので、落雷を上手く使ってください。

号令を打たれる前に曹操にピンポイント落雷というのが有効ですが、徐庶の知力が9で曹操の知力が10なので兵力MAXの曹操を撤退させることはできません。

できれば迎撃などを取って兵力を減らしてから落雷を落とすと良いです。

しかし、この場合だとこちらと相手との間に大きな士気差が出来てしまうので、お互いの士気を計算しながら戦うように注意してください。

また、相手に高武力武将(・R典韋・R張コウ・Rホウ徳など)がいる場合は、それにピンポイント落雷を落とすというのも有効です。

相手に号令を打たせてからピンポイント落雷を落として高武力武将を撤退させると、号令中でも相手に大きな打撃を与えられます。

あとはとにかくスキルと経験です。迎撃や槍撃を確実に取れるように練習してください。

プレイできなくても、ニコニコ動画やセガチャンで頂上対決を見ることをオススメします。

流行デッキの対処法やランカーの方のテクニックなど参考に出来ることはたくさんあります。

とりあえず、頑張って下さい^^








とりあえず蜀主体と呉主体の2つ上げておきます。



蜀主体ならSR劉備を中心とした「大徳デッキ」が組めそうです。

構成は基本的に「2、2、2、1、1」コストが安定します。

2コスト枠は、R魏延・UC張飛・R馬超・R趙雲・EX趙雲あたりから2枚、1コストは夏侯月姫はほぼ必須として周倉、リョウ化など好みで選べばいいと思います。

「2、2、1.5、1.5、1」でもいいですが、劉備以外の2コストに負担がかかりすぎるため、総合的にバランスが悪くなりあまりお勧めしません。特に後者で「UC張飛」を採用した場合は知力の低さが祟って妨害やダメージ計略を食らうと敗色濃厚になるので要注意です(落雷一本で撤退、連環の計などは23カウントかかりっぱなし。撤退なら再起できるが妨害されて放置が一番つらい)。この場合は「R魏延」ほうが安定します。

軍師は「C法正」がお勧め、「再起興軍」は普通に使い勝手が良いですし、「長槍閃陣」は騎馬主体のデッキに対して非常に効果を発揮します。特に質問で悩んでおられる覇者求や神速デッキで選んでおくとよいでしょう。

騎馬主体デッキにはとりあえず槍を向けることを一番に考えてください。そうすれば自ずと迎撃も取れます。





呉主体なら「SR孫堅」を主としたデッキも組めます。

簡単な構成は「SR孫堅、R孫権、R太史慈、UC張紘+1コスと何か」ですね。

基本的には孫権の計略メインですが、相手を殲滅できそうなら孫堅の計略で潰せば良いでしょう。

天啓は無理に全員にかけずに前衛3枚にかけただけで十分です、効果時間は6.5Cなのでこれを忘れないように。後どの位天啓状態で戦えるのか理解するのは天啓デッキでは必須です。

また、1コストは凌操、孫桓など武力要員を選ぶことお勧めします。

軍師は陸遜か魯粛の「再起興軍」で。天啓を使うのに「業炎」を選ぶことはありえません。

天啓デッキは特に守りに入ったときに非常に効果を発揮します。残りカウントが10を切ってリードしている場合は(雲散や挑発が居ないなら)ためらわずに使っても良いでしょう。







ショクならこれがお薦め

GSR諸葛亮

SR関羽

SR劉備

R徐庶

UC関平

です

三国志で本当の名将 知将とは誰だったのでしょうか?

三国志で本当の名将 知将とは誰だったのでしょうか?







難しいですね。

三國志には本当に多くの名将がいますから・・・関羽に張飛。孫策、孫権、諸葛亮、周瑜。夏侯惇、張僚、呂布、司馬懿、曹丕。甘寧、凌統、劉備。あげるとキリがありません。

しかし、僕はやはり挙げろと言われれば真っ先に魏軍の名だたる名将を束ねた曹操・猛徳の名を出したいです。

乱世の姦雄と呼ばれ、朝廷を簒奪した悪役のイメージが強い彼ですが、部下を、士を尊び。

私財を投じて魏の国の土台作りや兵士らの給料にあとり、功を立てた武将の親族には厚く恩賞を賜った人です。

戦では苛烈な戦術もみられましたが、大局を見透す慧眼。大胆不敵に虚を突く奇襲。さらには若い頃には自身も先頭に立って斬り込んだ武芸など、将としての器の大きさは三國志随一ではないでしょうか?

そんな曹操だからこそ、部下を始め、多くの名将に慕われたのだと思います。



既成観念に囚われず、人事でも政策でも軍略でも、常に新しいものを開発し、今なお多くの歴史家に高い評価を得ている曹操・猛徳。

僕は彼こそが三國志の真の天才であり、英雄だと思います。










はっきり一言に[曹操]^^



何処の誰だろうと、才能のある人間は重用する。



新しい法律を作り、政治を変え‥



兵法は勿論、詩や食までも‥。



全ての面で新しく合理的。



彼がいなければ、その後の中国も違ったろうし‥

その後の中国が違うというコトは、日本の歴史まで変わった形になってたろう…



それぐらいに後々に影響をもたらした人物ですね^^



三国志大戦3で最近桃園デッキ(全員槍)にハマってます! 桃園劉備 大車輪ギエン 王悦...

三国志大戦3で最近桃園デッキ(全員槍)にハマってます!

桃園劉備

大車輪ギエン

王悦

周ソウ

銀ペイ

軍師は黄月英の車輪を使っています!


開幕は守り気味で粘り皆揃って桃園、奥義で一気に攻める形をとってます。

これでほとんどの号令に打ち勝てますが相手が麻痺弓、ダメ計(特に周瑜)にはやはりかなりキツくついていけません。

そこで皆さんデッキ審査とアドバイスお願いします!!







典型的な前出しデッキですね。

ダメ系、反計、超絶強化、流星、連環、離間、決起、麻痺弓、雲散、毒、完殺、駆虎、極滅、混元など苦手が多すぎませんか???



英傑号令や馬で迎撃されてくれる2品ぐらいまでが限界のような気もします。



今後も桃園槍で前出しで攻めるのでしたらまず落雷か連環を追加して、キーになる武将潰しですね。



あと、やはり、端攻城と弓集めに馬や挑発が1枚あるとかなり楽になると思います。

。、

高知力3枚桃園などで、相手のダメ系を使わせたり、号令を桃園で迎え撃てる体制を作りながら挑発槍撃・落雷などで武力差を克服する戦略と、相手に先にでかい計略を打たせる戦局を作り出す事ができて、さらにラインをうまく上げられるようになれば、証も取っていけると思います。



あと、決まれば気持ちいいんでしょうが、車輪は・・・・w








あなたは何品でしょうか

そのデッキで勝てるということはかなりの低品かと思われます。

まず麻痺矢や周愉以外にも

呂布や漢、大量生産はどうすうのでしょうか

他にも張角ワラや騎馬単覇者求にもよほどのスキルがあるか

相手がミスを連発するなどのことが無い限り勝てないと思われます。

そもそも桃園の誓いの武力上昇は+10なのだから

大半の号令に押し勝って当然。

負ける方がおかしいです。

そもそも今は騎馬単以外の兵種単は相当厳しいです。

もしそのデッキを続けるなら後にかなり負け込むと思われますが頑張ってください。







こんばんわ(^-^)

さっそくですが、槍単のデッキは麻痺矢に大変相性が悪いです。

騎馬を入れるというのが弓に対する対策になりますが、槍単桃園で対策を考えると挑発がオススです。

ギエンをキョウイに変えるか王悦をバショクに変え桃園から挑発のコンボを狙ってみてください。

シュウユに対しては軍師キョウイの質実が対策と言えると思います。







そのままの形にしたいなら二色にはなるが何かを外してUC蔡文姫かUC公孫サンにしたら如何ですか?







流星に勝てる気がしない…







計略の裏がなく車輪槍のみ

やることが単調過ぎます。

ほとんどの号令にうち勝てる

→超絶号令VS号令なんだから当たり前。



なぜ軍師にキョウイを用いないのか。

弓相手がきついのにいのに馬いれないのか。



いいたいことはいくらでもあります。

三国志大戦3のデッキ診断をお願いしますm(__)m

三国志大戦3のデッキ診断をお願いしますm(__)m

漢軍です。



SR皇甫嵩

SR献帝

R孫堅

R劉備

UC劉虞



GSR盧植 超絶再起



お願いします。







正にテンプレといっていい決起です。



確立されている型ですので診断の必要性すらありません。



強いてあげれば完成している=対策はされまくっている、ということですので、生半可な技量では勝ち続けることは厳しいでしょう。



軍師は基本的には郭図で安定ですが、やはりこれも相手は理解しきっているので、皇甫嵩を少し削って火計・水計・落雷でマックス決起を阻止してきたり、開幕で一気に落城を狙ってくるでしょう。



漢軍は素武力は低いので、開幕を凌ぐ自信がないなら蔡文姫もありです。

開幕デッキの場合は再起、同系では封印という勝ち筋もありますから。








バランスもよくいいと思います。

しいていうなら軍師をカク図にした方がいいと思います。

このデッキは最後で逆転するデッキなので決起→増援がいいと思います。

三国志の主人公は劉備と曹操ですか?

三国志の主人公は劉備と曹操ですか?

劉備が強大な曹操に歯向かう話でしょうか。

孫権は影が薄いのでしょうか?

曹操も単なる悪ではなくて、意外に人情味を持って描かれているのでしょうか。







正式な歴史書の三国志はあえて言えば魏志、呉志、蜀志でそれぞれの国を記事述しているので、それぞれの国の皇帝が主人公といえなくもないです。

演義の場合は、長く中国で語られてきた状態では、劉備(諸葛孔明)の蜀が主人公で、曹操の魏が敵役、孫権の呉は敵になったり味方になったりですが重要な脇役でしょうか。








日本で最も有名な「三国志演義」では劉備が主役です。そのライバルとして曹操がいます。演義の曹操は残忍な性格ですが、天下人としての能力、精神は完璧です。演義の曹操もなかなか魅力的だと思いますけどね。







正史ならば主人公は曹操。



演義ならば主人公は劉備で、そのライバルが曹操ですね。



曹操が魅力的に描かれているのは日本独特のもので、本家中国ではかなりの悪玉らしいです(最近は評価されてきているみたいですが)。









「三国志」だと、前半が劉備と曹操、後半が諸葛亮。



終盤はあえてこの人といえる主人公はいない。







三国時代はやはり魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権で三国となります。人気の問題、形の上で義を重んじ、任を貫く劉備の話が中心になっていますが、後の三国史演義の影響かと思われます。魏の曹操はやはりこの時代において傑出した人物だと思われます。中原を制する者は中国を制す。曹操は中原を制し、覇を唱えました。

決して孫権の影が史実の中では薄いわけでなく、蜀を全体の中で中心に捉えて書かれた物という性格だと思います。

三国志大戦3のデッキ診断お願いします。後これお足したり、抜いたほうがいいと思...

三国志大戦3のデッキ診断お願いします。後これお足したり、抜いたほうがいいと思うものもお願いします。



まず蜀の若き希望劉封、修羅の王道劉備、夏候月姫、張翼、



呉の駱統



軍師は、馬謖

です。お願いします。







大徳デッキに呉の駱統は必要ありません。



初心者の方なら

質問者様の上げた蜀のカード+UC関平で十分やって行く事が出来ます



また大徳デッキのテンプレですが

SR劉備(大徳)

R張苞(仁王)

R徐庶(落雷)

UC厳顔(憤激)

UC周倉(強化)orR関銀屏(若き血)

あたりがオススメです。



コスト配分は劉備・2・1.5・1.5・1だったり

劉備・2・2・1・1がいいと思います。

プレイして増えたカードで自分の使い易いよう入れ変えてみてもいいですよ^^








デッキの組み方が初心者なのであえてキツイ事を言いますが大徳は初心者には使えません、あと大徳の落雷は徐庶がセオリーです貴方が証30以上(スキルがある)なら張姫でもいけます、ひとまず自分のレベルを見つめ直してデッキを組みましょう









とりあえず大徳デッキに他勢力は必要ありません。後、カード資産がどれほどかわかりませんが、もっとカードを集めてからにした方がいいです。厳しい言い方ですがデッキ診断以前の問題です。

三国志で最もかわいそうな武将(文官)は誰ですか?

三国志で最もかわいそうな武将(文官)は誰ですか?

正史・演義なんでも構いません。その理由もお願いします。

ちなみに、私は魏延文長さんです。

人間をよく知っている劉備さんが、惚れ込んでいた将器ですよね。

「人々は重鎮の張飛が起用されるであろうと思っていたが、予想に反して劉備は魏延を督漢中・鎮遠将軍に抜擢し、漢中太守を兼務させた。劉備は群臣との会合の場で、魏延に重任を拝命する際の抱負を問うたところ、魏延は劉備に対し「曹操が天下の兵を挙げて攻め寄せて来るならば、大王のためにこれを防ぎ、配下の将軍が10万の兵でやって来るならば、これを併吞する所存でございます」と語り、劉備や群臣はその勇敢な発言に感心したという。」

また、五虎将の黄忠を助け劉備の配下に招き入れましたよね。

それに、「羌中で呉懿とともに魏の費耀・郭淮を打ち破るなどの功績を挙げている。その功績で、前軍師・征西大将軍・仮節に昇進し、南鄭侯に封じられた。」

「蜀漢軍が魏の祁山を包囲したので、祁山の包囲を解くために司馬懿が諸葛亮を、張郃が王平を攻めたが、『三国志』諸葛亮伝の注に引く『漢晋春秋』によれば、諸葛亮の指揮の下で魏延・呉班・高翔が司馬懿を大いに撃退した。」・・・功績抜群じゃないですか。

だのに、人間をよく知らぬ孔明さんは(主に馬謖さんを重用したことですが)「反骨の相(頭蓋骨が後部にでていること。裏切りの象徴とされる)」があると言い、魏延を斬るように劉備に進言したり、布陣した五丈原で病に倒れると、信頼する楊儀らに自分が死んだら全軍撤退させ、魏延に殿を命じ、敵の追撃を断たせ、もし彼が命令に従わなければ、かまわず軍を進発させよと彼らに指示している。

自分以外の同僚はみんな孔明さんに言い含められて、勝手に危ない殿軍させられて。こんな事されたら誰だって怒りますよ。魏延さんは積極的な戦法が孔明さんとことごとく反発したり、ちょっと高飛車な感じがする人ですが、魏に寝返ってませんよ。イエスマンの楊儀さん小物だし、孔明さんおかしいよ。人の使い方がヘタ。劉備有っての孔明でしたね。







陸遜です。

陸遜は、優秀で忠実な人だったのですが、孫権に後継者問題で正妻との間の子を立てるべきでは?という当時としては正論を述べたところ、孫権の不興をこうむり、疑われて憤死してしまいました。後継者問題は家臣が口出しすることではないということかもしれませんが、孫権という人は、若い頃は部下の意見を取り入れることができましたが、年取ると頑固になって独りよがりになってしまったそうです。孫家は孫堅も孫策も性格が残虐なところあります。機嫌がよいときは良い人かもしれませんが。孫権も免れなかったんですね。昔の人だから、人権意識なんてないですし。

また、陸遜の子孫は、有能だったため西晋の時代にも政府に重用されていましたが、八王の乱の際、その名声を妬んだものに讒言され、無実の謀反の罪で、一族みんな処刑されてしまったそうです・・・。西晋は呉よりもおそろしい国だったんですね・・・。








張衛じゃないですか?



まず五斗米道の教祖の弟というところからイケてないですね。

天下を夢見ながらも実際には狭い世界しか知らず、自分の土地周辺を守れたから強いと勘違いしたんでしょうね。



でもそれよりも、運の悪さと、地味さが可哀そうです。

馬超を有効に使えば地味さくらいは回避できたのかも。

まぁ、それも運の無さですね。







『演義』からですが、夏侯傑なんてどうでしょう。

長坂橋で張飛の一喝にビビって落馬して死んじゃった人。



長坂の戦いではとりあえず殺されるために出てきた武将がぞろぞろいますね。

趙雲に殺された淳于導、夏侯恩、晏明、鐘縉、鐘紳など。

出てきたと思ったら趙雲を引き立てるために次々と死んでいく、可哀そうな人たちです。







魯粛です。(正史と演義の描かれ方の違い)



演義では、赤壁の戦いでは諸葛亮に利用され、荊州問題では関羽に利用され…少しひどいかも、と思います。(ついでに言えば「レッドクリフ」でもかわいそうなキャラになっていました。)



正史では、孫権に赤壁の戦いを決心させたり、荊州問題では関羽やその部下を言い負かせたり活躍してるんですけどね。







馬謖。

劉備には「あいつはホラ吹きで使えん」っていわれるし(本人はそのことを知っているかどうかは不明)、孔明には能力以上の期待をかけられて、街亭守備の大将を命じられ、結局軍令違反で斬首(本当に泣いて馬謖を斬ったのかどうかは不明)。馬謖本人も、孔明の期待に応えようとして頑張ってたのかもしれないけど、背伸びしすぎてたのかなあ。でも「自分、街亭守れます!!」ってホラ吹いちゃった点は、劉備の言った通りになっちゃったんだね。劉備の慧眼だね。

自業自得なんだけど、馬謖はちょっとかわいそうだと思うね。







反骨の相の件は演義の創作ですね。ただ謀反の意志があったかどうかは別にしても、誅殺されたのはある程度仕方ないです。撤退命令の無視という命令違反を明確に犯してるから。さらに魏延に殿を任せるのも魏延の軍事能力の高さを信頼して、と見ることも出来ます。その後の記述は本当に孔明がそんなことを言ったかどうかは甚だ疑問が残ります。仮に本当に言ったとしても魏延は孔明がその命令を出した場にはいなかったので知るはずもないですが。魏延の事件は反乱などではなく権力闘争だったというのが定説です。



かわいそうな人物は諸葛瞻かな。諸葛の息子だと大いにもてはやされ、実戦経験もないであろう状態でいきなり鄧艾の相手をさせられました。案の定マズイ指揮で惨敗して戦死。陳寿からは「実力以上の名声」とほぼ無能の烙印。黄皓と繋がってたりと多少怪しい部分も垣間見えますが、偉大な父の影が常に付き纏っていたことだと思います。



・補足について

何が言いたいのかよく分かりませんが、要するに正史の記述といえど当てにならないってことかな?まぁ見方はそれぞれだから真っ向から否定する気はありませんが…

演義のことは別にして私見を述べさせていただくと、陳寿の立場から言えば魏延の記述で筆を曲げたいうことは有り得ないかと。理由がありません。主人である晋にとって都合の悪い事実でもないし正史にも「謀反を起こす気などなかった」と書いてありますし。さらに魏延と陳寿が何か因縁があるほど近い存在でもなかったですし。また、魏延の事件に関係している人物も晋代には全員死んでます。いや、劉禅は生きてるかな。まぁどっちにしろ蜀の生き残りに気を遣う必要もないわけです。何一つ筆を曲げる理由はないと思いますが。

ある本で一つ興味深い記述を見たのですが、清代に編纂された『南鄭県志』には漢中近くにある遺跡に三国時代に建てられた「礼に則って葬った」魏延の墓があったらしいです。これが事実なら魏延を殺した直後には濡れ衣だったというのが既に蜀国内でも知られ名誉回復をされていた可能性があります。これを見ても陳寿が魏延の事件に関して何一つ隠すことも歪曲することも無かったと思われます。要するに正史の記述以上のことは無かったんでは、ということです。まぁ楊儀と姜維が結託して魏延の軍権を奪い取ったということは十分有り得ますがね。子午谷ルートは割愛。結論の見えないifなんで。



魏延が有能な将帥であることに疑う余地はありませんが、質問者さんは少し感情論に流されすぎかなという気がします。







王朗です。正史では魏の最初の三公のひとりで徳高い人物なのに、演義では諸葛武侯に舌戦でまけて死んでしまうとは…演義では寿命が変わってしまうのは度々ですが、こんな酷い死にかたは…



正史演義両方に精通されているようですが、混同されてませんか?(敢えてでしょうか?)



「兵は拙速を尊ぶ」といいます。が、子午道から長安のルートはいかにも危険ですね。魏延のような良将を危険にさらすのは政治家諸葛武侯としてはできない。それが限界ともいえますが。

三国志 がもし大河ドラマになったら!

三国志 がもし大河ドラマになったら!

三国志がもし大河ドラマになるとしたら、あなたなら

どんなキャストがいいですか。



魏蜀呉その他、どの陣営でもかまいません。



例) 劉備・・・草薙剛







(´・ω・`)考えれば考えるほどどつぼにはまる・・・



孫権 中村獅童

諸葛瑾 中井貴一

甘寧 役所広司

陳武 小林稔侍

虞翻 小木(おぎやはぎ)

孫策 長瀬智也

張昭・ナレーション 森本レオ



曹操 柳葉敏郎

賈詡 八嶋智人

張遼 今井雅之

李典 唐沢寿明

楽進 岸谷五朗

張郃 浅野忠信

許攸 西村雅彦





劉備 織田裕二

諸葛亮 妻夫木 聡

馬謖 生瀬勝久

王平 柴田恭兵

魏延 竹中直人

張飛 中西学

龐統 西田敏行



韓遂 陣内孝則

劉璋 温水 洋一

司馬徽あるいは左慈 堺正章



いったんこんなとこで御勘弁w








劉備・・・・・武田鉄矢

曹操・・・・・渡哲也

孫権・・・・・西田敏行

諸葛亮・・・天海祐希

司馬懿・・・津川雅彦

周瑜・・・・・木村拓哉

関羽・・・・・渡辺謙

張飛・・・・・中村獅童

陸遜・・・・・妻夫木聡

呂布・・・・・真田広之

貂蝉・・・・・松嶋菜々子

董卓・・・・・竹中直人

袁紹・・・・・福山雅治



こんんな感じでいかが?



三国志演義で、赤壁の戦い後、敗走する曹操軍を、孔明の指示通りに関羽が仕留めて...

三国志演義で、赤壁の戦い後、敗走する曹操軍を、孔明の指示通りに関羽が仕留めていれば、劉備は天下を取れたでしょうか?







その後の勢い付いた、呉の大軍と渡り合えればの話でしょうね。

あの時点では国力的に、困難では?








かもしれませんね。

過去の話でifを考えるとキリがないけど、そうかもしれないって思うのは楽しいですね。

貴方がプロデューサーになり、三国志をNHKの大河ドラマで放送すると仮定して、最適...

貴方がプロデューサーになり、三国志をNHKの大河ドラマで放送すると仮定して、最適な配役を誰にしますか?

劉備…

孔明…

関羽…

張飛…

趙曇…

馬超…

黄中…




曹操…

シバイ…

カコウトン…

郭嘉…

リテン…



孫権…

シュウユ…

カンネイ…

タイジシ…



呂布…

徐庶…

ホウトウ…

チョウセン…

エンショウ…

トウタク…

キョイ…

バシュク…



上記以外でも面白そうな登場人物も可能です。



皆様の最適な配役をお待ちしています。宜しくお願いします。















劉備…役所広司

諸葛亮…榎木孝明

黄忠…平幹二郎



曹操…渡辺 謙

郭嘉…オダギリジョー



孫権…浅野忠信

周瑜…大沢たかお

甘寧…江口洋介



呂布…竹内 力

徐庶…永瀬正敏

ホウ統…岸部一徳

董卓…中尾 彬

劉禅…脇 知弘



あとは思い浮かびません…^_^;関羽とか張飛は難しいね。文官はなんとなく思い浮かぶけども。








劉備谷隼人、孔明中村俊介、関羽渡部裕之、張飛中野英雄、曹操天知茂、郭嘉田村正和、司馬懿渡辺謙、劉禅三瓶。

左慈大滝秀治、袁紹堀内正美、張昭中尾彬、董卓ウガンダ、呂布朝青龍、チョウセン葉月里緒菜、孫堅宍戸錠、孫権宍戸開。

故人もいますが…

周瑜金城武(あえて)、趙雲野村萬斎、夏侯惇内野聖陽、黄忠宝田明、馬超高橋克典。







曹操は反町隆史で見たいです







ごめんなさい。

「NHK」「三国志」ときたら、

「NHK人形劇三国志」が強烈に残っていますので、

それ以上のキャスティングは考えられません。

劉備玄徳は何人妾がいたんですがね。

劉備玄徳は何人妾がいたんですがね。







『正史三国志蜀書』に「皇后伝」の伝が載っているのは、

甘皇后と穆皇后の二人がいます。



①【甘皇后(かんこうごう)】生年不詳~208年



阿斗 (劉禅) の生母。

194年小沛で妻となります。

当時の正妻は糜夫人でしたが、

最も長く連れ添っていたので、奥向を取り仕切ります。

207年荊州に赴き、劉禅を生みます。

208年当陽の長坂で劉禅と一緒に曹操に追われ、

趙雲に助けられ劉禅は助かりますが、

甘夫人は亡くなり、南郡に埋葬されます。

222年蜀に移葬され劉備と恵陵に合葬されます。



②【穆皇后呉氏(ぼくこうごう ご し)】生年不詳~245年



呉懿の妹。

亡父と旧交のあった劉焉を頼り、呉班一家と共に蜀に移住。

劉焉の3男、劉瑁の妻になりますが、

彼が若死にしたために未亡人となります。

その後、劉備が211年益州へ入城した際、

群臣が呉氏を娶るように勧められますが、

「同姓娶らず」という礼教の規定に反するとして、

ためらいますが、法正の説得により、夫人に立てられました。

221年皇后。

223年皇太后。

245年死去し劉備と恵陵に合葬。



以下の2人は他の人物伝に名が見えます。



③【糜夫人(びふじん)】生年不詳~208年。



糜竺、糜芳の妹。『糜竺伝』より

できた賢婦人で、正室の甘夫人とも仲がよかったといいます。

長坂の戦いで、甘夫人の息子である阿斗を抱いて逃げますが、

左足を負傷。

足でまといになることを恐れた麋夫人は、

駆けつけた趙雲に阿斗を預け、

井戸に身を投げて最期を遂げたことになっています。



④【孫夫人(そんふじん)】生没年不詳。



呉の公主。孫堅の娘で孫策・孫権の異母妹。『穆皇后伝』より。

孫尚香という名前が伝わっていますが、

これは京劇で使われる名前であり、

『三国志演義』では孫仁。『三国志』では孫夫人とされます。



それ以外に、



【不明⑤】劉禅の異母弟「劉永(公寿)」の母。



【不明⑥】劉禅の異母弟「劉理(奉孝)」の母。



の6人は確認できます。








劉備玄徳の妾(めかけ)ですか?!

「英雄色を好む」と言われるくらいですから・・・



あれだけの頭脳と行動力そして武芸の持ち主。また、人情もあり、けっこうイケメンであったという話もあります。

それだけ多くの有利な条件を備えた男性はそんなに多くない。

女性にモテない私には、とても羨ましいかぎりです。



浮名を流した女性は数知れず、当然のことながら愛人さんも多かったでしょうね。

普通の将軍でも5~6人はいたはず。

まして劉備玄徳ほどの人物ならば10人近くは、いたと推定できるはずです。



しかし本当に心から愛した女性は、たった一人とか。

その意味では、純愛の持ち主なのかもしれませんね。

その点では私も共感できます。



それにしても、今度は凄いIDにしましたね!(・。・; )

三国志対戦3のデッキ診断お願いします。デッキは蜀の大徳にしました。 「劉備6/7...

三国志対戦3のデッキ診断お願いします。デッキは蜀の大徳にしました。

「劉備6/7槍・コスト2、張包8/1槍・コスト2、趙雲7/7騎・コスト、周倉4/2槍・コスト1、張姫2/6騎・コスト1」です。

抜いたほうがいいもの、入れたほうがいいものなどを教えてください。あと、軍師は決めてないのでどれを使ったらいいのか教えてください。戦法、攻め方、個々の役割なども教えてください。質問多くてすみません。







まず、大徳に関して何も知らないのであれば、とりあえずwikiを参考にしてください。また、演習などで実際に動かしてみないと、本当に自分にあっているのかということも分かりませんし、今回のように漠然としすぎる質問を繰り返すだけになってしまいます。



こういった場所で質問をされるのならば、「これに負けたので、どうすればいいか」「これの対策にこのカードはありか」など、質問に具体性を持たせないと、回答される方も曖昧な回答になってしまいます。次回から注意してください。



デッキに関してですが、兵種バランスも悪くないので、これで戦えますかと言われれば、戦えないデッキではないでしょう。このデッキは強化計略以外の手が弱く、超絶などに対して少々苦手な感じもあります。ただ、逆を言えばこのデッキが大徳頼みなので、号令を主体とする戦い方を覚えるには良いデッキでしょう。もう少し安定感を出すために、張苞をR槍ギエンに差し替えてみるのもよいでしょうね。募兵持ちが多くなり、知力も上がって更に安定します。

軍師は再起を持つ誰かを一枚、それからRキョウイでよいでしょう。基本的には再起のみで問題ありません。



攻め方等などはこちらで提示しても、それを全てこなすことは不可能ですから、とにかく最初は「足並みを揃えて号令を使う」ということを意識してください。全部隊に号令を載せられるように。また、最初は計略は「大徳以外は使わない」というように縛りを持たせたほうが上手くなります。



使っていくうちに、また様々な壁に遭遇するでしょう。その度にこちらで質問くだされば、その都度回答いたします。

三国志three kingdomsについて、

三国志three kingdomsについて、

聞きますが、

確かBSフジで、三国志が今放送していると思いますが、

それで、毎週録画して見ているのですが、

7話だったはずですが、

孫堅が最初のうちに亡くなる話で、

トウ卓が王允殿を含む臣下の者どもを集めた際、

チョウウンと名乗る者が、トウ卓が皇帝の座になる云々

を行っていたと思いますが、

チョウウンって後々の蜀の劉備殿の家臣の趙雲ですよね?







第七話の25分頃に董卓に皇帝になることを勧めた人なら「チョウウン」ではなくて「チョウオン」です。

漢字は「張温」。

実は袁紹等と結んでいるのがばれて処刑されてしまいますね。

後の劉備の部下「趙雲」ではありません。



追記

ちょっと質問の意図がよくわからないのですが・・・。

「この質問の延長」ということなのでドラマの話として回答します;



1、趙雲が劉備の部下になるのは第二十六話。

(ちなみに周倉、関平も)



2、三顧の礼は第三十三話。

第三十四話で諸葛亮が劉備の家臣になります。



3、同じく第三十四話で孫策が死に周瑜が孫権に忠誠を誓います。

周瑜はもっと前にも出てきたかもしれませんが・・・。



4、司馬懿が出てきて曹操に仕えるのは第四十三話です。

三国志大戦3のデッキ診断おねがいします

三国志大戦3のデッキ診断おねがいします

R劉備 Rキョウイ UC法正 C簡ヨウ Cビ夫人

です。

どうですか?







ガチなデッキにしようと思ったら、劉備以外全員抜けますね。

キョウイをRギエンかSR槍趙雲に、法正を馬ショクか王桃に、カンヨウとビ夫人を張姫とリョウカといったところじゃないでしょうか








薮から棒な質問だとネチケットの悪いアホが罵声を浴びせるんだよなぁ。右も左も分からない初心者や此処に質問する人間とっては藁をも縋る思いなんだが自分が強いのをいいことに罵声を浴びせるのだからそういう初心者を締め出す行為がゲーセン衰退の遠因………

おっと失礼!さて本題ですが、かなり使いづらいです。ですので

R劉備R(LE覇LORD)趙雲UC関索R夏候覇C夏候月姫

これで使いやすくなります。

号令については

ダメ計や厄介な計略(各個撃破する力のある計略超絶・騎兵号令・離間等)がある時は関索

力押しが出来る状況なら劉備

又敵に英傑号令(武力が5上がる)があるなら

関索の計略後趙雲の神速で暴れたり夏候覇の特攻で突破戦法もあり。

超絶に感しては大体は落雷で壊滅させてから槍で押さえて連突で潰す

SR孫策にかんしては一部隊をスケープゴートに(槍なら迎撃に持ち込め)した上で孫策が突撃したら趙雲(神速をかける)に突撃させ乱戦に持ち込む。敵が小華を使ったら士気差がある事を考え行動する

決起・逆境にかんしては一回勝負の博打なので自陣に姜維の連環を敷きこちらが号令を掛ける相手もすかさず掛けたら発動、そして逃げる。決起の大号令が切れるか城に張り付きかかったら反撃

軍師はR姜維とSR黄月英

天啓、桃園なら少しでもいいから逃げて追い付かれそうになったら(槍で突かれたら)反転と同時に桃園。

機略なら後出し。

反計ありなら関索を空打ち。反計しなかったら騎兵計略を使い応対。

長文になりました。参考にして下さい。







前にも質問されていますね。

以前よりはマシなデッキだと思います。

ダメ出しするとしたら大きく二点。

①素武力が低すぎる。

②槍が多すぎる。



①まず、ビ夫人で舞って、桃園で敵をせん滅して城ダメージを与えるというコンセプトでしょうが、まず、舞ってしまうと戦闘要員が一人減るというリスクを考えてください。また、舞うと相手より士気が4少ない状態戦うということも考えましょう。常に数的不利の状態で戦うというのに素武力が低く、士気が4少ないとまず正面衝突では勝てません。

素武力は初心者なら最低25は必要です。

②槍は4枚もいらないです。

理由は、主に『機動力』槍は一番足が遅い兵種で、敵陣に突っ込めば撤退するまで自分の陣地に帰れません。撤退すれば逃げ帰るよりも圧倒的に防衛が難しくなります。また、終盤戦でダメ押しができません。

突っ込む→全滅→カウンター→復活しないうちに乙

舞えばいいと思うかもしれませんが、さっき言ったように正面衝突で負けます。

また、騎馬単には有利ですが、そのほかのデッキにはほとんど不利です。最近は麻痺矢号令の利用者が多く彼らを相手にすれば城に近づくこともできないままトロトロ動きながら敵に触れるすらできずにみんなやられます。



私(大徳)だったらあなたと対戦するなら

ちょっと戦う→桃園→ピンでダメ計(大徳で低武力狙い)→皆殺し

または、戦う前に桃園→逃げる→桃園効果終了→大徳→皆殺し

舞っていれば一度で皆殺しと城に大ダメージと、こちらにすれば一度に二度おいしいです。

車輪を使う場合も同じです。

まあ、城近くに来られたら私も大ピンチですが、機動力が低いのでそうそうチャンスに恵まれないでしょう。



そういえば、肝心なこと聞いていませんでした。

このデッキ試しました?

やってみればわかりますが、多分勝てませんよ。勝てたとしてあなたと同じように大戦を理解しきれておらず、桃園の対処の仕方がわからない人、または対策が無い人たちです。



デッキ改造するなら最悪、簡ヨウ、ビ夫人を変えてどちらか騎兵に変えましょう。

できれば桃園もハイリスクで上級者むけだから変えてほしいですが、あまり酷評するのも申し訳ないのでやめときます。

とりあえず考えてみましたが

R劉備

R魏延(大車輪)

UC法正

R関銀ペイ

Cリョウ化



こんな感じですかね。

三国志の本を4巻まで読みましたが、いまだに誰が誰なのかよくわかりません。2文...

三国志の本を4巻まで読みましたが、いまだに誰が誰なのかよくわかりません。2文字の漢字の組み合わせに翻弄される日々です。あと4巻もあるのに理解できないまま読みおえそうです。どうしましょうか?

劉備、孔明、関羽、張飛だけ判ります。







吉川英治さんの「三国志」をお読みなら、

あと4巻残っていますよね。

「劉備」、「諸葛亮」、「関羽」、「張飛」はお判りなら、



あと、魏の「曹操」とこれから登場する「司馬懿」、

呉の「孫権」、4巻ということは赤壁の真っ最中でしょうから「周瑜」

この4人を憶えておけば、取りあえず読みきれます。



残りの登場人物は、

「蜀」陣営か「魏」陣営、「呉」陣営のいずれかに属していますので、

どこに所属しているのかだけ解かれば問題ありません。

それは、読んでいると前後の脈略からお判りになると思います。



吉川さんの「三国志」は、日本の三国志小説のスタンダードです。

最も読みやすく、入門書としては最適です。

夢中で読まれているとのことですので、

物語の面白さを、まず解かって頂く為に、

一度読破されてから、

上記の8人以外の判別に移られるので遅くないと思います。



ちなみに、

「三国志」の基になった「正史三国志」には、

単独で伝を立てられている(つまり、主役.準主役級)人物は、

魏書228人.蜀書83人.呉書129人.計;440人

1度でも名前の出てくる(脇役級)の人数:4894人もいます。



小説はいくらか端折っているでしょうが、7割としても3500人。

これでは読みながら憶えるのは不可能ですね。



現在レッドクリフ特需で、

三国志関連のビジュアル本がごろごろ出ていますので、

一旦読み終えてから、

各武将のプロフィールを読んで、ビジュアルで顔を確認して、

(ただし、あくまで想像上の肖像画であって、みんな男前に描かれ過ぎですが・・。)

さらに興味をもたれたなら、

その後、他の作家さんの書かれている三国志を

もう一度読まれることをお勧めします。



陳舜臣さんの「秘本三国志」を推薦します。今、新訂本がでてます。








まぁ、大体は下の人が言ってるとおりなんだけど



ごくごく稀に同姓同名がいるからなぁ

「馬忠」とか「張温」とかw







その気持ちよく分かります! 一人に名前と字と2つ呼び方があるので、ややこしいですよね~



私はそんな時、登場人物の中の一人を勝手に主人公にして読んでいきます! 劉備でもいいし、周瑜でもいいし。

その方が感情移入しやすいし、周りの人物の名前も自然に覚えられますよ☆











面倒でももう一度初めから読み直しましょう。

わたしも昔他の歴史小説でそういうことがありました。最初に戻ったら今度は理解できて、今では思い出の名作です。







なんの本読んでるんですか?

吉川英治を始めて読んだ時は夢中で読みましたけどね。

本屋にイラスト入りの三国志のガイドブックがあるんで合せ読みしたらどうですか?

絵で人物覚えるから忘れにくいですよ。







三国志の本とやらがなんなのかわかりませんが、最初から読み直して、名前のメモでも取って人間関係を整理しながら読んだ方が良いと思います。



それが嫌なら、たまたま不向きだったという事で読むのを止めた方がいいでしょう。







小説はやめにして、漫画で読み直しましょう!

どちらが有能三国志扁 劉表vs劉璋 どちらが統治者として有能?

どちらが有能三国志扁

劉表vs劉璋

どちらが統治者として有能?







劉璋が良き統治者に思わず吹いたんですが…劉璋は為政者としては完全に失格です。父親が作り上げた張魯との関係をぶち壊し地元の豪族軽視の政策で反乱を繰り返すようになってます。それを鎮めるたの増税→不満が溜まる→反乱が起きる、という最悪の状態でした。ただのボンボンのお坊ちゃまがトップになったという感じです。まぁ蜀書は劉備の蜀支配の正当性を高める書き方をしてるので、全て信用できるわけではないですが。

統治者としての劉表はかなり優秀です。身一つで荊州に来てあっという間に支配してますし、孫策や孫権の侵攻を防ぎ(実際防いだ黄祖は劉表配下ではなかったようですが)、劉盤を使い孫呉の治安を脅かし攻める余裕を与えないようにしています。天下を狙う野心はなかったものの、結果文化人が多く集まって栄えているあたりも悪いことばかりではなかったんではと思います。








功績からいえば断然、劉表です。

あの曹操もおそれ彼が元気な間は荊州を攻めなかったと言われるほどですね。

ただ、劉璋も人徳に優れよき統治者だったようですが、いかんせん欲がなく野心のある部下は彼の元を去ってしまったようです。

蜀の地を奪われた後も劉備に重用されていますし、その後、孫権に仕えた時も関羽から奪った荊州をそのまま彼が任されるなど、時の権力者からはその統治能力を非常に評価されていたようです。







劉表の方が有能です。若い頃は、とても優秀で「八俊」に数えられた程。

優れた人材が、集まったのだから器量も有った様です。

三国志大戦3立ち回り

三国志大戦3立ち回り

大徳デッキを使っています。



LE劉備

R 馬超

R 徐庶

R 馬謖

UC周倉



決起や、英知などの、爆発力のあるデッキがとにかく苦手です。どう立ち回ればいいのでしょうか。







まずあなたが初心者なのか中級者なのか分かりませんので、質問する時は証・品を書くべきです。



自軍が「大徳」で相手が「決起」や「英知」等の武力で押して来るデッキ相手でガチの総力戦をすると確実に押し負けます。

が、「決起」相手の場合は総力戦は後半の1回限り&国力が溜まっていない前半は弱いので逆に「大徳」側が武力で押し込めます。

国力ゼロで「大徳」は止めようがありません。

「英知」相手の場合でもガチの総力戦で大量の士気を使う=やはり後半の1回限りなので前半で相手の弱点である素だと超低武力ってのを突いてガンガン押し込んでリードを取りに行きます。



でリードを取っての最終決戦=総力戦でも守りに入らずコチラからダメ押しで攻城を取るつもりで攻め上がります。

で相手のエリアで総力戦を挑みます・・・・・・まあ相手を考えるとパワー負けしますね・・・・・・これでいいのです。

相手はワンチャンスのデッキなので士気・国力を使い切ったら2の矢は持っていないので奥義再起を使ってココで守りに入って逃げ切ればいいのです。








私は今英知使ってますが、大徳には負けないですね。しかし挑発入ってるならまだなんとかなるでしょう。

ひたすら挑発で足並み崩して枚数差で城殴りましょう。

しかし半端なリードなら最後の知略英知+機略or離間で捲られるでしょう。

最後の攻めに備えて車輪陣でも貼られると面倒ですが、再起でないなら中盤に捲れたりします。

くれぐれも慎重に、しかし徹底的に挑発で掻き乱すしかないですね。

三国志の関羽

三国志の関羽

関羽は蜀建設後、呉の向かいに派遣されましたが、

これは、関羽の武勇をもって大事な所を任せたのか、劉備と確執があったのか、どちらが正しいですか。

他の優れた武将は劉備の元にいたと思うのですが。







蜀建設後に派遣されたわけではありません。

蜀を奪い取るときに留守番として一番信用できる関羽をケイシュウに残したのです。








関羽=武官を尊敬し、文官や名士を軽んじたため、糜芳、傅士仁と言った、文官達に裏切られる。これが致命傷。

張飛=名士など頭のいい人を尊敬し、文官とは仲が良かったが武官を軽んじ、部下を虐待していたため、暗殺(汗







武勇や能力はともかく、一番の古株で実績もあったからでしょう。

ただ、関羽は非常にプライドが高く、特に目下の者に対して傲慢不遜な態度を取ることが多く、部下に裏切られたのは身から出た錆、自業自得と言えます。その点で劉備は人選を誤ったといえるでしょう。







1つの考え方ですが,関羽という武将はプライドが高いとされています。

また,目下の者にはやさしいが,目上の者には反発心が高いと言われています。

言うなれば,名士層が大変嫌いな人物です。(張飛とは逆な人物です)

こういう逸話もあります。『馬超が劉備軍に加わったの知った関羽は,馬超の人物について孔明に聞いています。その孔明から「張飛と張り合える程勇猛だが,髭どのの武勇にはやはり及ばない」とおだてられ,その手紙を大喜びで来客に見せびらかしている。』

こういう所から推察するに,今新しく蜀の地を得た劉備軍です。

征服者であるからには,すべての文・武官が,まだ心から信服しているわけではないですし,また,今後漢中への侵攻考えている時期です。

こういうところに関羽がいたらどうでしょうか?多分無用ないざこざが起きるのは目に見えています。

もちろん関羽という人物は文武にすぐれた人物です。荊州を治めるだけの器量もあるはずです。

でもそれ以上に,劉備が蜀平定後のトラブルを回避するために初めから関羽を荊州に残したともかんがられるはずです。

これだけプライドの高い武将ですからそれ相当の地位でないとヘソも曲げまし…(ヘソを曲げたからと言って曹操や孫権に降伏はしませんが)

だから,劉備と確執があったといよりは,今後起こりうるトラブルを未然に防ぐためだと考えられます。







それだけ関羽の能力を高く評価していたのでしょう。

なぜなら荊州は呉だけではなく魏に対しても備える必要があったから。

なので武勇だけではなく荊州を治めるための政治力や魏や呉と交渉する外交能力も必要でした。だから関羽が適任だったのでしょうね。

三国志対戦3の戦法、デッキ! いま三国志対戦3をやってるんですが、 いま漢軍の...

三国志対戦3の戦法、デッキ!



いま三国志対戦3をやってるんですが、

いま漢軍のUCカイ越,R曹操,R孫堅,R劉焉,R劉備,GC郭図

をつかっています。



このデッキに改善したほうがいいところを

教えていただけないでしょうか?

戦うときの戦法なども、

教えてもらえると、

うれしいので、

よろしければ

お願いします。



*ダメだしでもOKです。







先ず貴方の腕が解らないのでなんとも言えませんが



R劉焉は正直要らないかと…

あるのであれば、R袁紹、Rロ植、SR皇甫嵩の内のどれかにしたほうがよいかと、



低士気からの爆発力が欲しいのであればR袁紹

決起号令が使えるならSR皇甫嵩

相手を妨害しつつ号令が欲しいのであればRロ植



封印の睨みを使うぐらいなら、UC蔡ヨウの方が使い勝手がいい。





貴方のそのデッキでの運用ですが、

そのままでやるのであれば、



神速→車輪→神速→奸雄の謀略→増援で攻める





神速→車輪→カイ越→カイ越→増援で攻める



2度がけカイ越は範囲も広く、今でも結構使える部類かと。





===補足に付きまして===



R袁紹を入れた決起デッキですね。

相手によって戦い方は変わりますが、



1 初めの内から 漢軍の大号令を使用し攻める

但し、1ッ発でも攻城が取れないとただの最大士気損になります、相手側は此方に袁紹がいる場合十中八九これを狙ってくるので注意(あえて漢号令を撃たせてC曹植やUC惇で雲散したり、城に引きこもりカウンターで撃破をしに来たり)



2 始めは漢号令を使用せず 士気8~9辺りからの攻め

普通に、漢号令+決起戦法系(相手によってどれを使用するかを変える)が使用できる頃合

但し、此方側が士気8~9あるとすれば、相手も同じぐらいの士気を持っているので相手も号令を使ってくるかと(武力上昇値は他の号令より漢号令の方が有利)



3 漢号令はあえてチラつかせるだけで、決起のみで攻める

次回のヴァージョンから国力が3あってもそこで決起を使うと国力が0に戻るそうなので、余りお勧めは出来ないが

初めの内はR孫堅R劉備で国力を上げ、国力が3になってからの神速行で各個撃破を狙う。

UC張任は計略がマイルドになったので武力要員として(相手が人馬一体や神速戦法で攻めてくるなら話は変わりますが)扱うのがよろしいかと。







漢軍の特性として知力が低いカードが多い為、相手にダメージ計略がある場合は号令を使用する時以外は固まらないように。

そして、漢号令を使用すると最大士気が-3となるので2度がけカイ越は すぐには出来ないので注意です。

三国志熟読者の方に質問です。 劉備玄徳が益州へ侵攻する際、荊州に関羽を残しまし...

三国志熟読者の方に質問です。

劉備玄徳が益州へ侵攻する際、荊州に関羽を残しましたが貴方が玄徳や孔明の立場だったら歴史通りにしてましたか?


僕はほう統を残してもよかった気がしたんですが…(せっかく名軍師が2人もいるのに…)

ほう統なら陸遜や呂蒙の荊州攻めの計略を立てられた気がしたんですがどうでしょう…







はじめまして、歴史学系学会で役員を務めている者です。『三国志演技』の方の話ですね。

さて、益州を落とすには、孔明より、ほう統(携帯のため漢字変換が出ず、すみません)が必要とされた事、孔明より、ほう統の方が策略や戦略の才能があり、劉備の信頼を得ていたというのが、大阪市立大学の先生方の研究で明らかになっています。

私が劉備の立場なら、関羽を孤立させない様に配慮したと思います。髭殿様をヨイショして、荊州統治のフォローシップが出来る若手の参謀を数人、関羽の側につけると思います。








諸葛亮と龐統に関しては他の方も仰ってる通り、

諸葛亮=内政、龐統=軍事なのでベストな人選です。



関羽を残すのもやむをえません。劉備の留守中に諸将をまとめ、

荊州を守りきれそうな人材は関羽しかいません。



張飛、趙雲、黄忠、魏延は、誰がどっちでも良いですかね。



劉備 龐統 黄忠 魏延で遠征。

関羽 諸葛亮 張飛 趙雲が留守。

当時の劉備軍にとってベストな選択でしょう。







「ホウ統=軍事が得意」、「諸葛亮=内政が得意」のイメージがあります。

なので、益州攻めにホウ統を伴ったのは、正解だったでしょう。

それに、諸葛亮を荊州に残したのは、呉との外交維持もあったでしょう。

(魯粛が、劉備の勢力を使っての“勢力均衡”を目指してましたし)







劉備の入蜀は元々関羽と諸葛亮が残留、劉備が龐統を参謀にして出陣しています。



途中で龐統が討死し、劉備が参謀を失って孤立した為、諸葛亮が荊州を関羽に預けて、



出陣せざるを得なくなりました。



あの時点では誰か大物を残しておかないと、魏と呉に荊州を奪われる危険性があったため、



関羽を残したのは止むを得ない判断だったのでしょう。



馬良あたりの参謀を残さなかったのが、荊州失陥の原因と言えなくもありませんが・・・。

三国志では、劉備や曹操には兄弟が出てきません。孫権には兄弟が出てきます。家臣...

三国志では、劉備や曹操には兄弟が出てきません。孫権には兄弟が出てきます。家臣なら、史書に載らないことがあっても不思議じゃありませんが、同じ皇帝ですから、もし兄弟がいたのなら、載っていてもよさそうです。一人っ子だったのでしょうか。







下記URLによると

曹操の兄弟として、徳、彬、玉、紹(紹は曹操の従弟?)

が出ています。

史料として『三国志』『晋書』『世説新語』『三国志全人名事典』をあげていますのでどこかには出てきているのでしょうが、

取り上げられるほどの活躍は無かったということではないでしょうか。



劉備の方は兄弟は記載されていません。

http://triglav.ld.infoseek.co.jp/keizu000.html








曹操に兄弟はいました。劉備は、いなかったと思います。孫権には孫策と言う兄がいました。でも、三国志の話に、出てくる様な活躍した兄弟が居なければ、「三国志」や「三国志演義」には、出てこず、自然に忘れられてしまうケースもあるのではないでしょうか。







劉備は小さいときに父親を亡くしており、一人っ子です。

曹操は弟がいましたね。







あの時代は一夫多妻だから、兄弟がたくさんいたんじゃないでしょうか?でも同じ兄弟でも見方とは限らなかったと思うんですけど。

あくまで推測なので、詳しい人、後はよろしくお願いします。







陶謙の兵が曹操一族殺したうちに

弟・曹徳が います。



劉備は、一人っ子だから、

義兄弟作ったのかな(関羽・張飛)

三国志大戦3デッキ診断

三国志大戦3デッキ診断

三国志大戦3のデッキ診断をお願いします。



SR劉備 R張飛 UCホウ三娘



C夏候月姫 C寥化



軍師 馬謖 麋竺



聞きたい事



1、弱いデッキ

2、入れ替えるカード

3、回復奮陣とホウ三娘のコンボの回復力は







1、相手が騎馬中心のデッキ(神速の大号令、全軍突撃など)、C夏候月姫があるので呂布などには有利ですが、大徳より武力上昇値が高い全体号令(桃園の誓い、我が屍を超えよなど)や柵弓兵デッキには不利です。しかし、蜀には各コストに優秀な計略が揃っているため、ある程度弱点をカバーすることができます。

2、僕が大徳デッキを作るなら、サブ計略としてのコンボでUC張飛→R張苞、C夏候月姫→R関銀屏(覚醒時に仁王再臨→若き血の目覚め)、呂布対策にUC鮑三娘→R徐庶、コストが0,5余っているので、C寥化→UC厳顔にします。他にもいろいろなパターンはあるのですが、2/2/2/1/1、 2/2/1.5/1.5/1、 2.5/2/1.5/1/1のコストで槍3+騎2という編成がほとんどです。

3、二つあわせて募兵2回分ぐらいの回復量なので、総回復量は8Cぐらいで全体の約8割ぐらいです。








張飛は大徳には合わないと思います

張飛→馬超(銀)

月姫→徐庶

で安定しますよ

三国志の質問

三国志の質問

三国志の質問。

公孫瓉と曹操の戦いについて。

公孫瓉配下の単経や劉備が、陶謙救援などの関係で、曹操と戦ったのは知ってますが、今言った戦いのほかにも公孫瓉軍と曹操軍が戦ったことはあるのでしょうか?

①詳細(戦がないのならない)

②勝敗

③戦の流れ

④両軍損害

⑤総大将







ん…ないような気がします。

公孫瓉と曹操の間には、袁紹や黒山賊などもおり、

公孫瓉も曹操よりは、袁紹や烏丸などとの

領土争いが主だったと思いますよ。








ありません。

曹操とは領土が隣同士ではないはずです。

三国志大戦3のデッキ鑑定おねがいします。 私の現在の主デッキは桃園で R劉備 R...

三国志大戦3のデッキ鑑定おねがいします。



私の現在の主デッキは桃園で



R劉備 R馬超 UC関平 C羅憲 R花マン です。



最近始めて、6品くらいで連勝しているのですが



これはどのくらい続くでしょうか?

また変えようがあるのでしたら



教えてください;



で、サブデッキの方は



飛将R呂布 一転R夏侯惇 SR左慈 C劉嘩 C曹植







R曹丕 R張コウ UC夏侯惇 LE楽進 Rカク です。



コッチも鑑定お願いします。







今の品がどれくらい強いのかわからないので、あなたのスキル次第です。



桃園は爆発力があるので、勝ててます。しかし、ダメ計対策がうまくないと負けます。赤壁と徐庶がきた場合に使う計略がないです。



一転はおもしろいですが、士気9ないと弱いのが難点です。



魏武は雲散をカクショウに代えた方が強そうです。離間以上の妨害が欲しいなら、カキか曹植に代えるのもいいかもしれません。

槍は1コスにした方がさらに強いです。その分操作性は上がりますが。








品であれば武力を上げて前に出すだけで勝てたりしますが、大尉あたりで呂布や赤壁やカキなどの妨害が増えはじめるので厳しくなりはじめます。



変える余地の部分としては

R馬超をSR徐庶にして相手に応じて使い分けしたり、R縮地姜維にして素知力をあげる。



関平を挑発馬謖にして対応力を上げる、SR天人共鳴にして使い分ける。



とかかなぁ。





一転飛翔はそんなかんじでいいと思いますよ。





魏武は5枚型にするのであれば2コストにカク昭がオススメです。1コストに丁夫人や王元姫などの槍反計をつめばいいですし。

三国志を読むのに必要な’項羽と劉邦’の知識を教えてください。

三国志を読むのに必要な’項羽と劉邦’の知識を教えてください。

三国志を読み進めているときに’項羽と劉邦’の話がたまに出てきます。



これだけは、知っておいたら三国志も楽しく読めるよ!という’項羽と劉邦’の最低限の知識を教えてください。







皆さんお書きのように、三国志の時代は項羽と劉邦の時代から約400年後の物語です。



劉備が劉邦の子孫というのは皆さんご紹介ですが、それ以外にも曹操は劉邦の配下であった曹参(そう-さん)の子孫、夏侯惇や夏侯淵は同じく劉邦の配下であった夏侯嬰(かこう-えい)の子孫と言われています。

また、ちょっとマイナーですが伏皇后と伏完の親子は、やはり劉邦に仕えた伏勝(ふく-しょう)という人物の子孫で名門の家系です。

そういった「先祖と子孫の繋がり」が分かるだけでもずいぶん楽しくなってくると思いますよ。





>三国志を読み進めているときに’項羽と劉邦’の話がたまに出てきます。



ところで、この一文に関しては、お読みなのはもしかして横山光輝氏の漫画『三国志』ではありませんか?もしそうでしたら、同じ横山氏の作品で『項羽と劉邦』がありますので、そちらも併せてお読みになるといいと思います。








項羽と劉邦という映画がありますよ







ちょうど、三国志で出てくる後漢-(新)-前漢と遡ります。

つまり「漢」の初代が劉邦ですね。

なんとなく、劉備に似通ったようなイメージのキャラです。



これ知っておいたら楽しく見れるよ~っていう最低限ですが、

やっぱり漢という国を通して繋がっているってことですかね。



まず劉氏がなぜ皇帝で、皇族なのか。それは劉邦が始祖だからですし、

漢を建国した人々(功臣)等の子孫として出る人物が多い事。

曹参・夏侯嬰/劉邦を沛の県令として迎えたとこからスタート。

曹一族・夏侯一族がずっと根付いていた証拠。







さらに補足すると、項羽と劉邦が争ったのは、秦王朝が滅んでからで、劉邦が勝ったあとに、劉邦は漢王朝を建てます。



三国志はこの漢王朝の末期から始まります。

劉備は劉邦の末裔なので、漢王朝の復興を大義名分にしています。

漢の高祖とは劉邦のことです。

劉邦の部下には三傑と呼ばれた人がいて、それが蕭何、韓信、張良です。

蕭何は漢の内政を支え、国を豊かにして劉邦の戦争を陰から支えました。

張良は軍師で、たくさんの作戦をたてて劉邦を支えました。

韓信は将軍で数々の戦いに勝ち劉邦を支えたのです。



このように多くの部下に支えられて中国を統一したのが劉邦で、劉備も三国志では同じように描かれています。







紀元前200年に項羽と劉邦が覇権争いしてて

劉邦は何度も負けてたけど最後に項羽に勝って漢を建国しました。

三国志はそれから約400年後の話なので

三国志に出てくる帝は劉邦の末裔という事になります







これだけ、と言うにはちょっとボリュームありすぎますが、

司馬遼太郎の歴史小説「項羽と劉邦」が面白いです。



あと、ご存じだとは思いますが、三国志に出てくる故事は

項羽と劉邦のみならず、春秋戦国時代なども頻繁に出てきます。

特に、諸葛孔明が尊敬する人物として、菅仲や楽毅と言う名前も出てきます。



これらをひっくるめて、三国志以前の中国史を

まとめて読もうと思えば、「史記」が一番でしょう。

今から2100年前に書かれた中国最初の通史です。







個人的には知識あんまり関係ないと思うんですが



覇王=項羽

小覇王=孫策



という具合に繋がりはあるといえばあるので

だいたいのあらすじがわかってればいいんじゃないでしょうか







三国志で主人公の劉備は劉邦の末裔として描写されています(蜀の初代皇帝の子孫)。で、項羽と劉邦の話は三国志の話よりさらに約400年も前の話になります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%9A%E6%BC%A2%E6%88%A6%E4%BA%89

最低限ならこれで十分かと思います。

三国志大戦3について

三国志大戦3について

明日、友達とやりに行くんですが友達のデッキが皇ホスウ・劉備・献帝・孫堅・曹皇后で全部、漢勢力です。僕のデッキは曹操(覇者の求心)・司馬炎・郭嘉・楽進・程イクor丁夫人です。どちらが有利ですか?また、丁夫人か程イクどちらがいいですか。

何でもいいのでアドバイスください。絶対に負けたくないので・・・







丁夫人ですね。



郭嘉→曹仁or羊コ。司馬炎→武力要因

がいいかと。



相手は、伏兵もダメ計、妨害もなく、計略も最初は弱いんで、高武力部隊でいけばいいと思います。



曹操、ホウ徳、羊コ、丁夫人、楽進なんてのはどうですか?



戦い方は、序盤は相手は国力をためるために計略を発動してくるので、刹那1発で押し、攻城を1、2回してください。



中盤は、国力3の決起号令を反計で。逆にこれ以外はしてはだめです。

もし心配なら、G荀攸の連環で。

それを防げば、覇者求で勝てます。

劉備が雷を怖がって曹操を油断させた話はどの程度の信憑性が あるのでしょうか?史...

劉備が雷を怖がって曹操を油断させた話はどの程度の信憑性が

あるのでしょうか?史実なのでしょうか?それとも、「三国志演義」

の作り話なのですか?歴史に詳しい方よろしくお願いします。







劉備と曹操が英雄について語り合い、曹操が「今の天下で英雄と呼べるのは、

あなたと私だけだ。本初(袁紹)など大したことはない。」と言ったことは事実です。

そして、劉備が驚きのあまりに箸を落とし、雷を使ってごまかしたことも三国志・

蜀志・劉備伝に記載されています。



劉備伝を呼んでいると分かりますが、とにかく、劉備の窮地に立たされたときの

臨機応変さはすごいものです!








よく覚えてないけど・・・一応、正史「三国志」の「武帝紀」にも、「先主伝」にもあったと思うけど。だから演義のフィクションではないです。

でも、「註」にあったような・・・「註」だったら、信憑性はあんまりないです。陳寿が「信じられない」と思って切ったものを、後から別人が加えたものですし。

三国志についての質問です。

三国志についての質問です。

何故劉備は、211年馬超・韓遂兵をあげたときに劉備も荊州から許都を突かなかったのでしょうか?

208年に荊州を平定したから余裕もありそうだし・・・・・・・

同時に益州に兵を送ることも可能だろうし







荊州を平定はしましたが、北に曹操、東に孫権で西は同族の劉章がいましたが↓の方もおっしゃってます通り、いかんせん領土ではありません。



また、孫権とはかつて同盟を結んではいましたが、赤壁のゴタゴタで荊州をかすめとった(という言い方が正しいかどうかは疑問ですが)ので、そこまで信用はならない。



何より、許昌までは遠いです。



それまでの間の都市を攻略するにも、魏の大兵団は難敵です。



それに、馬超は奇襲&距離的に多少近かったせいもありますし、国(といえる大きなものは)を持ってはいなかったので動きやすかったんだと思います。



記憶をたどって回答しましたので、ぬけが多いかもしれません。








四川攻撃中ですよ、本拠地もないですよ

三国志大戦について質問です。 今桃園デッキを組み立てているのですが診断してもら...

三国志大戦について質問です。

今桃園デッキを組み立てているのですが診断してもらえませんか?

R劉備

SR魏延

C張嶷

Rしばき

Rほうとう

軍師/姜維/馬謖


前に三国志大戦をやっていたのですが最近またやり始めていて以前は桃園デッキを使っていて自分には使いやすいのでまた同じデッキにしたのですが現バージョンを調べて組み立ててみたのですがどうですか?







伏兵探しやダメ計対策にR趙雲

完全にシャットアウトできるR馬超

連環と敵の計略対策が両立出来るSRホウ統

がオススメです。

2012年3月27日火曜日

三國志において、自分専用の武器を持っていた方がいますよね 関羽 張飛 劉備 曹操...

三國志において、自分専用の武器を持っていた方がいますよね



関羽

張飛

劉備

曹操

夏候恩

呂布

卞喜?



彼らの武器の名前があれば教えていただけませんか?


卞喜は確か何かの使い手と認識していますが…

他にも人物、武器のペアがあれば教えてください







関羽・・・青龍偃月刀

張飛・・・蛇矛

劉備・・・雌雄一対の剣

夏候恩・・・青こうの剣

呂布・・・方天画戟

卞喜・・・流星鎚



申し訳ないのですが曹操はどうにも分かりませんでした^^;

ちなみに劉備が雌雄一対の剣を使っているのは虎牢関での呂布との戦いのみのようです。








黄蓋はたしか鉄鞭で趙雲は夏侯恩の青天の剣なんかを殺して奪っていたと思います







卞喜と武安国と王双は流星鎚の使い手です。沙摩可は鉄シツレイ骨ダを使って参戦してました(字がわからなくてごめんなさい)







曹操は倚天の剣だと思います。

孫堅は古錠刀、程普は鉄槌蛇棒だったと思います。

※典韋の飛刀も専用武器かな。十歩の距離から投げます。







ベンキは専用武器なんて持ってなかった気が…



専用武器だと徐晃の大斧も有名かな

劉備玄徳は、三国志時代で一番魅力的な君主といわれています 慕われていることから...

劉備玄徳は、三国志時代で一番魅力的な君主といわれています

慕われていることから一番ということですが、君主じゃなくても

慕われている人は三国志時代にいたと思います。

君主、武将問わず、誰が一番慕われていた?







広く人材を求めていたという点では曹操が一番です。結局、三国の中で一番人材が集まりましたからね。

慕われていたという観点からは少しズレるかもしれませんが、潁川の名士である荀彧は人材に関するネットワークが半端じゃなく人物眼にも優れていました。この三国志の時代、風評や名士層による評価が重要で、荀彧が推挙に関わった人物は、荀攸・鍾繇・戯志才・郭嘉・陳羣・司馬朗・司馬懿・杜襲・杜畿・華歆・王朗・孫資・辛毗など魏を支えた人物がほとんどです。








司馬仲達の弟、司馬叔達。

93歳の大往生を遂げ一族から

慕われていた事は兄と正反対です。



容姿は似てたみたいですが。







やっぱり劉備なのかなぁと思います。







しばきだと思います諸葛亮や法統の師匠です







董卓ではないことは確かですね♪







曹操でしょう

適材適所で部下を使った君主です

劉備なんざ義兄弟贔屓もいいとこです







孫堅、孫策、孫権では?

三国志大戦のデッキ診断お願いします。R袁紹(憂国)SR献皇R劉備UC王子服C陶謙です...

三国志大戦のデッキ診断お願いします。R袁紹(憂国)SR献皇R劉備UC王子服C陶謙です。

序盤は国力を献皇と劉備で上げて王子服で戦線を上げ、袁紹の計略で落城を目指したいのですが、作戦はこれでいいのでしょうか?







「献帝」ですね。



デッキとしては戦えないデッキではないという印象ですが、可も不可もなく、爆発力があるのは国力が3たまった以降なので序中盤に一気に攻め立てられると苦しいかな、という感じです。尤も、これは漢にほぼ全て共通することなんですけどね。



今は漢号令の袁紹が主流なので憂国の袁紹はあまり使われていません。また、漢号令の相方に憂国の非常に強力な反計が登場したので、どうせ国力を下げるのならこっちを使う人が多いこと、攻護の存在などもマイナス要因ですね。



今の構成は序中盤を献帝でしのぐ形になるでしょうが、神速行である程度の瞬発力を持たせるのもよいでしょう。R曹操などもよいかも知れませんね。王子服を張奐にして国力をコントロールして、終盤の攻めにつなぐのもありでしょう。



方向性は全く異なりますが、どうせ憂国を使うのなら



R関羽

R文醜

R孫堅

SR献帝

GR蔡文姫、GRホウキ



序盤は関羽とパパで適当に伏兵を処理、死んでも即帝で復活。適当に神速と帝(チャンスがあれば関羽)で国力をため、あとは文醜を城門に埋め込み回りまくるのみ。扱いは簡単ですが形が完成すれば雲散以外はほぼ落城できるので、中盤まで4割くらい城はあげてもよいでしょう。








戦闘員としてカコウトンを入れておいたほうがいいと思います

三国志大戦3の作戦について助言をお願いします。SR劉備R馬超R趙雲までは決ま...

三国志大戦3の作戦について助言をお願いします。SR劉備R馬超R趙雲までは決まっていますが、コスト1が踏ん切りがつきません。
候補ですが、R関銀屏、若血がうまい←ドラキュラではない。(士気3で最低4はうまいという意味)C夏侯月姫、超絶対策。Rホウ統、妨害です。助言をお願いします。







1コストの選択肢がその3枚であればR関銀屏とC夏侯月姫にして魅力大徳で良いかと…。



Rホウ統の計略範囲狭くなって少し使いづらくなりましたしね。








悪くはないと思いますが、懸念材料が一つ。

槍兵の武力が、かなり不安です。

大徳では、槍兵を壁にして騎馬で突撃を狙うのが常套手段ですが、コスト2から騎馬二枚はすぐ蒸発してつらいかと。

英傑号令対処に苦労すると思います。

三国志の曹操の帝についての考え方と劉備の考え方ではどっちが正しいと思いますか...

三国志の曹操の帝についての考え方と劉備の考え方ではどっちが正しいと思いますか?



僕は曹操の考えは間違ってないと思います。







この時代に「何が正しくて、何が間違っている」という話をするのは、野暮ってものですぜ。

魏呉蜀三国の英雄は、それぞれの正義を証明するために戦ったわけですし。








皇帝の本業は、経緯はともかく天下統一し、



治水、天災など山積みな、問題を解決し。

封禅まで行なえて初めて責務を果たしたといえるでしょう。





曹操も劉備も、共にその最初の課題すら行なえてないので、

帝を論ずる以前に問題外です。





あえて二人に優劣をつけるなら、害の少なかった劉備では。



曹操は



・ここぞという戦いに勝てずに、よく死者を増産する。

初期の段階で董卓を斬っていればそもそも、大乱を防げた。



・この時代の人たち皆そうだが、後漢の築いた尊皇攘夷を破れる

器でなかった。

前漢時代。最後の皇帝などフツーの群雄に容赦なく殺され(王莽には

殺されていない。新王朝滅亡後、自立している)。



また光武帝も統一の経緯で、直系に近い劉氏を普通に

打ち破っている。帝を利用という発想事態が、実力の無さの表れでは。



・研究した孫子の兵法を、民間に広めず。天下統一に貢献した

馮異という名将が後漢建国時にいたのに。彼の理念を台無しにして

孫子の兵法を世に広める。



・苦寒行とか、自分で仕掛けた戦争に嫌気が差したと詩で平気でのたまう。

とにかく愚痴の詩が多い。



・後漢で削減した後宮の号を戻し、いらん宮女を増やす。統一王者は

割りと色を好まない者が多いのだが。逆を行っている。しかも女性がらみの

失敗が多い。



・異民族を強制移住させて、五胡十六国時代を招く。後漢時は向こうから

来た倭の使者を、魏では強制的に都に連れて行っている。



・結局、王莽と同じ簒奪の手順を踏んでいる。軍は劉秀を真似ながら

遠く及ばず。



と、変な方向に頑張った人なので。とにかく関わった人が多く死んでますね。

彼の中では正義だったと思いますけど。







曹操は正しいと思います



重要なのは『世を治める事』

その為に、帝を利用するのは

間違ってはいないと思います

(次代が帝を廃してしまったのは失敗)



劉備がおとなしく、

曹操の下で官職やってりゃ

無駄な死人も出さなかったでしょう



呉とも争わずに済んだと思います。

大喬と小喬は、寝盗ら・・・







曹孟徳のIDを使わせて頂いてる立場から回答します。



私は曹操の意見に賛成です。(そりゃそうだ)



正史でも演義でも、劉備の大義は「漢室の復興」であり曹操も建前上は同じであるように見えます。曹操は確かに帝をないがしろにしている様に見えますが、帝位は奪っていません。(奪ったのは彼のドラ息子です)



一方劉備は途中から勝手に蜀漢皇帝を名乗ってしまっています。これは元々の大義に合わないと考えても良いでしょう。



曹操という人物を見ていると、「極端な能力主義」である事が伺えます。これは彼の「唯だ才のみ示せ」と言う言葉にも現れていますね。また彼は生れは悪く無いですが、宦官の養子であった事がややコンプレックスだったようです。(孔子の子孫を自称する孔融はこの点をチクチクつついて曹操の怒りゲージを増幅させていました)



さて、こういった人間が必ず思う事・・・それは「血筋とかどうでもよくね?天子とか(日本で言えば)天皇とか無能な癖に何威張っちゃってんの?ww」となる訳です。なので曹操や日本で言えば信長なんかは明らかに天子や天皇を自分より下に見ていますし、私もそう思ってしまうのは無理も無い事だと思います。



ここまで言えばピンと来られたと思いますが、曹操は天子を「偉い人」では無く統一の為の「お飾り」と思っている訳です。現在の天皇制に近い物がありますね。一方、劉備は天皇を前者だと思っている。だからこそ最後には蜀漢皇帝を名乗ってしまった。



私達に2人の帝に対する考え方の正否を決定する事はできませんが、私は曹操の考えがより適切だと思います。



―追記―



カテマスさん、わざわざご返信有難うございます。曹操は宦官の養子の息子と言っても、宦官のように天子を敬う立場ではありません。ご存知の通りあの時代の宦官は十常待のように依然として腐っており、宦官ですら天子を当然敬ってはいないと思いますよ。曹操が魏王になってから帝位纂奪を行わなかったのは彼自身が天子という位を高く評価していなかったのだと私は思います。唯才主義の彼からすれば世襲制の天子の位には全く興味が無く、「政治を行う際にシンボルとして利用しよう」くらいの考えだったと思います。



あと、どうも劉備が高祖の正式な末裔であったかは疑問です。彼はせっかくの劉姓を大義にしてしまおうと考えたのだとは思いますが・・・。



曹操は元々血筋による出世はしていません。正史の記述によれば北門の警備において立場が上の官僚に対しても怯む事無く取り締まりを行った事が評価されての出世が始まりだったと思います。

曹丕は元々偉大過ぎる父の存在が大きかったため、血筋はともかく能力主義だったとは言えません。手っ取り早く献帝から皇位を纂奪したのはその為かと思っています。







曹操が好きなので個人的には曹操の考えが正しいとは思います。

ですが他の回答者様も言っておられる通り、動乱の世に「正悪」はありません。

誰しも自分にとっては正義でも、相手から見れば悪なワケです。



劉備にとって言えば、自分は漢室の末裔だから正義である。なので曹操は逆賊だ。と。

曹操からしてみれば自分は漢の丞相である。劉備が逆賊だ。と。









ご質問の主旨がよく分かりません。



私の目には、両者の皇帝(後漢朝の帝位)に関するスタンスは同じもののように感じます。「絶対にして不可侵のもの」というのがそれです。個人的には曹操に帝位登極の意図は無かったと考えていますし。



【追記】

soumoutoku0114さん、私の見解は少し違いますよ。

曹操は「宦官の養子になった男の子供」であり、最初から「宦官の孫」でした。宦官とは本来、皇帝や後宮の私的な使用人であり、皇族を唯一絶対の上位者と認識するのが普通です。

ならば曹操は皇帝を軽視するはずがないと思うのです。だって、皇帝の軽視は宦官である祖父の否定でもありますから。だから皇后や外戚を族滅したりはしますが献帝自身に危害を加えたりといった話は皆無ですし、魏王になってからの4年間で簒奪(禅譲)へ向けたアクションも皆無です。



また劉備が帝位に登ったのは「献帝が弑殺された」という情報(誤報)があったからで、「曹丕に帝位を奪われ後漢朝の正統を受け継ぐ天子が絶えた」からです。自他共に認める傍系の有力皇族として立ち上がるのは、後漢を興した光武帝やその従兄弟の更始帝の前例があり、劉備にとって正当かつ当然の行為でしょう。

仮に献帝が生きていると判っていたなら、劉備は恐らく帝位には就かず献帝の救出に全力を尽くそうとしたはずですよ。





唯才主義とか革新的とか評価される曹操ですが、実はかなり保守的で儒教官僚や名家・名士に結構気を遣っています。そもそも彼自身が家柄で出世した身ですし、他者(特に劉備・孫権)に対して皇帝のような絶対的優位ではなく相対的優位しか獲得出来ていなかったからこそ帝位に就かなかったと見るべきです。

その意味で曹丕はフライングしたと考えるべきでしょう。

また劉備の血筋は当時誰も疑ってませんので、劉備の登極は大義からしても当然の行為ですよ。

三国志のゲームに出てくる、劉禅って武力も知力も魅力も何もありません。いい所あ...

三国志のゲームに出てくる、劉禅って武力も知力も魅力も何もありません。



いい所ありますか?



あの劉備の子供なのに、こんなに能力が低いのですか。







良いところは皇帝の跡継ぎというだけです。



史実を知っていれば武力0 知力0 魅力100と言う能力にしたいくらいです。








劉禅のいいところ?たくさんありますよ。



まずは、自分に能力がないことを自覚していて、孔明に全部任せたこと。普通は君主になったら自分であれこれやりたがって失敗するのですが、それを高名な孔明に全部任せたというのは、君主としての器の大きさを示すものといえるでしょう。



また、早々に降伏し、蜀の戦火を防いだこと。あのまま徹底抗戦しても勝てるわけがないですし、戦死者も増えます。特に、エリートでプライドだけ高い鍾会が成都まで侵攻してきてたら自分の優秀さをアピールするため大虐殺をやったかもしれません。したがって、あの時点での降伏は、蜀を守るため、という意味があったわけです。



また、降伏後は、魏の色に染まり、謀反も考えずのんびりすごしたというのは、自分の身の程を知った適切な態度といえるでしょう。



劉禅は、劉備や孔明を引き立たせるために、必要以上に貶められた存在だと思います。実は、結構世渡り上手の人物だと思います。







 いいところはあります。諸葛孔明を宰相として信任し、内政・外交・軍事にいたる多くの権限を与えたこと、諸葛孔明亡き後、魏の侵攻に対して勝ち目なしと見るや、速やかに降伏の手続きに入ったこと、降伏後、ひたすら従順に魏(晋)の臣下として振る舞い、旧蜀漢家臣団の抵抗を抑えたこと、などがあげられます。

 これらを意気地なしとみるのは簡単なことですが、実際に最高責任者だったら至極当然の対応ではないでしょうか。勝てないとわかっているのに、徹底抗戦を主張して最終的に国が栄えたケースが歴史上どれだけあるでしょうか。

 様々な批判を受けるのは承知の上で、あえて蜀漢の人々のために降伏と言う道を選択した劉禅はを一概に批判するのは間違いだと思います。







どうでしょう?

現実には国力が魏の10分の1ほどの蜀では、どうしようもなかったでしょうし、有能な部下に恵まれた訳でもありませんし。



三国誌のほとんどが戦死など非業の最期をしていますが、劉禅は安楽王の号を送られ、生涯のほほんと暮らしました。

また、魏に降伏した結果、蜀の人民や兵を犠牲にすることもなく、平和のうちに戦争を終らせたともいえるんじゃないでしょうか。



あえていいところをあげるとすれば、こう言った現実的政治眼を持っていたと言うところでしょう。部下も徹底抗戦を主張して君主を挿げ替えるとか、独立して戦うとか言う事もしなかったと言うことは、それなりに国をまとめて降伏に導いたと言えるでしょう。







いい所はありません。

凡庸で良かった点は諸葛孔明が活躍できたことでしょう。

ある意味宰相にあんなに采配を振るわれたら普通の皇帝なら排除を考えますが劉禅の場合は宦官の讒言に乗ったくらいで諸葛亮を殺そうとはしませんでした。







実際のところは、諸葛亮の名声の陰に隠れて目立たないだけで、特に無能というわけではないと思いますよ。他の皇帝たちに比べて目だったところ、優れたところが見つからないだけで。



ゲームではゲームの都合で、(たいていの場合) 庸どころか、壮絶に無能なキャラに設定されてますけどね。



~~~追加



即位後の劉禅は、諸葛亮に対し、

内朝のことは全部、自分がやるから、外朝のことは全部まかせるからやってくれ、との役割分担を指示したと記録が残っています。

祖先の祀り、政略結婚、宦官の人事などが内朝になりますね、たしか。現代よりも宗教色が強い時代の政治ですから、内朝の政治だって、それなりの重要性はあったようです。この点では、とりあえず、それなりには活躍したと言えるのではないかと。



魏に降伏した後の、晋代の言動については、警戒される立場ゆえの韜晦の可能性もあるので、割り引いて考えるべきでしょう。







たぶん、本人に会ってみると「金正男」クンに、ソックリだと思いますよ。







それは歴史上で劉禅が残した功績がないこと

あとは劉備の息子でありながら大功を残せなかったこと

この二つが大きな原因だと思います。

ほとんど光栄が作成してますけど、他のメーカーも同じ感じですね。

三国志で一番過大評価されている人物と一番過小評価されている人物と言えばだれで...

三国志で一番過大評価されている人物と一番過小評価されている人物と言えばだれですか?

過大評価は劉備だと思いますが、皆さんはどうですか。







正史と演義を比較してやたらと演義で過小評価されてるなあ、と感じるのは曹操ですね。

過大評価とは違うかもしれませんが演義での大活躍の割に正史での扱いが低くて驚いたのは趙雲です。








過大評価と言えば劉備過小評価といえば孫権このひとはかわいそうすごい人なのに







過大評価はやっぱり劉備でしょう。まあ、三国志演義では主人公ですから

当然ですが。本人には本当は漢王室の復興なんて中国人としては当たり

前の建前であって、1000年後に三国志演義を描いた人物が義に厚い人間

に仕立て上げたのだと思います。実際は身を寄せた相手を何度も裏切り、

当時は信用ならない人物と言われたようです。



あとは諸葛亮ですね。正史にはない活躍が演技では多く描かれています。

実際戦争で活躍したのって猛獲との戦い位でしょう。



過小評価されているのは、劉備陣営と対立した曹操、シバイあとは呉の

軍師達ですね。 完全に蜀の武将の引き立て役に描かれていますが、

シバイにしたってもともと優位なのにわざわざ相手の挑発に乗る必要が

ないから直接対決しなかっただけで、一代で晋王朝の基盤を築き上げた

政治力は凄いと思います。曹操にしても当時としては最高クラスの戦の

勝率ですし、民衆から見れば税金も安く無駄な風習を廃止して民衆の

生活の向上をした人なので人気があったと思われます。







演義準拠を正史準拠に直すと捉えて・・・



過大評価・・・諸葛亮、趙雲、関羽

過小評価・・・于禁、曹仁、曹真



といったところでしょうか・・・







過大評価は関羽。確かに強かったでしょうが、軍神というのは…自分は過大評価なのが好きですが。



過小評価は呂布。あんなに獣ではないと思う。体の良い劉備一行の引き立て役に。







演義ですよね。



過大→孔明



過小→んー、、、魯粛







過大評価はやはり諸葛亮でしょうね。正史の方では応変の才略はそこまで

優秀ではないのだろうか、と言われていますが、演義等の為に知謀の塊、の

ようなイメージが付いちゃっていますからね。



過小評価はやはり劉禅かと思います。最後は魏に滅ぼされますが、それでも

40年蜀を統治する、と言うのは配下に優秀な人物がいたとしても十分評価に

値するものです。実際暴君などであれば民衆が反乱しているでしょうし、暗君

であれば配下に取って代わられる恐れもあるのに、そういう形跡はまったく見られ

ない。



名君でなかったとしても統治者としては十分合格な人物であるにもかかわらず、

演義などの話より、暗君と決め付けられ、彼の遺跡、祠関係はことごとく潰され

てしまっているそうです。ここまで評価されてない人物は三国志ではいないと思い

ます。







過大評価はあえて言えば諸葛亮ですかね。

実際三国志一の天才軍師であることは確実ですがあそこまで神がかりだと

少し疑問を持ちます。

過小評価は周ユですかね。

稀代の名将ですがいつも諸葛亮の計略に踊らされていてなんとも可哀想です。

三国志の前半と後半の勝利者は。


三国志の前半と後半の勝利者は。

前半は曹操、後半は仲達だと思います。

総合的に見るなら、曹操でしょう。劉備も、孔明も、孫権もそして後半の勝者の仲達も曹操の描いた方向に進んでいるからです。

仲達の幸いしたのは、同じ曹操の魏であったことでしょう。

彼のしてきたことを身近に見れたことかもしれません。

曹操と戦法も政治の駆け引きもそれほど変わりないはずです。

こうして見ていくと、曹操一代で政治、軍事、文学など何でも出来たのは凄いと思いませんか。



仲達がもし曹操の下にいなかったらひょっとすると歴史が変わっていたかもしれません。

曹操のやり方で後半の勝者になった、そう見てますね。







その時代の権力を握れたことを勝利者と定義するなら質問者様の考えに概ね賛同しますが、少し異論が。



曹操が思い描いたとおりの方向に全てが進んだのであれば、劉備も孫権も国を建国することはなかったでしょう。

彼ら連合軍は赤壁で曹操に敗北し、曹操に降伏していたはずです。

また、未来の司馬一族による帝位簒奪もなかったはずです。

曹操は中国三国時代一の大人物ですが、それは買いかぶりというものでしょう。

三国志の曹操の帝についての考え方と劉備の考え方ではどっちが正しいと思いますか...

三国志の曹操の帝についての考え方と劉備の考え方ではどっちが正しいと思いますか?



僕は曹操の考えは間違ってないと思います。







この時代に「何が正しくて、何が間違っている」という話をするのは、野暮ってものですぜ。

魏呉蜀三国の英雄は、それぞれの正義を証明するために戦ったわけですし。








皇帝の本業は、経緯はともかく天下統一し、



治水、天災など山積みな、問題を解決し。

封禅まで行なえて初めて責務を果たしたといえるでしょう。





曹操も劉備も、共にその最初の課題すら行なえてないので、

帝を論ずる以前に問題外です。





あえて二人に優劣をつけるなら、害の少なかった劉備では。



曹操は



・ここぞという戦いに勝てずに、よく死者を増産する。

初期の段階で董卓を斬っていればそもそも、大乱を防げた。



・この時代の人たち皆そうだが、後漢の築いた尊皇攘夷を破れる

器でなかった。

前漢時代。最後の皇帝などフツーの群雄に容赦なく殺され(王莽には

殺されていない。新王朝滅亡後、自立している)。



また光武帝も統一の経緯で、直系に近い劉氏を普通に

打ち破っている。帝を利用という発想事態が、実力の無さの表れでは。



・研究した孫子の兵法を、民間に広めず。天下統一に貢献した

馮異という名将が後漢建国時にいたのに。彼の理念を台無しにして

孫子の兵法を世に広める。



・苦寒行とか、自分で仕掛けた戦争に嫌気が差したと詩で平気でのたまう。

とにかく愚痴の詩が多い。



・後漢で削減した後宮の号を戻し、いらん宮女を増やす。統一王者は

割りと色を好まない者が多いのだが。逆を行っている。しかも女性がらみの

失敗が多い。



・異民族を強制移住させて、五胡十六国時代を招く。後漢時は向こうから

来た倭の使者を、魏では強制的に都に連れて行っている。



・結局、王莽と同じ簒奪の手順を踏んでいる。軍は劉秀を真似ながら

遠く及ばず。



と、変な方向に頑張った人なので。とにかく関わった人が多く死んでますね。

彼の中では正義だったと思いますけど。







曹操は正しいと思います



重要なのは『世を治める事』

その為に、帝を利用するのは

間違ってはいないと思います

(次代が帝を廃してしまったのは失敗)



劉備がおとなしく、

曹操の下で官職やってりゃ

無駄な死人も出さなかったでしょう



呉とも争わずに済んだと思います。

大喬と小喬は、寝盗ら・・・







曹孟徳のIDを使わせて頂いてる立場から回答します。



私は曹操の意見に賛成です。(そりゃそうだ)



正史でも演義でも、劉備の大義は「漢室の復興」であり曹操も建前上は同じであるように見えます。曹操は確かに帝をないがしろにしている様に見えますが、帝位は奪っていません。(奪ったのは彼のドラ息子です)



一方劉備は途中から勝手に蜀漢皇帝を名乗ってしまっています。これは元々の大義に合わないと考えても良いでしょう。



曹操という人物を見ていると、「極端な能力主義」である事が伺えます。これは彼の「唯だ才のみ示せ」と言う言葉にも現れていますね。また彼は生れは悪く無いですが、宦官の養子であった事がややコンプレックスだったようです。(孔子の子孫を自称する孔融はこの点をチクチクつついて曹操の怒りゲージを増幅させていました)



さて、こういった人間が必ず思う事・・・それは「血筋とかどうでもよくね?天子とか(日本で言えば)天皇とか無能な癖に何威張っちゃってんの?ww」となる訳です。なので曹操や日本で言えば信長なんかは明らかに天子や天皇を自分より下に見ていますし、私もそう思ってしまうのは無理も無い事だと思います。



ここまで言えばピンと来られたと思いますが、曹操は天子を「偉い人」では無く統一の為の「お飾り」と思っている訳です。現在の天皇制に近い物がありますね。一方、劉備は天皇を前者だと思っている。だからこそ最後には蜀漢皇帝を名乗ってしまった。



私達に2人の帝に対する考え方の正否を決定する事はできませんが、私は曹操の考えがより適切だと思います。



―追記―



カテマスさん、わざわざご返信有難うございます。曹操は宦官の養子の息子と言っても、宦官のように天子を敬う立場ではありません。ご存知の通りあの時代の宦官は十常待のように依然として腐っており、宦官ですら天子を当然敬ってはいないと思いますよ。曹操が魏王になってから帝位纂奪を行わなかったのは彼自身が天子という位を高く評価していなかったのだと私は思います。唯才主義の彼からすれば世襲制の天子の位には全く興味が無く、「政治を行う際にシンボルとして利用しよう」くらいの考えだったと思います。



あと、どうも劉備が高祖の正式な末裔であったかは疑問です。彼はせっかくの劉姓を大義にしてしまおうと考えたのだとは思いますが・・・。



曹操は元々血筋による出世はしていません。正史の記述によれば北門の警備において立場が上の官僚に対しても怯む事無く取り締まりを行った事が評価されての出世が始まりだったと思います。

曹丕は元々偉大過ぎる父の存在が大きかったため、血筋はともかく能力主義だったとは言えません。手っ取り早く献帝から皇位を纂奪したのはその為かと思っています。







曹操が好きなので個人的には曹操の考えが正しいとは思います。

ですが他の回答者様も言っておられる通り、動乱の世に「正悪」はありません。

誰しも自分にとっては正義でも、相手から見れば悪なワケです。



劉備にとって言えば、自分は漢室の末裔だから正義である。なので曹操は逆賊だ。と。

曹操からしてみれば自分は漢の丞相である。劉備が逆賊だ。と。









ご質問の主旨がよく分かりません。



私の目には、両者の皇帝(後漢朝の帝位)に関するスタンスは同じもののように感じます。「絶対にして不可侵のもの」というのがそれです。個人的には曹操に帝位登極の意図は無かったと考えていますし。



【追記】

soumoutoku0114さん、私の見解は少し違いますよ。

曹操は「宦官の養子になった男の子供」であり、最初から「宦官の孫」でした。宦官とは本来、皇帝や後宮の私的な使用人であり、皇族を唯一絶対の上位者と認識するのが普通です。

ならば曹操は皇帝を軽視するはずがないと思うのです。だって、皇帝の軽視は宦官である祖父の否定でもありますから。だから皇后や外戚を族滅したりはしますが献帝自身に危害を加えたりといった話は皆無ですし、魏王になってからの4年間で簒奪(禅譲)へ向けたアクションも皆無です。



また劉備が帝位に登ったのは「献帝が弑殺された」という情報(誤報)があったからで、「曹丕に帝位を奪われ後漢朝の正統を受け継ぐ天子が絶えた」からです。自他共に認める傍系の有力皇族として立ち上がるのは、後漢を興した光武帝やその従兄弟の更始帝の前例があり、劉備にとって正当かつ当然の行為でしょう。

仮に献帝が生きていると判っていたなら、劉備は恐らく帝位には就かず献帝の救出に全力を尽くそうとしたはずですよ。





唯才主義とか革新的とか評価される曹操ですが、実はかなり保守的で儒教官僚や名家・名士に結構気を遣っています。そもそも彼自身が家柄で出世した身ですし、他者(特に劉備・孫権)に対して皇帝のような絶対的優位ではなく相対的優位しか獲得出来ていなかったからこそ帝位に就かなかったと見るべきです。

その意味で曹丕はフライングしたと考えるべきでしょう。

また劉備の血筋は当時誰も疑ってませんので、劉備の登極は大義からしても当然の行為ですよ。

三国志のゲームに出てくる、劉禅って武力も知力も魅力も何もありません。いい所あ...

三国志のゲームに出てくる、劉禅って武力も知力も魅力も何もありません。



いい所ありますか?



あの劉備の子供なのに、こんなに能力が低いのですか。







良いところは皇帝の跡継ぎというだけです。



史実を知っていれば武力0 知力0 魅力100と言う能力にしたいくらいです。








劉禅のいいところ?たくさんありますよ。



まずは、自分に能力がないことを自覚していて、孔明に全部任せたこと。普通は君主になったら自分であれこれやりたがって失敗するのですが、それを高名な孔明に全部任せたというのは、君主としての器の大きさを示すものといえるでしょう。



また、早々に降伏し、蜀の戦火を防いだこと。あのまま徹底抗戦しても勝てるわけがないですし、戦死者も増えます。特に、エリートでプライドだけ高い鍾会が成都まで侵攻してきてたら自分の優秀さをアピールするため大虐殺をやったかもしれません。したがって、あの時点での降伏は、蜀を守るため、という意味があったわけです。



また、降伏後は、魏の色に染まり、謀反も考えずのんびりすごしたというのは、自分の身の程を知った適切な態度といえるでしょう。



劉禅は、劉備や孔明を引き立たせるために、必要以上に貶められた存在だと思います。実は、結構世渡り上手の人物だと思います。







 いいところはあります。諸葛孔明を宰相として信任し、内政・外交・軍事にいたる多くの権限を与えたこと、諸葛孔明亡き後、魏の侵攻に対して勝ち目なしと見るや、速やかに降伏の手続きに入ったこと、降伏後、ひたすら従順に魏(晋)の臣下として振る舞い、旧蜀漢家臣団の抵抗を抑えたこと、などがあげられます。

 これらを意気地なしとみるのは簡単なことですが、実際に最高責任者だったら至極当然の対応ではないでしょうか。勝てないとわかっているのに、徹底抗戦を主張して最終的に国が栄えたケースが歴史上どれだけあるでしょうか。

 様々な批判を受けるのは承知の上で、あえて蜀漢の人々のために降伏と言う道を選択した劉禅はを一概に批判するのは間違いだと思います。







どうでしょう?

現実には国力が魏の10分の1ほどの蜀では、どうしようもなかったでしょうし、有能な部下に恵まれた訳でもありませんし。



三国誌のほとんどが戦死など非業の最期をしていますが、劉禅は安楽王の号を送られ、生涯のほほんと暮らしました。

また、魏に降伏した結果、蜀の人民や兵を犠牲にすることもなく、平和のうちに戦争を終らせたともいえるんじゃないでしょうか。



あえていいところをあげるとすれば、こう言った現実的政治眼を持っていたと言うところでしょう。部下も徹底抗戦を主張して君主を挿げ替えるとか、独立して戦うとか言う事もしなかったと言うことは、それなりに国をまとめて降伏に導いたと言えるでしょう。







いい所はありません。

凡庸で良かった点は諸葛孔明が活躍できたことでしょう。

ある意味宰相にあんなに采配を振るわれたら普通の皇帝なら排除を考えますが劉禅の場合は宦官の讒言に乗ったくらいで諸葛亮を殺そうとはしませんでした。







実際のところは、諸葛亮の名声の陰に隠れて目立たないだけで、特に無能というわけではないと思いますよ。他の皇帝たちに比べて目だったところ、優れたところが見つからないだけで。



ゲームではゲームの都合で、(たいていの場合) 庸どころか、壮絶に無能なキャラに設定されてますけどね。



~~~追加



即位後の劉禅は、諸葛亮に対し、

内朝のことは全部、自分がやるから、外朝のことは全部まかせるからやってくれ、との役割分担を指示したと記録が残っています。

祖先の祀り、政略結婚、宦官の人事などが内朝になりますね、たしか。現代よりも宗教色が強い時代の政治ですから、内朝の政治だって、それなりの重要性はあったようです。この点では、とりあえず、それなりには活躍したと言えるのではないかと。



魏に降伏した後の、晋代の言動については、警戒される立場ゆえの韜晦の可能性もあるので、割り引いて考えるべきでしょう。







たぶん、本人に会ってみると「金正男」クンに、ソックリだと思いますよ。







それは歴史上で劉禅が残した功績がないこと

あとは劉備の息子でありながら大功を残せなかったこと

この二つが大きな原因だと思います。

ほとんど光栄が作成してますけど、他のメーカーも同じ感じですね。